更新日時 2012年01月30日

廃線探索 大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道
 大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道:大阪窯業は1882年(明治15年)に硫酸瓶製造会社として大阪市内に創業する。明治29年に堺分工場が造られ、この周辺の広大な敷地では、ドイツ留学後の大高庄右衛門らの指導によってホフマン式輪窯にて大量の煉瓦が製造されました。岸和田工場にはもともと和泉煉瓦株式会社があり、1906年(明治39年)に大阪窯業株式会社により吸収・合併され岸和田工場になる。阪窯業岸和田工場の軌道は粘土採取のためのトロッコレールが川沿いに延びていて、岸和田煉瓦との粘土採り合戦を繰り広げメインの軌道は摩湯町あたりまで伸びていました。そこから枝線が田んぼ田んぼにいくつも延びていたものと思われ、「正しい」ルートの解明はなかなか難しい状況です。トロッコレールの敷設には大阪府の知事の許可が必要だったようです。大阪窯業岸和田工場のトロッコは馬力に頼っていました。
 岸和田の煉瓦製造工場群。左写真は大正13年に刊行された、『岸和田要鑑』という市制記念誌に掲載されている写真です。ありし日の岸和田煉瓦株式会社の全体がうかがえる写真です。右写真はまだ埋め立てられていない頃の岸和田の浜辺です。昭和初期の写真でしょうか。明治時代からのホフマン窯や紡績工場の煙突が林立しています。ホフマン窯とは、大きな四角形、円形もしくは楕円形の窯を造ることにより、焼成室が順次移動するため、一つの窯で窯詰め、焼成、搬出と連続して火を絶やすことなく作業が行え、大量生産ができるようにした窯のことです。ドイツ人のホフマン(Friedrich Hoffman)が1858年頃に考案して、やがて改良型が日本各地に普及しました。(出典:岸和田市教育委員会古写真からみる岸和田の文化財【4】
岸和田煉瓦のホフマン窯。(出典:岸和田市教育委員会古写真からみる岸和田の文化財【4】
 @大阪窯業岸和田工場の有った場所は現在は岸和田コーポラス(マンション)が立ち並び、過去の面影は無い。
 A工場内のトロッコ軌道は、川沿いに書かれている地図(大正13年)と工場内まで引き込まれている地図(昭和6年)があり、時代によりルートが変化しているようだ。
B大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。紀州街道を渡る部分。
C大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。軌道跡を特定することは出来ない。
F大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。荒木町西交差点付近。
G大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。軌道跡を特定することは出来ない。
H大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。国道26号線を横断するあたり。
I大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。軌道跡を特定することは出来ない。
 J大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。古地図を重ね合わせると現在の八木小の校庭を貫いていた。当時は小学校は無かった。
K大阪窯業岸和田工場トロッコ軌道跡周辺。古地図上ではこの辺が終点。フラッグ
ひらめき電球↑マウスを置くと古地図が表れます↑グッド!
 岸和田城企画展で「岸和田モダンタイム 大正〜昭和戦前期の諸相」に展示されている岸和田煉瓦のドイツ製機関車の設計図。
岸煉のトロッコレールと岸煉之株券と岸煉製煉瓦。(岸和田城企画展)
 左写真は岸和田煉瓦トロッコの出土したレール(6s/m)。岸和田市教育委員会生涯学習部 郷土文化室 山岡邦章様からもらいました。レールはこれが最後だそうです。犬釘は東京大学演習林軌道で見つけた犬釘。右写真の比較のレールは30s/mのレールでひたちなか海浜鉄道で買ったレール。犬釘は神奈川臨海鉄道の廃線跡で見つけた犬釘。
 大正13年の『岸和田要鑑』の付図を見ると、地図にこういったホフマン窯の楕円形が5箇所記載されており、その規模がうかがい知れます。地図上側は大阪窯業の煉瓦工場です。地図には岸和田煉瓦の工場から粘土採掘をおこなった場所へ向かうトロッコの軌道も表記されています。上図は岸和田市の市制記念誌に付録されている地図です。(出典:岸和田市教育委員会古写真からみる岸和田の文化財【4】
出典:財団法人大阪府文化財センター 岸和田市下池田遺跡調査報告書2009年7月より転載。
岸和田煉瓦トロッコ軌道リンク
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