更新日時 2016年02月11日

廃線探索 別府鉄道
 別府鉄道株式会社(べふてつどう)は、かつて兵庫県西南部で鉄道事業を行っていた会社。1984年に鉄道事業から撤退した後は、タクシーならびに貸切バス事業者として営業を続けた。本社は兵庫県加古川市。鉄道事業は貨物輸送が主体だったが、旅客営業も行っていた。輸送量の減少により、1984年2月1日国鉄ダイヤ改正(操車場の廃止と貨物列車大整理)を機会に、貨物輸送の維持ができなくなり、全線が廃止された。2010年(平成22年)1月、同社から一部の部門が独立する形で、別府タクシーへタクシー事業・派遣事業・運行管理事業を譲渡した。創業時の社名は別府軽便鉄道。別府港にある、創業者の多木久米次郎が経営する化学肥料製造会社の多木製肥所(現在の多木化学)の肥料製品を積み出すための鉄道として、1921年に野口線が開業、1923年に土山線が開業した。戦時中は野口線が不要不急線として休止され、資材も供出させられたが、土山線は肥料輸送の重要性が認められ存続した(野口線は1947年運行再開)。なお、1946年に別府鉄道に社名変更している。また、1944年に別府港で操業を開始した製鉄化学工業(現・住友精化)の製品輸送を担うようになった。1966年には土山線沿線に川崎重工業の車両工場が新設され、そこで新製された貨車の搬出にも利用された。
別府鉄道 野口線・土山線(廃線)両線とも1984年廃止
野口線 : 野口駅 - 藤原製作所前駅 - 円長寺駅 - 坂井駅 - 別府口駅 - 別府港駅 - 港口駅
土山線 : 別府港駅 - 中野駅 - (川崎車輛工場前信号所) - 土山駅
 @野口駅(のぐちえき)は、かつて兵庫県加古川市野口町良野に存在した、日本国有鉄道(国鉄)高砂線・別府鉄道野口線の駅である。 高砂線と野口線の接続駅だったが、両線とも列車本数が少なく、付近を走る国鉄山陽本線や山陽電気鉄道本線がこの地域の旅客輸送の大半を担っていたこともあり、市街にあり、加古川市役所からは一番近い鉄道駅だったにも関わらず、日中は乗客は多く見られなかった。駅舎のない無人駅で、島式ホーム1面2線の配線となっており、西側のホームを高砂線が、東側のホームを野口線が使用していた。ホームの北端には一応改札用の柵も設けてあったが、ほとんど利用されていなかった。野口線には客車列車時代の名残で、機回し線が残存していた。その姿から、「日本一寂しい国鉄・私鉄の接続駅」と呼ばれることもあったとされる。
A別府鉄道野口線の野口駅 - 藤原製作所前駅間の廃線跡。松風こみちの遊歩道に転用。
B別府鉄道野口線の野口駅 - 藤原製作所前駅間の廃線跡。松風こみちの遊歩道に転用。
C別府鉄道野口線の野口駅 - 藤原製作所前駅間の廃線跡。橋梁が残る。
C別府鉄道野口線の野口駅 - 藤原製作所前駅間の廃線跡。橋梁が残る。
 D藤原製作所前駅(ふじわらせいさくしょまええき)は、かつて兵庫県加古川市野口町長砂にあった別府鉄道野口線の駅である。別府鉄道廃線に伴い1984年(昭和59年)1月31日のさよなら運転をもって廃止された。駅構造は島式ホーム1面1線を有していた地上駅。線路跡は、加古川市の遊歩道『松風こみち』として整備されている。駅跡は休憩所となっており、ベンチが備えられている。
E別府鉄道野口線の藤原製作所前駅 - 円長寺駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
 F円長寺駅(えんちょうじえき)は、かつて兵庫県加古川市野口町にあった別府鉄道野口線の駅である。別府鉄道廃線に伴い1984年(昭和59年)1月31日のさよなら運転をもって廃止された。駅設置にあたり、地元住民が土地を提供した請願駅であった。駅構造は島式ホーム1面1線を有していた地上駅。線路跡は、加古川市の遊歩道『松風こみち』として整備されている。
F円長寺駅跡は広場となっている。また、廃線時に走行していたキハ2が静態保存されている。
F円長寺駅跡は広場に廃止時の円長寺駅の時刻表が柵に掛けられている。
G別府鉄道野口線の円長寺駅 - 坂井駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
H別府鉄道野口線の円長寺駅 - 坂井駅間の廃線跡。踏切跡にレールが残る。
I別府鉄道野口線の円長寺駅 - 坂井駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
J別府鉄道野口線の円長寺駅 - 坂井駅間の廃線跡。
K別府鉄道野口線の坂井駅 - 別府口駅間の廃線跡。
L別府鉄道野口線の坂井駅 - 別府口駅間の廃線跡。
 M別府口駅(べふくちえき)は、かつて兵庫県加古川市別府町にあった別府鉄道野口線の駅である。山陽電気鉄道本線の別府駅(当時は電鉄別府駅)の最寄り駅であった。別府鉄道廃線に伴い1984年(昭和59年)1月31日のさよなら運転をもって廃止された。駅構造は島式ホーム1面1線を有していた地上駅。線路跡は、加古川市の遊歩道『松風こみち』として整備されている。駅跡は休憩所となっており、ベンチが備えられている。
