廃線探索 赤穂鉄道

更新日時 2014年10月16日

 赤穂鉄道は、かつて国鉄山陽本線の有年駅から播州赤穂駅(現在の播州赤穂駅とは別駅)間の鉄道路線を運営していた鉄道事業者である。播磨国(兵庫県西部)の西端にあり、赤穂藩(元禄赤穂事件などで著名)の城下町であった赤穂町(後に赤穂市)は、瀬戸内海に面し、塩田を擁する製塩地としても知られていた。しかし、1890年(明治23年)に山陽鉄道が路線(現在の山陽本線)を山間部に敷設すると鉄道ネットワークから取り残されたため、鉄道を同線の有年駅から町中心部まで敷設しようとする発案が幾度か挙がったが、いずれも予算問題で立ち消えとなっていた。しかし1910年(明治43年)に軽便鉄道法が公布されたことから、これを契機として軌間762mmの軽便鉄道の敷設が決定され1915年(大正4年)に会社創設、1921年(大正10年)に開業した。赤穂鉄道は塩の輸送のほか、観光誘致にも積極的で、赤穂周辺においてバス事業も展開した。戦後、山陽本線相生駅と接続する国鉄赤穂線が開業することになったため、1951年(昭和26年)に廃止となった。
赤穂鉄道駅一覧
有年駅 - 富原駅 - 真殿駅 - 周世駅 - 根木駅 - 目坂駅 - 坂越駅 - 砂子駅 - 播州赤穂駅
赤穂鉄道について地元の方からメールを頂きました。(以下原文のママ)
 もう60年以上も前に廃止になった「赤鉄」こと赤穂鉄道、線路跡の道を歩いた事はありませんが、昔を思い出します。昔は山陽本線有年駅まで、約一時間かけてコトコトと走っていて、途中、勾配のきつい所では、“飛び降りてションベンをしてまた飛び乗れる”と言ってたものです。小学生の頃までこの鉄道に随分お世話になり、中学校の修学旅行の時は、もう国鉄赤穂線が“日生”まで開通していました。小学4・5年生の頃、一人旅で岐阜へ嫁いだ姉の処へ遊びに行き、帰って来て国鉄を「有年」駅で夜の「赤鉄」に乗り換えた時、車内の酷く暗い照明に、うら寂れた思いに包まれた事など、今も時々思い出します。人生も終わりに近づき、越し方を思うとき、「人間は田舎で子供時代を過ごした方が、都会の子より数段豊かな感性を蓄える事が出来る」と、思う様になりました。都会育ちのうちのカミさんに比べ、オレの方が数倍豊かな「自然との触れ合い経験」を持っているなぁ、と、つまらぬ誇りを持ってカミさんに喋る物ですから、何時もカミさんにシラケられて居ります。
 @有年駅(うねえき)は、兵庫県赤穂市有年横尾にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅である。駅舎に掲示されている建物財産標に「明治23年7月」(1890年)と書かれているため、兵庫県現存最古の駅舎とされている。
 @有年駅構造は12両対応、単式・島式の複合型2面3線のホームを持ち、島式の片側の1線が使われていない地上駅である。上りのみ特急や貨物列車が使用する通過線(4番線)が1本、1番線南側に側線が2本ある。4番線(通過線)が上り本線にあたる。下り本線は1番のりばであり、2番のりばは上下線共用の待避線(中線)、使用停止中の3番のりばが上り副本線である。2009年(平成21年)3月13日まで、相生・姫路方面の上り旅客列車は3番のりばを使用し、2番のりばは一部の例外を除いて上り貨物列車が待避のために入線していたが、翌14日の改正で3番のりばの使用が信号機なども含めて停止され、線路も大半が撤去された。現在は実質的に相対式2面2線として運用されている。そのため、相生・姫路方面の上り旅客列車はすべて2番のりばに停車するようになり、上り貨物列車は通過線上で運転停車して待避するようになった。ホーム上の乗車位置目標も3番のりばからは抹消され、2番のりばに再整備された。
@赤穂鉄道の有年駅が有った場所。貨物の積み替えのヤードが存在した。地図航空写真参照。
A赤穂鉄道の有年駅 - 富原駅間の廃線跡。廃線跡はここから国道2号線に転用されている。
B赤穂鉄道の有年駅 - 富原駅間の廃線跡。国道2号線から分かれて千種川沿いに廃線跡は続く。
 C赤穂鉄道の有年駅 - 富原駅間の廃線跡。廃線跡は川沿いではなく川を迂回するように須賀神社方向へ進む。国土変遷アーカイブスの1947年10月07日撮影の航空写真で解る。
D赤穂鉄道の有年駅 - 富原駅間の廃線跡。道路は再び1本になり廃線跡は続く。船着場跡の表示がある。
E赤穂鉄道の有年駅 - 富原駅間の廃線跡。廃線跡は県道525号線に転用されている。
