廃線探索 鹿島鉄道線

更新日時 2011年02月05日

 鹿島鉄道線(かしまてつどうせん)は、茨城県石岡市の石岡駅と茨城県鉾田市の鉾田駅まで結んでいた鹿島鉄道の鉄道路線である。2007年4月1日に廃止となった。関東鉄道の路線であった時期があることから、鹿島鉄道として分社化後も関東鉄道時代の路線名である鉾田線(ほこたせん)と呼ばれていたことがある。また元々鹿島参宮鉄道の路線であり、主にその時代を体験している世代からは参宮線(さんぐうせん)と呼ばれることもあった。石岡側はベッドタウンとして宅地化・工業地化が進み、ニュータウン新駅の石岡南台駅の設置や石岡‐玉里・常陸小川間の区間運転の設定などが行われていた。沿線には公共施設も設けられている。しかし総じて距離が長めの「ローカル線」としての性格が強かった。茨城県内陸部と海沿い(鹿島灘)の地域を横断する路線で、霞ヶ浦北岸を通る。地図上ではJR常磐線と鹿島臨海鉄道大洗鹿島線を結ぶように見えるが、終点の鉾田駅は大洗鹿島線の新鉾田駅とは道のりで1km以上離れており、大洗鹿島線とは接続していない。この点は、旅行者などが徒歩で乗り換えるケースは少なからず存在していたが、一時期路線バスが運行していた以外、特に接続改善は見られなかった。鹿島鉄道は旅客収入だけでは鉄道を維持できないほど利用者が減少していたが、航空自衛隊百里基地への航空燃料輸送の収入によって経営が成り立っていた。しかし、2001年8月に、榎本駅から百里基地へのパイプラインの老朽化を理由に燃料輸送が中止されたため深刻な経営悪化が確定的になった。これに対し親会社である関東鉄道による経営支援と沿線自治体と茨城県による公的支援が5年間行われることとなり、廃線の危機は一旦回避された。しかし2005年のつくばエクスプレスの開業により、自社の常総線や高速バスの利用者が減少し減収となった関東鉄道は、2007年度以降の経営支援を行わない方針とした。これを受け、親会社の支援なしでの鉄道経営は無理であるとして、鹿島鉄道は2006年3月30日に廃止届を提出した。なおこの時点で2007年度以降の自治体と県による公的支援をどうするかは白紙状態であった。その後ぎりぎりまで存続の道が模索されたが状況は好転せず、2007年4月1日に廃止された(存続運動などの経緯は、鹿島鉄道を参照されたい)。廃線後の線路や駅舎は順次撤去されることになっていたが、現在は撤去作業は途中で中断され、今も線路・駅舎が一部で残っている。車両は、旧形式5両のうち4両、新形式4両のうち2両が、個人に売却され保存されている。
鹿島鉄道線(廃線)
石岡駅 - 石岡南台駅 - 東田中駅 - 玉里駅 - 新高浜駅 - 四箇村駅 - 常陸小川駅 - 小川高校下駅 - 桃浦駅 - 八木蒔駅 - 浜駅 - 玉造町駅 - 榎本駅 - 借宿前駅 - 巴川駅 - 坂戸駅 - 鉾田駅
 ドイツ・クラウス社より、1896年(明治29年に九州鉄道が購入し、No.44とした。1909年(明治42年)鉄道国有化の波の中で九州鉄道管理局に配属。形式1400、N0.1412と改正されて明治、大正の各時代を走り続けた。1927年(昭和2年)に国から払い下げを受けた鹿島参宮鉄道(現、関東鉄道)の鉾田線で、1963年(昭和38年)頃迄使用していた。同型の蒸気機関車は、日本に19輌購入され、No.1400〜1418と指定されていたが、払い下げ後は民鉄や各工場などで活躍していた。だが、1960年(昭和35年)迄にその全部が廃車され、ここに設置された1412を除いて解体されてしまった。この型の機関車は、KRAUSS社製の他の10型や1440型と同様のワルシャート・タイプの弁装置を持ち、初めて日本にその弁装置を紹介したものとして評価されよう。また、シリンダーと弁室が保守に便利な分解構造になっている。更に動輪のバランスウエートの一方を小扇形にに設計してあるなど現存する貴重な蒸気機関車と言える。(おもちゃの町トミーテック本社工場内)
