廃線探索 神戸臨港線

更新日時 2012年03月16日

 神戸臨港線(こうべりんこうせん)とは、兵庫県神戸市内にあった東海道本線の貨物支線の通称である。東海道本線の東灘信号場から分岐して国道2号線を跨いで神戸港駅へ単線で向かっていた。神戸港の発展とともに臨港線から分岐する専用線が拡大したが、1980年代の鉄道貨物輸送縮小に伴い、ほとんどの路線が廃止された。国鉄時代に廃止されずに残った神戸港駅も2003年12月1日をもって廃止、その業務を神戸貨物ターミナル駅に委譲した。国道2号線南側付近から旧神戸港までの跡地はすべて整備されマンション等が建設されたが、灘駅南側付近から国道2号線南側付近までは橋梁を含め跡地の一部をそのまま活用し遊歩道へと整備され、今でも当時の面影を見ることが出来る。遊歩道には近隣の住友ゴム工業寄贈の桜の木約100本が植樹された。途中、神戸市立科学技術高等学校付近の約200m区間には、同校の鉄道研究会が作製したミニSLの線路が常設され、同研究会により年数回運転を行うイベントが開催されており、近隣の保育園の園児や市民が試乗会に参加している。
所有者:日本貨物鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):東灘信号場 - 神戸港駅 間 3.4km
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
 @灘駅(なだえき)は、兵庫県神戸市灘区岩屋北町七丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅である。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。
 @灘駅構造は島式ホーム2面4線を持つ地上駅である。かつてあった地上駅舎は橋上駅舎化されており、改札は1か所となっている。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA及び提携ICカードが利用可能な駅である。直営駅(三ノ宮駅の被管理駅)。列車の運行障害時に当駅で折り返し運転が行えるように、駅構内に列車折り返し設備が新設されることが発表されており、現在当駅三ノ宮方にて内側上り線から下り線への亘り線の新設工事が行われている。
 A東灘信号場(ひがしなだしんごうじょう)は、神戸市灘区灘南通六丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(JR神戸線)の信号場である。同線の六甲道駅 - 灘駅間に位置する。元々は東灘駅という貨物駅であった。当駅と神戸港駅の間から分岐する神戸製鋼所神戸製鉄所岩屋地区(現在閉鎖)への専用線が接続し、貨物輸送を行っていた。しかし専用線が廃止されたため貨物取扱を廃止し、東灘操車場となり操車場に格下げされた。その後貨物輸送の削減と方針転換で役目を終え、信号場となった。廃線後は現在歩道となっており鉄橋、架線柱などが残っている。
 A東灘信号場はかつて貨物駅の神戸港駅へ向かう支線(通称、神戸臨港線)が分岐していたが、2003年12月1日に神戸貨物ターミナル駅が開業したことで神戸港駅は廃止されたため、現在では貨物列車や回送列車の待避(営業旅客列車を先に通すため)と異常時の車両留置のための信号場となっている。複々線の両側にそれぞれ1本の待避線が設けられており、長大貨物列車の待避に備えて総延長は1kmほどある。2000年3月11日 - 2002年10月4日の間は日中の快速がこの信号場を利用して外側線 - 内側線の間を移動していた。かつては留置線や待避線が多数存在したが、前述した支線の廃止によりその大部分は撤去されている。
A神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。人道のトンネル部に橋台跡が残る。
B神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。東海道本線をアンダーパスするために割堀に成っている。
C神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。東海道本線をアンダーパスするトンネルは埋められている。
D神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。反対側も埋められている。
 E「大陸連絡列車もくぐった?!灘のタカバシ」明治7年、大阪〜神戸間に鉄道が開通し、同40年、現在のJR灘駅の約300m東にあった旧灘駅から中央区の小野浜にかけて臨港線のレールが敷かれました。その時岩屋村(今のJR灘駅周辺)と田原村(今の阪急王子公園駅南側一帯)とを結ぶ道筋に設けられた鉄道を跨ぐ橋として建設されました。「タカバシ」の名で親しまれ、近くの交差点名にもなっています。当時は赤煉瓦で造られ、震災前までは橋脚部分に一部その面影が残っていました。
E神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。タカバシから撮影。
F神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。神戸・灘プロジェクトのマンション建設が進む。
G神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。ここから遊歩道になっている。
