更新日時 2016年03月12日

廃線探索 北丹鉄道
 北丹鉄道は、かつて京都府福知山市の福知山駅から北へ河守駅までの路線を運営していた鉄道会社である。京都府北部、福知山市の福知山駅から加佐郡大江町(現在は福知山市の一部)の河守駅(現在の京都丹後鉄道宮福線の大江駅近傍)までを由良川沿いに結ぶ鉄道を運営していた。1923年(大正12年)9月22日開業、設立当時は、北丹軽便鉄道株式会社という名称だったが開業前に改称している。本来は福知山駅から宮津線を短絡する目的があったが、宮津線の由良川架橋点が当初の予定より河口近くに変更されたため、河守駅から先の建設は断念した。その後、日本鉄道建設公団が宮津駅から河守駅までを結ぶ路線を宮守線として建設することになり、1966年(昭和41年)に着工された。ルートは大江山をトンネルで抜け宮津 - 河守をほぼ直線的に結ぶものに変更されている。しかし、1969年(昭和44年)に沿線の河守鉱山が閉山したことによって北丹鉄道の貨物輸送は激減し、経営が成り立たなくなり、宮守線を待つことなく1971年(昭和46年)3月2日に由良川治水事業を名目に運行休止、程なくバス事業も営業休止に追い込まれた。1974年(昭和49年)に鉄道路線が正式に廃止されるとともに会社は解散、バス事業については京都交通株式会社に譲渡している。
北丹鉄道(廃線)
福知山駅 - 福知山西駅 - 下川停留所 - 上天津駅 - 下天津駅 - 公庄駅 - 蓼原停留所 - 河守駅
 @福知山駅(ふくちやまえき)は、京都府福知山市にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)の駅である。JRの駅は駅前町439番地、京都丹後鉄道の駅は字天田262番地に所在する。
 @福知山駅構造は島式ホーム2面4線と単式ホーム1面1線、合計3面5線のホームを有する高架駅。5番のりばが単式ホームで、1・2番のりばと3・4番のりばが島式ホームである。1・2番のりばはかつて長距離特急列車が停車していた名残で、有効長が230mと長い。改札口は1階にあり、自動改札機は導入されていない(有人改札)。高架化と同時に、全ホームにエスカレーター(昇りのみ)とエレベーターが設置された。かつては改札内でキヨスクや名物の駅そばを販売する「鬼そば屋[7]」が営業していたが、いずれも高架化完了までに廃業し、前者の退去跡には数台の清涼飲料水の自動販売機が置かれた。ホーム上のすべての時計には、福知山市のイメージキャラクター「ドッコちゃん」が描かれている。また、BGMとして小鳥のさえずりが流されている。管理駅長が配置された直営駅であり、管理駅として山陰本線の高津駅 - 和田山駅間の各駅を管轄している。
 @C11形式40号は昭和8年(1933年)に川崎車輌株式会社で製造され小型機関車として力も強く、前後進が自由にでき方向転換する必要も無いことから短区間運転用として重宝され、日本国有鉄道福知山機関区に配属となった。昭和19年(1944年)から昭和31年(1956年)まで篠山線を走っていました。昭和47年(1972年)から篠山市旧丹南町公民館の広場に展示されていましたが、平成19年1月に「鉄道の町福知山」のシンボルとして展示するために福知山市に移設されました。転車台は、蒸気機関車などの方向転換や扇形車庫への入出庫を行う施設として、昭和11年(1936年)福知山機関区に設置され、昭和47年(1972年)頃迄その役割を果たしてまいりましたが、福知山駅付近の立体交差事業により扇形車庫等の施設撤去を行うにあたり、当時を偲ぶ代表的な施設として保存することになりました。
A北丹鉄道の福知山駅 - 福知山西駅間の廃線跡。この辺で分岐していた。
B北丹鉄道の福知山駅 - 福知山西駅間の廃線跡。道路が廃線跡。
C北丹鉄道の福知山駅 - 福知山西駅間の廃線跡。
 D福知山西駅(ふくちやまにしえき)は、かつて京都府福知山市天田にあった北丹鉄道の駅(廃駅)である。当駅には北丹鉄道本社が併設されていた。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅であった。また駅構内には車庫へ繋がる側線もあった。
D駅名標のモニュメントが設置されている。 D北丹鉄道本社跡。
 D福知山西駅跡および北丹鉄道本社の跡地は、ホーム、レールが遺構として残ったままの街区公園「西駅公園」となっており、ホームには駅名標を模したものが設置されている。また、当地に本社があったことを示す「北丹鉄道本社跡」の石碑がある。なお、福知山市内にある福知山鉄道館ポッポランドには、当駅舎内が当時の雰囲気のまま再現されている。当駅跡の西駅公園にはC58形56号機が静態保存されていたが、1999年(平成11年)9月25日に福知山鉄道館ポッポランドの2号館へ移設収蔵された。その後、2004年(平成16年)頃より北丹鉄道2号機のレプリカが同公園に展示されている。
