更新日時 2016年02月15日

廃線探索 鍛冶屋線
 鍛冶屋線(かじやせん)は、兵庫県西脇市の野村駅(現在の西脇市駅)から兵庫県多可郡中町(現在の多可町中区)の鍛冶屋駅までを結んでいた西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)。西脇市の中心部を通っており、野村駅 - 西脇駅間に限れば比較的利用者が多く、加古川線から分岐していた4路線(鍛冶屋線・三木線・北条線・高砂線)の中では最も輸送密度が高かった。そのため特定地方交通線第1次廃止対象線区からは除外された。しかし第3次廃止対象線区の選定では除外基準が引き上げられたため、特定地方交通線として承認され、1990年に廃止となりバス転換された。なお、野村駅 - 西脇駅間に限っては引き上げられた除外基準をも上回っており、この区間のみの部分存続も検討されたが実現しなかった。なお、廃線後の跡地は自転車道として整備されたり、市原駅や鍛冶屋駅が鉄道記念資料館として整備されるなど、有効的な活用が図られている。
鍛冶屋線(廃線)
野村駅(西脇市駅) - 西脇駅 - 市原駅 - 羽安駅 - 曽我井駅 - 中村町駅 - 鍛冶屋駅
 @西脇市駅(にしわきしえき)は、兵庫県西脇市野村町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線の駅である。西脇市の代表駅である。1990年(平成2年)3月31日までは野村駅(のむらえき)を名乗り、鍛冶屋線への接続駅でもあった。
 @西脇市駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を持つ地上駅になっている。有人駅でみどりの窓口がある。みどりの窓口は旧鍛冶屋線西脇駅にあったみどりの窓口を移管する形で開設した。電化前は始発から終電まで窓口営業を行っていたが、加古川線電化とともに夜間の営業を行わなくなった。2009年(平成21年)7月1日以降は加古川駅が管理し、ジェイアール西日本交通サービスが駅業務を受託する業務委託駅となっている。これにより、加古川線の中間駅から直営駅が消滅した。多くの駅では駅舎側から1番のりばとなっているが、当駅では逆で駅舎から遠いところから順に、1・2・3番のりばとなっている。従って1・2番のりばが島式である。ただし、日中は加古川方面の列車が3番のりば、谷川方面の列車が1番のりばに発着しており、2番のりばは一部の加古川方面の列車のみ使用する。そのため、運転系統境界駅で多い「同一平面上での乗り換え」は当駅では基本的に不可能である。運転取り扱い上では1番のりばが上下副本線、3番のりばが上下本線であり、2番のりばは加古川方面への折り返しのみ対応している(2番線の線路自体は現在も谷川方面につながっているが、進路設定がない)。便所は、駅舎北側にある。車庫がある厄神駅と同様、列車の夜間滞泊が行われる駅である。(ただし、終電の1本前の列車のみ厄神駅まで回送され、始発列車の次の列車(平日のみ)も厄神駅から回送されてくる。)
 @クモハ103-3555:現在使用されている車両はすべて電車で、125系および103系(3550番台)で運転されている。西脇市駅を境に、南北それぞれの区間で需要に大きな差があり、加古川駅 - 西脇市駅間には2両や4両編成が必要になることから103系が優先的に使用されており、需要が格段に少なくなる西脇市駅 - 谷川駅間には、当線の電化に合わせて製造された1両で運行可能な125系が全列車で使用されている。そのため、125系の運行は加古川駅 - 西脇市駅間では本数が少なくなっているが、加古川駅 - 厄神駅折り返しに使用されている。朝ラッシュ時には125系による3両編成運行もある。
A加古川線の野村第三踏切より撮影。
A鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。隣の線路は加古川線。
B鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。
C鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。
D鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。踏切跡のレールが残る。
E鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。小型の橋梁跡が残る。
 F鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。大型の橋梁跡が残る。ガーターは当時の鉄骨を流用。
 F鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。大型の橋梁跡が残る。欄干等は遊歩道整備時に新設。
G鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。
H鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。
I鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。
J鍛冶屋線の野村駅(西脇市駅) - 西脇駅間の廃線跡。ここから先は一般道に転用されている。
 K西脇駅(にしわきえき)は、かつて兵庫県西脇市西脇にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)鍛冶屋線の駅。西脇市の中心部に位置し、同線の主要駅であった。なお、現在の西脇市駅とは別である。駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有していた地上駅。単式ホーム側(駅東口)に駅舎があり、駅前にはロータリーがあった。有人駅でみどりの窓口も設置されていた。駅跡地は駅によって分断されていた道路は東西に結合され、駅前にあったロータリーも撤去された。跡地には神姫バスの西脇バスターミナルや西脇ロイヤルホテルが建設された。
K西脇駅跡地にモニュメントが設置されている。
L鍛冶屋線の西脇駅 - 市原駅間の廃線跡。
N鍛冶屋線の西脇駅 - 市原駅間の廃線跡。
O鍛冶屋線の西脇駅 - 市原駅間の廃線跡。
P鍛冶屋線の西脇駅 - 市原駅間の廃線跡。
 Q市原駅(いちはらえき)は、かつて兵庫県西脇市市原町にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)鍛冶屋線の駅である。
 Q市原駅構造は晩年は単式ホーム1面1線のみを有していた地上駅。木造駅舎があった。解体された後の、駅の跡地には旧駅舎を復元した鍛冶屋線市原駅資料館が建てられている。資料館の北側にはキハ30形気動車2両が保存されている。
Q市原駅記念館の展示品。制帽と制服。
Q市原駅記念館の展示写真。昭和35年頃のC12236。西脇駅構内。
Q市原駅記念館の展示写真。
Q市原駅記念館の展示写真。西脇駅構内。
Q市原駅記念館の展示写真。
Q市原駅記念館の展示品。運賃表。 Q市原駅記念館の展示写真。キハ28-3009
Q市原駅記念館の展示品。ヘッドマーク。
Q市原駅記念館の北側にはキハ30形気動車2両が保存されている。
Qキハ30形気動車。
Rアルカディアの門。
R鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
S鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
@鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。トンネルのモニュメント?
A鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
B鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
C鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
D鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
E鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
F鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
G鍛冶屋線の市原駅 - 羽安駅間の廃線跡。
 H鍛冶屋線の羽安駅跡。駅のあった場所の地名はもともと羽山であった。杉原川を渡って北側にある多可郡中町(現多可町)の安田地区と合わせて安田郷と呼ばれていた。鉄道が建設される際に羽山と安田の間で駅の取り合いになり、羽山側に建設されるが駅名は安田口と一旦は決定された。実際に切符の印刷までされていたが、羽山側の反発を受けて両者の地名から1文字ずつ取って「羽安」という名前に決まった。1952年(昭和27年)に合併により西脇市となった際に、町名を駅名に合わせて羽安町としている。
 H鍛冶屋線の羽安駅跡。羽安駅(はやすえき)は、かつて兵庫県西脇市羽安町にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)鍛冶屋線の駅である。駅構造単式ホーム1面1線のみを有していた地上駅。古い木造駅舎があった。駅の跡地は公園になり、ホームの一部が残されている。レールは撤去されているが、レール・枕木の模様が地面に描かれている。
I鍛冶屋線の羽安駅 - 曽我井駅間の廃線跡。遊歩道はここで終わり。
J鍛冶屋線の羽安駅 - 曽我井駅間の廃線跡。道路に完全に転用されている。
K鍛冶屋線の羽安駅 - 曽我井駅間の廃線跡。道路に完全に転用されている。
L鍛冶屋線の羽安駅 - 曽我井駅間の廃線跡。道路に完全に転用されている。
 M曽我井駅(そがいえき)は、かつて兵庫県多可郡中町(現:多可町中区)曽我井字上川原にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)鍛冶屋線の駅である。駅構造は単式ホーム1面1線のみを有していた地上駅。無人駅で駅舎はなかった。
M曽我井駅の跡地は道路になっているが、道路脇に駅があったことを示す案内板が立っている。
N鍛冶屋線の曽我井駅 - 中村町駅間の廃線跡。道路に完全に転用されている。
O鍛冶屋線の曽我井駅 - 中村町駅間の廃線跡。道路に完全に転用されている。
P鍛冶屋線の曽我井駅 - 中村町駅間の廃線跡。道路に完全に転用されている。
Q鍛冶屋線の曽我井駅 - 中村町駅間の廃線跡。道路に完全に転用されている。
 R鍛冶屋線の中村町駅跡。中村町駅(なかむらまちえき)は、かつて兵庫県多可郡中町(現:多可町中区)中村町字巴流にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)鍛冶屋線の駅。中町の中心駅であった。
 R鍛冶屋線の中村町駅跡。中村町駅構造は単式ホーム1面1線を有していた地上駅。大きな木造駅舎が残っていた。駅の跡地は「あかね坂公園」として整備され、駅名標や汽車を模したベンチ、枕木を利用した階段などがある。
 S鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。ここから再び水と風の遊歩道になっている。
@鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。欄干は新設。
@鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。欄干は新設。
 A鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。杉原川に架かる橋梁。ガーターは当時のガーターを流用。欄干等は遊歩道整備時に新設。
A鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。杉原川に架かる橋梁。C12167の図面が描かれている。
B鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。橋台は当時の物を流用。
C鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。
D鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。
E鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。
F鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。
G鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。
H鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。
I鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。制御BOXが残る。
J鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。制御BOXが残る。
K鍛冶屋線の中村町駅 - 鍛冶屋駅間の廃線跡。
 L鍛冶屋駅(かじやえき)は、かつて兵庫県多可郡中町(現:多可町中区)鍛冶屋にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)鍛冶屋線の駅。同線の終着駅であった。鍛冶屋駅構造は単式ホーム1面1線と側線があった地上駅であった。有人駅で、ホームの東側に開業時からの木造駅舎が残っていた。夜間滞泊はなく、西脇駅まで回送で戻っていた。
 L鍛冶屋駅の跡地には当時の駅舎が整備・保存され、鉄道資料館(鍛冶屋線記念館)として使用されている。当日は鍵が掛かっていて硝子越しからしか見られなかった。
L鍛冶屋駅の駅名標が保存されている。 L中村町駅の駅名標が保存されている。
 Lキハ30 69気動車1両が保存され、接してホーム1両分も保存されている。キハ35系気動車(キハ35けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1961年から製造した通勤形気動車である。この呼称は、車両形式称号規程に則った制式のものではないが、同一の設計思想によって製造された気動車のグループを便宜的に総称したものである。具体的には、キハ35形・キハ36形・キハ30形およびこれらの改造車を指す。昭和30年代の高度成長期、大都市近郊の非電化通勤路線向けとして開発されたものである。1961年から1966年にグループ総計で413両が製造され、関西本線を皮切りに首都圏・新潟・中京圏・関西・北部九州を中心に日本各地で使用された。旅客乗降の効率化のため、両開きの幅広ドアを片側あたり3か所に設け、収容力を重視して車内の座席をすべてロングシートとしたことが特徴である。ラッシュ時の輸送に絶大な能力を発揮したが、大都市近郊の路線が軒並み電化されたこととや転用先ローカル線での長距離運用に不向きな設備が災いし、1980年代以降は急激に淘汰された。このため直接の後継車はとくに開発されていない。
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