更新日時 2017年06月17日
近鉄奈良線旧生駒トンネルは1914年(大正3年)に、近畿日本鉄道(近鉄)の前身である大阪電気軌道(大軌)により開通した。開通当時は中央本線の笹子トンネル(4,656m)に次いで日本2番目の長さであり、また日本初の標準軌複線トンネルであった。その後、1964年(昭和39年)に南側に並行して新生駒トンネルが開通したためこのトンネルは使用されなくなった。工事は大林組が請け負い、1911年(明治44年)に着工された。建設は地質の変化や湧水等に悩まされ、予想外の難工事となった。工事費用が見込みを上回ったため、当時の大軌社長である岩下清周は、私財を叩いて建設を続行させたという。また1913年(大正2年)1月26日に発生した落盤事故では152名が生き埋めとなり、20名の犠牲者が出た。なお、工事には朝鮮半島からの出稼ぎ労働者も従事しており、この事故でも犠牲となった者がいた。工費の支払いや利用不振から、大軌は同トンネル開通後しばらく社員の給料支払いや切符の印刷費にも事欠くほど経営が行き詰まり、取締役支配人の金森又一郎が生駒山にある宝山寺へ賽銭を借りに行った。また建設した大林組も、大軌による建設費の支払い遅延から一時経営危機に陥った。 | |
近畿日本鉄道奈良線 石切駅 (A16) - 生駒駅 (A17) |
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@石切駅(いしきりえき)は、大阪府東大阪市上石切町二丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の駅。駅番号はA16。石切剣箭神社(通称:石切神社)の最寄駅である。新生駒トンネルの大阪側抗口が駅付近にあり、当駅から瓢箪山駅までの区間は、30パーミルを超える下り勾配が連続している。 | |
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@石切駅構造は島式2面4線ホームを持つ待避可能な地上駅で、ホーム有効長は8両である。駅舎は南北にあり、北駅舎は橋上部にある。石切神社に近い南駅舎は築堤西側にあり、地下改札となっている。 | |
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A近畿日本鉄道奈良線の石切駅 (A16) - 生駒駅 (A17)間の旧線の廃線跡。 | |
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B近畿日本鉄道奈良線の石切駅 (A16) - 生駒駅 (A17)間の旧線の廃線跡。 | |
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C近畿日本鉄道奈良線の孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は新生駒トンネル開通時まで大阪府東大阪市(営業当時は枚岡市)にあった近鉄奈良線の駅。石切-近畿日本生駒(現・生駒)間の生駒トンネル大阪方坑口に位置していた。駅構造は対向式ホーム2面2線。奈良方面ホーム大阪側に駅舎があり、大阪方面ホームへは構内踏切を使い行き来した。駅名の由来は『日本書紀』の神武東征伝説で、神武天皇が生駒山の豪族・長髄彦と刃を交えた峠「孔舎衛坂」に比定される尾根が近くにあることによる。駅名改称のあった1940年は皇紀2600年にあたり、各地で「紀元二千六百年記念事業」が行われるとともに、神武東征の跡地が文部省によって調査・比定された。それを記念しての改名である。 | |
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D奈良線の生駒トンネルは1914年(大正3年)に、近畿日本鉄道(近鉄)の前身である大阪電気軌道(大軌)により開通した。開通当時は中央本線の笹子トンネル(4,656m)に次いで日本2番目の長さであり、また日本初の標準軌複線トンネルであった。その後、1964年(昭和39年)に南側に並行して新生駒トンネルが開通したためこのトンネルは使用されなくなった。近鉄けいはんな線(当時は東大阪線)の生駒トンネルは1986年(昭和61年)に開業した。東側(生駒側)坑口付近は1964年(昭和39年)まで使われていた奈良線旧生駒トンネルの一部 (395m) を拡幅、再利用したものである。駅跡の旧大阪方面ホーム跡には「貫通石 東大阪線 生駒トンネル 昭和60年4月17日」の石碑があり、神社がある。また、駅跡の奈良方面には旧生駒トンネルもあるが立ち入り禁止となっている。近鉄けいはんな線の生駒トンネル内からの緊急脱出路は、この旧生駒トンネル内に通じている。 | |
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