E北丹鉄道の福知山西駅 - 下川停留所間の廃線跡。
F北丹鉄道の福知山西駅 - 下川停留所間の廃線跡。
G北丹鉄道の福知山西駅 - 下川停留所間の廃線跡。
H北丹鉄道の福知山西駅 - 下川停留所間の廃線跡。
 I下川停留所(しもかわていりゅうじょ)は、かつて京都府福知山市漆端にあった北丹鉄道の停留所(廃駅)である。当停留所は、沿線住民の要望によって設置された停留所であった。北丹鉄道開業当初、漆端地区には駅がなく最寄りの上天津駅は1km離れた場所にあった。地区住民が自分たちの手でホームを造ることを条件に北丹鉄道に要望したことにより、当停留所の設置が実現した。ホームの工事は約3ヶ月ほどかかり、約100mのホームが完成した。また、漆端地区は由良川の水害を受け易い地域であったため、由良川が洪水になると列車がよく止まっていた。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅であり、駅舎の無い無人駅であった。
J北丹鉄道の下川停留所 - 上天津駅間の廃線跡。
 K上天津駅(かみあまずえき)は、かつて京都府福知山市上天津にあった北丹鉄道の駅(廃駅)である。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅であった。当駅は現在の福知山市立天津小学校のすぐ南にあった。周辺は田園地帯となっている。当駅の南側には牧川が流れており、北丹鉄道では一番長い橋梁(約100m)が架かっていた。当駅および路盤は撤去され、整備されて福知山市道広小路勅使線となっている。
L北丹鉄道の上天津駅 - 下天津駅間の廃線跡。
M北丹鉄道の上天津駅 - 下天津駅間の廃線跡。
N北丹鉄道の上天津駅 - 下天津駅間の廃線跡。
 O下天津駅(しもあまずえき)は、かつて京都府福知山市下天津にあった北丹鉄道の駅(廃駅)である。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅であった。小さな駅舎および側線もあった。周辺は田園地帯となっている。当駅の西側には国道175号が走っている。
P北丹鉄道の下天津駅 - 公庄駅間の廃線跡。
Q北丹鉄道の下天津駅 - 公庄駅間の廃線跡。第1日藤トンネル。
Q北丹鉄道の下天津駅 - 公庄駅間の廃線跡。第1日藤トンネル。
R北丹鉄道の下天津駅 - 公庄駅間の廃線跡。第2日藤トンネル。
R北丹鉄道の下天津駅 - 公庄駅間の廃線跡。第2日藤トンネル。
S北丹鉄道の下天津駅 - 公庄駅間の廃線跡。小型のガーター橋及び煉瓦橋台が残る。
 @公庄駅(ぐじょうえき)は、京都府福知山市大江町公庄にある、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)宮福線の駅。福知山市鉄道利用増進協議会による駅の愛称は「渡船場の里駅」。駅そばを流れる由良川に舟運のための渡船場が設けられていたことに由来する。
 @公庄駅構造は西側(宮津に向かって左側)に単式1面1線のホームを持つ地上駅ではあるが、ホームは盛土上にある。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。無人駅で駅舎はなく、階段を登って直接ホームに入る形になっている。自動券売機は設置されていない。小規模の駅前広場を持つ。
A北丹鉄道の公庄駅 - 蓼原停留所間の廃線跡。
 B蓼原停留所(たではるていりゅうじょ)は、かつて京都府福知山市大江町蓼原にあった北丹鉄道の停留所(廃駅)である。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅であった。当駅は国道175号沿いの無人野菜販売所「蓼原村の小さな家」付近にあった。北側は蓼原地区集落、南側は田園地帯となっている。
 C河守駅(こうもりえき)は、かつて京都府福知山市大江町河守にあった北丹鉄道の駅(廃駅)である。当路線の終着駅であった。駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅であった。駅構内には数本の側線があった。当駅は駅前商店街「ナイン」の周辺にあり、当駅のすぐ北西側には国道175号が走っている。北西側は河守地区住宅街、東南側は田園地帯となっている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『福知山市』を掲載」