更新日時 2015年03月16日

 高砂線(たかさごせん)は、兵庫県加古川市の加古川駅から兵庫県高砂市の高砂駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年(昭和55年)の国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定され、1984年(昭和59年)11月30日限りで廃止された。加古川の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が、舟運の物資集散地であった高砂と流域各地を結ぶ路線として開通させ、その後も貨物輸送を中心とした輸送体系が続いた。戦後は沿線に国鉄高砂工場も置かれ、貨物列車に加えて工場入出場のための回送列車も設定されており、高砂市中心部に乗り入れていたものの旅客列車は運転本数が少なかった(最末期は日中2時間毎)。そのため旅客需要は神戸や姫路方面への直通電車を頻繁に運転する山陽電気鉄道や、加古川へ頻繁運転する(当時日中30分毎・尾上駅南方の大崎停留所 - 加古川駅間は15分毎)神姫バスの利用がほとんどで、高砂線の利用者は定期運賃の安さから高校生が中心となっていた。国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定された後も、高砂工場の存在や沿線人口の多さから楽観視されていたが、高砂工場の閉鎖が決まり、また尾上 - 高砂北口間の第二加古川橋梁の老朽化から第三セクター鉄道への移行が諦められ、廃止となった。
高砂線(廃線)
加古川駅 - 野口駅 - 鶴林寺駅 - 尾上駅 - 高砂北口駅 - 高砂駅 - (貨)高砂港駅
 @加古川駅(かこがわえき)は、兵庫県加古川市加古川町篠原町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
 @加古川駅構造は2005年3月1日に連続立体交差事業がすべて完成し、高架駅となった。高架化に伴って取り壊された旧駅舎は、1910年に西成線(現在の桜島線)の桜島駅として建てられたものを1919年に移築したものだった。新しい駅舎は加古川の清流と船・さざ波をイメージしてデザインされている。「ビエラ加古川」の入口の上にある時計の部分は、旧駅舎をモチーフとしている。12両編成対応(ホーム長:245 m)の島式ホーム2面4線、4両編成対応(ホーム長:85 m)の島式ホーム1面2線、合計3面6線のホームを持つ高架駅である。1 - 4番のりばをJR神戸線が、5・6番のりばを加古川線が使用する。1番のりばが下り本線、2番のりばが下り待避線、3番のりばが上り本線、4番のりばが上り待避線となっている。加古川線は5番のりばが本線となっている。
A高砂線の加古川駅 - 野口駅間の廃線跡。道路に転用されている。
B高砂線の加古川駅 - 野口駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 C野口駅(のぐちえき)は、かつて兵庫県加古川市野口町良野に存在した、日本国有鉄道(国鉄)高砂線・別府鉄道野口線の駅である。 高砂線と野口線の接続駅だったが、両線とも列車本数が少なく、付近を走る国鉄山陽本線や山陽電気鉄道本線がこの地域の旅客輸送の大半を担っていたこともあり、市街にあり、加古川市役所からは一番近い鉄道駅だったにも関わらず、日中は乗客は多く見られなかった。駅舎のない無人駅で、島式ホーム1面2線の配線となっており、西側のホームを高砂線が、東側のホームを野口線が使用していた。ホームの北端には一応改札用の柵も設けてあったが、ほとんど利用されていなかった。野口線には客車列車時代の名残で、機回し線が残存していた。その姿から、「日本一寂しい国鉄・私鉄の接続駅」と呼ばれることもあったとされる。
D高砂線の野口駅 - 鶴林寺駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 E鶴林寺駅(かくりんじえき)は、かつて兵庫県加古川市加古川町北在家にあった日本国有鉄道(国鉄)高砂線の駅である。駅名にある鶴林寺が、駅の目の前にあった。駅構造は単式ホーム1面1線を有していた地上駅で、無人駅であった。
E鶴林寺駅跡に保存されているC11 331。何故か東加古川駅の駅名標がある。
F高砂線の鶴林寺駅 - 尾上駅間の廃線跡。道路に転用されている。
G高砂線の鶴林寺駅 - 尾上駅間の廃線跡。山陽電鉄本線の下を潜る。
 H尾上駅(おのええき)は、かつて兵庫県加古川市尾上町今福にあった日本国有鉄道(国鉄)高砂線の駅である。駅構造は単式ホーム1面1線を有していた地上駅。無人駅で、無人化された後に待合室は開放型の簡易な物に立て替えられた。それまでは、同線の途中駅では唯一、1970年代後半まで木造の駅舎が残っていた。入り口には改札用の柵が残されていて、使用済の乗車券の投入箱が架けられていた。駅のすぐ横には山陽電気鉄道が築堤上を走っており、駅の西約200mの位置に山陽電気鉄道尾上の松駅があり、乗り換えが可能であった。また当駅から神戸製鋼所加古川事業所まで専用線を2路線敷設する計画もあったが、実現しなかった。その軌道敷地が一部道路となり残存する。廃止後もホームの跡がしばらくの間残っていたが、現在は撤去されている。
I高砂線の尾上駅 - 高砂北口駅間の廃線跡。山陽電鉄本線の脇の部分が廃線跡。
J高砂線の尾上駅 - 高砂北口駅間の廃線跡。山陽電鉄本線の脇の部分が廃線跡。
K高砂線から分岐する謎の廃線跡らしき敷地。詳細は不明。砂利採取線?