N別府鉄道野口線の別府港駅 - 港口駅間の廃線跡。
O別府鉄道野口線(土山線)の別府港駅 - 港口駅間の廃線跡。
 P別府港駅(べふこうえき)は、かつて兵庫県加古川市別府町緑町にあった別府鉄道の駅である。野口線と土山線の合流地点で、別府鉄道廃線に伴い1984年(昭和59年)1月31日のさよなら運転をもって廃止された。駅構造は島式ホーム1面2線を有していた地上駅。1本は行き止まりで、もう1本はさらに南方向へ専用線に接続していた。専用線は、多木化学本社工場、さらにその先の住友精化別府工場へ続いていた。構内は数本の側線も引かれており、貨車・客車の入れ替えも盛んに行われていた。機関区も併設されていた。線路跡、駅跡はほとんどが道路などになったがホームの跡が残っている。そばには現在でも別府鉄道の本社が存在する。構内の側線、機関区跡にはイトーヨーカドー加古川店やオートバックスなどが建っている。
Q別府鉄道土山線の別府港駅 - 中野駅間の廃線跡。
R別府鉄道土山線の別府港駅 - 中野駅間の廃線跡。
 S中野駅(なかのえき)は、かつて兵庫県加古川市平岡町中野にあった別府鉄道土山線の駅である。別府鉄道廃線に伴い1984年(昭和59年)1月31日のさよなら運転をもって廃止された。駅構造は島式ホーム1面1線を有していた地上駅。ホームは2両編成分程度の長さしかなかった。乗務員に下車を申告しておかないと通過することがあった。
@別府鉄道土山線の中野駅 - 川崎車輛工場前信号所間の廃線跡。
 @別府鉄道土山線の中野駅 - 川崎車輛工場前信号所間の脇にワ124が置いていある。川崎車輛工場前信号所(かわさきしゃりょうこうじょうまえしんごうしょ)は、かつて兵庫県加古川市平岡町山之上にあった別府鉄道土山線の信号所であった。川崎車輛工場で製造された貨車の搬出に利用された 。別府鉄道廃線に伴い1984年(昭和59年)1月31日のさよなら運転をもって廃止された。川崎車両加古川工場は、1966年(昭和41年)1月に操業を開始した。操業開始時は、国鉄向け量産貨車(主に有蓋貨車)を生産していたが、2013年6月現在、二輪車のアルミ鋳造品を生産している。この有蓋車も川崎車両製か?
A別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。道路に転用されている。
B別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。この先は公園になっている。
C別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
D別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
E別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
F別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
G別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
H別府鉄道土山線の川崎車輛工場前信号所 - 土山駅 間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
 I土山駅(つちやまえき)は、兵庫県加古郡播磨町野添(一部は明石市)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅である。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。
 I土山駅構造は単式・島式の複合型2面3線のプラットホームを持つ中線待避構造の橋上駅になっている。ホームの東側は明石市の市域である。上り本線は1番のりば、下り本線は3番のりばであり、通常の停車にはこのホームが使われる。2番のりばは上下線共用の中線である。この乗り場に停車する列車は新快速・特急を待避する列車で、大阪方面は朝7時台、姫路方面は8・10時台に1本ずつと18 - 20時台の列車が使用する。緊急時の折り返しにも対応しており、事故などでダイヤが乱れた場合、当駅で運転打ち切りおよび当駅 - 姫路方面間で見合わせになることがある。駅の北東には保線車両などの留置線が2線敷設されている。かつては南側に別府鉄道のホームがあり、3面5線の広大な構内だった。また、駅ホームの南側には貨物輸送のために留置線が2線設置されていたほか、山陽本線とも線路は直接つながっていた。直営駅(加古川駅の被管理駅)。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA及び提携ICカード利用可能駅である。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『播磨町』を掲載」