 G臨港線:近代に於いて、船舶は最も優れた大量輸送機関で、港で陸揚げされた貨物を内陸へと運ぶには、鉄道が重要な役割を」果たしていました。大規模な港では港湾施設の一部とも言える存在で、これが各地の港に敷設された「臨港鉄道」です。1869年(慶応4年)に開港した神戸港は、大型汽船は沖泊まりで艀による荷揚げが行われていました。1907年(明治40年)にようやく東海道本線に貨物駅として灘駅(現在の灘駅より東側にありました)ができ、ここから分岐した小野浜で、貨物の取扱を始めました。その後、神戸港の整備が進み、1922年(大正11年)には4本の突堤が完成し、小野浜駅からそれぞれに引き込み線が延長されその後神戸港駅(現神戸震災復興記念公園)と改称し、市民の交通手段にもなりました。大正から昭和時代に最盛期を迎えましたが、時代は鉄道からトラック輸送へと移行し、神戸の近代化に大きく寄与した臨港線も、2003年(平成15年)にはすべて廃止されました。市道・臨港線は鉄道の廃止後、鉄道竣工から100年の歴史を感じつつ、誰もが健康づくりを楽しみながら、歩くことができる桜並木として生まれかわりました。
G神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
H神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。遊歩道のキロポストが設置されている。
H神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。橋台は当時の物だが橋桁は新設された様だ。
I神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。橋台は当時の物だが橋桁は新設された様だ。
J神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
K神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
 K神戸市立科学技術高等学校付近の約200m区間には、同校の鉄道研究会が作製したミニSLの線路が常設されている。
K神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
L神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。橋台は当時の物だが橋桁は新設された様だ。
L神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
L神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。この橋梁は当時の橋梁。
L神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。架線柱が残る。
L神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。鉄橋の銘板類。
M神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
N神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。線路及びキロポストがモニュメントとして設置されている。
O神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。線路及びキロポストがモニュメントとして設置されている。
O神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
O神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。橋台が残る。
P神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。緑地帯が廃線跡。
Q神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。駐車場及び緑地帯が廃線跡。
R神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。緑地帯及び公園が廃線跡。
S神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。川には橋梁が架かっていたと思われる。
 Sこの煉瓦造りの下水道は、明治40年(1907年)に竣工した神戸臨港鉄道の神戸港駅構内に造られたもので、この上を神戸港に出入りする貨物列車や旅客列車が通っていました。都市計画道路生田川右岸線の整備に伴い、文化財として移設保存しました。神戸港は埋め立て地にあり、下水道の構造にあたっては、当時の砂浜にコンクリートで基礎を造り、その上に花崗岩の切石を並べ、煉瓦を積み上げています。躯体の形はL字形で、その端部には長方形に加工した花崗岩の切石を交互に積み上げています。また、部分的に斜め方向に煉瓦を積み上げている部分があり、下水道にかかる列車の荷重を分散させるための工夫が見られます。下水道の四隅に建てられた石と煉瓦造りの柱状のモニュメントは、この公園の北側を東西に走っていた神戸臨港鉄道南元町架道橋橋台の一部で、神戸新都心地区区画整理事業に伴い発掘調査をし、移設保存した物です。神戸臨港鉄道は近代神戸港築造とその発展の原動力となり、物資や旅客輸送の役割を担ってきましたが、平成15年に廃線となりました。神戸臨港鉄道の建設に当たっては、海岸線を埋め立て、臨港地帯を形成することを予定し、高架としてあらゆる所に石と煉瓦で組上げた架道橋を造り上げています。このHAT神戸も、その前身は葺合港湾という明治40年から明治43年にかけて、海岸を埋め立て築造された港湾施設で、これに通じる架道橋を4基築造していました。なお、架道橋橋台は、現地で埋め戻して保存されています。
