更新日時 2014年01月31日

廃線探索 国見山石灰鉱業専用線
 国見山石灰鉱業専用線:南伊勢町の旧南島町では国見山石灰鉱業株式会社の石灰鉱山から港まで国見山石灰鉱業専用線が運用されていたため、国道260号に踏み切りが設置されていた。この鉱山は1934年(昭和9年)に大阪セメント株式会社により開かれ、昭和54年6月に国見山石灰鉱業株式会社に譲り渡された。1985年(昭和60年)には51名の従業員により564,000トンの石灰石が船に積込まれた。鉱山から吉津港までの約3Kmを結んでいた。運転は平日のみで1時間間隔で往復していた。2001年1月からベルトコンベア輸送が開始され、国見山石灰鉱業専用線は廃止されました。
@国見山石灰鉱業の吉津港の積み出し場。
@この横穴は何の穴なのですかね? @国見山石灰鉱業の吉津港の積み出し場。
@国見山石灰鉱業株式会社 三重鉱業所。 @国見山石灰鉱業のベルトコンベア。
A国見山石灰鉱業専用線跡。一部レールが残る。
B国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
C国見山石灰鉱業の国見隧道内のベルトコンベア。
D国見山石灰鉱業専用線跡。ここから先はレールが残る。
E国見山石灰鉱業専用線跡。伊勢地川の支流を渡る鉄橋も残る。
F国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
G国見山石灰鉱業専用線跡。踏切部分はレールが撤去されている。
H国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
I国見山石灰鉱業専用線跡。伊勢地川を渡る鉄橋も残る。
J国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
K国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
L国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
M国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
N国見山石灰鉱業専用線跡。ベルトコンベアラインと合流する。
O国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
P国見山石灰鉱業専用線跡。子畑のガーター橋が残る。
Q国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
R国見山石灰鉱業専用線跡。(左写真が鉱山方面・右写真が吉津港方面)
 RD-505は新日鐵広畑製鉄所で使用されていたもので1986年(昭和61年)11月1日新日鐵広畑製鉄所専用鉄道が廃止され、この国見山石灰鉱業専用に譲渡された。
R日本車輌製D-505。50t機。昭和55年製。NO.3325。
S国見山石灰鉱業専用線跡。ここで石灰を積み込んでいた。D-507号機は解体されたか?
国見山鉱山の採掘場。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『南伊勢町』を掲載」