 石岡駅(いしおかえき)は、茨城県石岡市国府一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。かつては鹿島鉄道線との接続駅であったが、同線は2007年(平成19年)4月1日に廃止された。2007年(平成19年)4月まで、鹿島鉄道のホーム(5番線)が隣接し、改札内に鹿島鉄道の中間改札がある方式となっていた。構内には車両基地の石岡機関区も置かれていた。また、貨物・臨時列車用の4番線も存在していたが、2005年(平成17年)3月に撤去された。鹿島鉄道のホームと施設は廃止後すぐにホームの一部を残して解体され、跡地は駐車場・更地となっている。
鹿島鉄道線の石岡駅 - 石岡南台駅間の廃線跡。国道6号線の高架橋が見える。
鹿島鉄道線の石岡駅 - 石岡南台駅間の廃線跡。川からの高さ約5mこれを渡るのはかなり怖かった。
鹿島鉄道線の石岡駅 - 石岡南台駅間の廃線跡。踏切跡が残る。
鹿島鉄道線の石岡駅 - 石岡南台駅間の廃線跡。下は自動車道コンクリートの高架橋が残っている。
 石岡南台駅(いしおかみなみだいえき)は、かつて茨城県石岡市南台2丁目1番103にあった、鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。現在は、関鉄グリーンバス(かしてつバス)のバス停留所となっている。住宅都市整備公団(当時)による南台ニュータウンの開発に併せて開設された。駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、無人駅だった。 線路はほぼ東西に走り、出口は南側にあった。北側の線路が直線となる一線スルーの構造で、北側の線路に鉾田方面、南側の線路に石岡方面の列車が発着していた。また、ホームの長さは45メートル(2両分の有効長)であり、鹿島鉄道の駅では最もホームの長さが短かった。南側のホームに面して開放的な待合所が設置されており、この脇から北側のホームへの跨線橋が出ていた。跨線橋は螺旋階段で待合所の上部に至り、そこから線路を渡っていた。その他、南側のホームの螺旋階段の下と、北側のホームの東田中方に、それぞれ一棟ずつ小さな待合所が設置されていた。
 東田中駅(ひがしたなかえき)は、かつて茨城県石岡市東光台三丁目7番16号にあった、鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年4月1日、鹿島鉄道線の廃止にともない廃駅となった。現在は、関鉄グリーンバス(かしてつバス)のバス停留所となっている。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。線路はほぼ東西に走りホームはその北側に設けられていた。無人駅で駅舎はないが、ホーム上には入口と一体化した簡易な屋根付きの待合所があり、改札の柵も設置されていた。
 玉里駅(たまりえき)は、かつて茨城県小美玉市栗又四ケ2460番地3にあった、鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。現在は、関鉄グリーンバス(かしてつバス)のバス停留所となっている。旧玉里村の外れに位置していた。駅構造は相対式ホーム2面2線のみを有する地上駅。線路はほぼ東西に走り、ホームがその南北に設置されていた。のりばは北側からそれぞれ1番線、2番線で、1番線側が直線となる一線スルーの構造を持っていた。早朝や夜間などに、石岡駅から当駅までの区間列車が設定されていた。無人駅で駅舎はないが、二つのホームの中ほどには、ともにログハウス風の待合所が設置されていた。二つのホームの新高浜方の端にそれぞれ階段があり、この階段を下りたところで二つのホームは構内踏切で結ばれていた。北側に出る出口が構内踏切から直接出ており、国道に向かって案内板が出ていた。南側に出る出口が2番線にある待合所の新高浜よりにあるがこちらには特別な表示は出ていなかった。
鹿島鉄道線の玉里駅 - 新高浜駅間の廃線跡。 旧新高浜駅
 四箇村駅(しかむらえき)は、かつて茨城県小美玉市栗又四ケ1517番地2にあった、鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。現在は、関鉄グリーンバス(かしてつバス)のバス停留所となっている。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅であった。ホームは線路の北側に設置されており、ホーム上には簡易な待合室が設置されていた。なお駅名標の表記は「四ヶ村」となっていた。