@神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
A神戸臨港線の東灘駅−神戸港駅間の廃線跡。
 B神戸港駅(こうべこうえき)とは、かつて兵庫県神戸市中央区小野浜町2にあった日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である。東海道本線貨物支線(通称、神戸臨港線)の終点であった。日本国有鉄道(国鉄)からJRにかけて、神戸市、特に神戸港の貨物取扱の中心であったが、2003年12月1日に廃止された。末期には、2面のコンテナホーム、3本の荷役線、その他仕分線、留置線が数本あった。また1982年12月に改築された2代目の3階建ての駅舎があった。1980年頃まで新港突堤にあった三井倉庫・澁澤倉庫・三菱倉庫など倉庫へ専用線や構内側線が敷設され、有蓋車が乗り入れ貨物輸送を行っていた。このうち三菱倉庫専用線では、隣駅の湊川駅が廃止になったことにより1985年から麦芽輸送を引き継ぎ、1986年11月1日に廃止になるまで岡山工場が周辺にある万富駅や、広島工場(現・キリンビアパーク広島)がある東広島駅(現広島貨物ターミナル駅、現在の東広島駅とは別の駅)に専用線が接続するキリンビール工場へ麦芽を発送していた。また、現在「HAT神戸」と呼ばれている場所にあった川崎製鉄(現・JFEスチール)阪神製造所や神戸製鋼所神戸製鉄所への専用線があった。川崎製鉄専用線は1970年代まで、神戸製鋼所専用線は1986年まで鉄鋼製品などを輸送するために使用された。なお、神戸製鋼所専用線の一部は1972年に摩耶埠頭駅までの国鉄線の一部となり、残部は摩耶埠頭駅分岐扱いになっている。
B神戸港駅の配線図。
 B神戸港駅跡地は、震災後の復旧事業の一環として、跡地には2010年1月17日に「神戸震災復興記念公園」がオープンした。駅廃止から公園整備まで7年を要したのは、跡地の土壌が鉛などで汚染されていることが判明し、公園建設前に土壌の入替作業が必要となったためである。
C神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
 D我が国の道路橋の耐震技術は、関東大震災(1923年/大正12年)を契機に導入されて以来、幾たびかの経験を踏まえて確立されてきましたが、今回の大地震は、これまでに直面したことのない大規模なものでした。建設省が管理する国道では、路面が陥没するなど道路施設の多くがいたるところで大きな被害を受けました。中でも、2号浜手バイパス、2号ポートライナー、43号岩屋高架橋及び171号門戸高架橋の4箇所においては、橋脚が傾いたり、橋桁が落橋あるいは大きくずれるなどの大きな被害を受けました。これらの復興に際しては、今回規模の地震にも十分耐えられる道路橋とするため、新たな知見を取り入れ、耐震性能を強化するなど、安全で安心の出来るものとし、早期復旧に向けて全力で取り組みました。この結果、平成8年5月2日の国道2号浜手バイパスを最後に、472日ぶりに被災した4橋梁全てについて交通を再開することができました。私たちは今後も、この震災から得た教訓を風化させず、引き続き「安全で災害に強い道づくり」をすすめてまいります。こうしたことから、「被災の姿」を後世に残すことを望む声や、防災意識の高揚に資するため、ここに被災した浜手バイパスの「RC橋脚、伸縮装置、支承」を保存することとしました。
D伸縮装置。 D支承。
E旧海軍操練所跡。
F神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
G神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
H神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
I神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
J神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
K神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
L神戸臨港線の神戸港駅 - 湊川駅間の廃線跡。
 M湊川駅跡。湊川駅(みなとがわえき)は、かつて兵庫県神戸市兵庫区東川崎町にあった日本国有鉄道(国鉄)東海道本線の貨物支線(通称、神戸臨港線)に存在した貨物駅である。同線の終点であったが、1980年代の鉄道貨物輸送事業縮小により、廃止された。川崎重工などの、専用線が接続していた。他、三菱倉庫からキリンビール岡山工場の最寄の万富駅、広島工場へ専用線が延びていた旧東広島駅(現在の新幹線東広島駅とは別)に麦芽を発送していた。
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