F赤穂鉄道の有年駅 - 富原駅間の廃線跡。富原の集落に降りる道と分岐する。
 G赤穂鉄道の富原駅跡。富原駅は真殿駅間1.5q、有年駅間2.3qの停車場で、乗客がある場合にのみ列車が停車していた。駅舎は無人で、待合所のみの簡便な建物であった。(赤穂市教育委員会解説の標柱がある)
H赤穂鉄道の富原駅 - 真殿駅間の廃線跡。富原の集落からの道と合流する。
I赤穂鉄道の富原駅 - 真殿駅間の廃線跡。
 J赤穂鉄道の真殿駅跡。真殿駅は乗客の乗り降り用の駅ではなく、蒸気機関車に給水したり、石炭を積み込むための駅である。駅舎には便所の他、軌道脇に貯水槽が設置されていた。(赤穂市教育委員会解説の標柱がある)
K赤穂鉄道の真殿駅 - 周世駅間の廃線跡。此方の方が給水塔の基礎のように思えるが・・・
此方が真殿駅跡と思えないでもないが、赤穂市教育委員会解説の標柱は無い。
L赤穂鉄道の真殿駅 - 周世駅間の廃線跡。切り通しがある。
M赤穂鉄道の真殿駅 - 周世駅間の廃線跡。崖を切り開いて造られた事が解る。
N赤穂鉄道の真殿駅 - 周世駅間の廃線跡。千種川が大きく左へ蛇行する部分に周世集落がある。
 O赤穂鉄道の周世駅跡。周世駅は根本駅間1.8q、真殿駅間1.9qの停車場で乗客がある場合にのみ列車が停車していた。駅舎は無人で待合所のみの簡便な建物であった。(赤穂市教育委員会解説の標柱がある)この先県道457号線と合流する。
 P赤穂鉄道の周世駅 - 根木駅間の廃線跡。道路橋の高雄橋脇に鉄道橋の根木鉄橋が架かっていた。根木鉄橋はトラス構造で廃線後も1978年(昭和53年)まで道路橋として使われた。
P赤穂鉄道の周世駅 - 根木駅間の廃線跡。根木鉄橋の橋脚跡が残る。橋脚は丸く2本有ったことが解る。
 Q赤穂鉄道の根木駅跡。根木バス停。1921年(大正10年)に播州赤穂・有年間を結ぶ軽便鉄道が開通した。ここに根木駅舎があり駅長が常勤していた。ここから千種川を渡った山裾に線路が通っていた。根木駅は島式の1面2線のホームであった。根木駅より先は右から高雄隧道を抜けてきた県道90号線と合流する。
 R赤穂鉄道の根木駅 - 目坂駅間の廃線跡。県道90号線から分岐し山裾沿いに廃線跡は続くが、この先は崖崩れのため通行止めで迂回する。
S赤穂鉄道の根木駅 - 目坂駅間の廃線跡。崖崩れの場所を迂回して来た。
@赤穂鉄道の目坂駅跡。目坂バス停付近。
A赤穂鉄道の目坂駅 - 坂越駅間の廃線跡。木津バス停付近。
B赤穂鉄道の目坂駅 - 坂越駅間の廃線跡。龍泉寺前バス停付近。
C赤穂鉄道の目坂駅 - 坂越駅間の廃線跡。
 D赤穂鉄道の坂越駅跡。みかんの木がある場所が駅跡(地元のおばさんの証言:標柱の後ろのおばさん)標柱より目坂駅側に約20mほど行ったところ。坂越駅は浜市にあり砂子駅間1.8q、目坂駅間1.8qであった。駅には駅舎(事務室・待合所・社宅)と便所があった。また、駅前から坂越港行きの赤鉄バスが発着していた。
 E赤穂鉄道の坂越駅 - 砂子駅間の廃線跡。赤穂仁泉病院前ぐらいで用水路を渡る橋台が残る。現在は導水管の橋台に転用されている。
F赤穂鉄道の坂越駅 - 砂子駅間の廃線跡。用水路沿いに廃線跡は続く。
 G赤穂鉄道の砂子駅跡。標柱からは北へ(坂越駅方面)約50mと書かれている。写真の長楽寺周辺が駅跡。播州赤穂駅から2.5q北にある停車場で、乗客がある場合にのみ列車が停車していた。駅舎は待合所のみの簡便な建物であった。また、裏山には保線用の土取場があった。(赤穂市教育委員会解説の標柱は小山東谷川の才崎橋横にある)
H赤穂鉄道の砂子駅 - 播州赤穂駅間の廃線跡。ここから再び水路脇に廃線跡が続く。
I赤穂鉄道の砂子駅 - 播州赤穂駅間の廃線跡。水路脇に廃線跡が残る。
J赤穂鉄道の砂子駅 - 播州赤穂駅間の廃線跡。水路脇に廃線跡が残る。
K赤穂鉄道の砂子駅 - 播州赤穂駅間の廃線跡。水路脇に廃線跡が残る。
L赤穂鉄道の砂子駅 - 播州赤穂駅間の廃線跡。
M赤穂鉄道の砂子駅 - 播州赤穂駅間の廃線跡。
N赤穂鉄道の砂子駅 - 播州赤穂駅間の廃線跡。イオン赤穂ショッピングシティー脇。
 O赤穂鉄道の播州赤穂駅跡。1921年(大正10年)に播州赤穂・有年間の12.7qを結ぶ軽便鉄道として開通した。1951年(昭和26年)の国鉄赤穂線が開通するまで活躍した。
 O赤穂線の播州赤穂駅より南側の位置(現在のウエスト神姫赤穂営業所)にあった。
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