K高砂線から分岐する謎の廃線跡らしき敷地。詳細は不明。砂利採取線?
K高砂線から分岐する謎の廃線跡らしき敷地。詳細は不明。砂利採取線?
K高砂線から分岐する謎の廃線跡らしき敷地。詳細は不明。砂利採取線?
K高砂線から分岐する謎の廃線跡らしき敷地は土手に突き当たり土手沿いに?
 L高砂北口駅(たかさごきたぐちえき)は、かつて兵庫県高砂市高砂町朝日町にあった日本国有鉄道(国鉄)高砂線の駅である。駅構造は単式ホーム1面1線を有していた地上駅。1970年(昭和45年)ごろに無人駅化され、それまであった木造駅舎は取り壊された。駅の北側正面に山陽電気鉄道電鉄高砂駅があった。山陽電鉄と加古川方面との乗り継ぎ駅的な役割があったため、高砂線内の駅としては利用客が多い方であった。
M高砂線の高砂北口駅 - 高砂駅間の廃線跡。駐輪場に転用。
N高砂線の高砂北口駅 - 高砂駅間の廃線跡。道路に転用。
 O高砂駅(たかさごえき)は、かつて兵庫県高砂市高砂町鍛冶屋町にあった日本国有鉄道(国鉄)高砂線の駅である。
 O高砂駅構造は単式ホーム1面1線を有していた地上駅。駅員はいたが、貨物扱いのための配置で旅客駅としては無人駅であった。ホームに接する線の他に5本の側線があった。無人化は1970年(昭和45年)頃で、木造駅舎の出札口は閉鎖され壁となっていた。廃止決定後当駅発行の記念乗車券が発売されたが、当駅では駅入口で臨時に記念乗車券のみを販売していた。駅構内北端で、東側へ向かい高砂北口駅へ続く本線から、西側へ向かい国鉄高砂工場方面へ続く構内側線が分岐していた。その工場線から、東播磨港高砂地区に面するキッコーマン高砂工場やタクマ播磨工場、黒崎播磨高砂不定形工場、三菱重工業高砂製作所、神戸製鋼所高砂製作所へ続く専用線がそれぞれ分岐していた。また本線と工場線の分岐点近くから東側へ分岐し、三菱製紙高砂工場へ至る専用線も存在した。駅跡地は、バスのロータリーとして使用されている。
P高砂線の高砂駅 - (貨)高砂港駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
Q高砂線の高砂駅 - (貨)高砂港駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
R高砂線の高砂駅 - (貨)高砂港駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
S高砂線の高砂駅 - (貨)高砂港駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
@高砂線の高砂駅 - (貨)高砂港駅間の廃線跡。遊歩道に転用。
 A高砂港駅(たかさごこうえき)は、かつて兵庫県高砂市高砂町南木材町にあった日本国有鉄道(国鉄)高砂線の貨物駅である。1面1線の貨物ホームを有していた地上駅。ホームに接する路線の他、10本ほどの側線もあった。また、駅西側へ向かって鐘淵化学工業高砂工業所(現在のカネカ高砂工場)へ続く専用線が、駅北側に向かって福栄肥料(窒燐加肥料工業)高砂工場へ続く専用線が分岐していた。前身の私鉄時代には旅客営業も行っていたため、旅客ホームが残っていた。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『加古川市』を掲載」
廃線探索 高砂線