鹿島鉄道線の四箇村駅 - 常陸小川駅間の廃線跡。
 常陸小川駅(ひたちおがわえき)は、茨城県小美玉市田木谷93番地2にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。旧新治郡玉里村に位置していたが、旧東茨城郡小川町の中心市街地の最寄り駅であったため、この駅名となった。駅構造は単式ホームと島式ホームの2面3線を有する地上駅。ホームとホームの間には、構内踏切が設置されていた。交換可能駅で留置線を有し、また、貨物用ホームも末期まで残存していた。駅舎は、北東側に位置していた。トイレは汲み取り式で、改札内外の双方から入れるようになっていた。駅構内には、DD901形ディーゼル機関車が静態保存されていたが、2007年(平成19年)2月27日に解体された。
鹿島鉄道線の常陸小川駅 - 小川高校下駅間の廃線跡。さすがにこの橋は渡らなかった。
 小川高校下駅(おがわこうこうしたえき)は、かつて茨城県小美玉市小川189番地にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。線路はほぼ北西から南東に走り、線路の北東側にホームが設置されていた。無人駅で駅舎は設けられておらず、ホームの桃浦方の端から降りている階段から直接駅に出入りした。ホーム上には上屋と長いすが設けられており、階段を下りたところに小さな自転車置き場があった。
鹿島鉄道線の小川高校下駅 - 桃浦駅間の廃線跡。この橋は渡りました。
鹿島鉄道線の小川高校下駅 - 桃浦駅間の廃線跡。この橋も渡りました。
鹿島鉄道線の小川高校下駅 - 桃浦駅間の廃線跡。
 桃浦駅(ももうらえき)は、かつて茨城県行方市羽生56番地1にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎は線路の北東側に設置されており、駅舎からホームへの移動には、構内踏切を利用した。無人駅であった。
鹿島鉄道線の桃浦駅 - 八木蒔駅間の廃線跡。
鹿島鉄道線の桃浦駅 - 八木蒔駅間の廃線跡。
鹿島鉄道線の桃浦駅 - 八木蒔駅間の廃線跡。
 八木蒔駅(やきまきえき)は、茨城県行方市八木蒔504番地4にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)、鹿島鉄道の営業廃止にともない廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側に設置されており、ホーム上には簡易な待合室が置かれていた。無人駅であった。
旧八木蒔駅 旧八木蒔駅の看板が落ちていた
鹿島鉄道線の八木蒔駅 - 浜駅間の廃線跡。
 浜駅(はまえき)は、かつて茨城県行方市にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。かつては、鹿島神宮へ向かう自社定期船の発着港に隣接し、乗降客も多かった。駅構造は末期、単式ホーム1面1線を有する地上駅であったが、それ以前には島式ホーム1面2線を有する構造であった。ホームは線路の東側(霞ヶ浦とは反対の側)に設置されており、ホーム上に待合室が設置されていた。1963年(昭和38年)より無人駅で、ホーム上にある待合室内には、運賃表、時刻表(漢数字)等の他、駅至近に群落があるアサザの写真などが展示されていた。この待合室は廃止後、行方市玉造甲にある「道の駅たまつくり」に移設されている。
鹿島鉄道線の浜駅 - 玉造町駅間の廃線跡。国道355号線の下を通過。
鹿島鉄道線の浜駅 - 玉造町駅間の廃線跡。
鹿島鉄道線の浜駅 - 玉造町駅間の廃線跡。旧鹿島鉄道(株) 玉造町駅近くのコンクリート橋。
 玉造町駅(たまつくりまちえき)は、かつて茨城県行方市玉造甲94番地3にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。駅構造は島式ホーム1面2線に加え、南側に側線1本を有する地上駅。駅舎は線路の南側に置かれ、ホームとの間を構内踏切(遮断機・警報機あり)が結んでいた。側線の南側に接して末期まで貨物用のホームが残存、その上に倉庫と消防団の建物が建てられている。なお、ホーム上には待合所が設置されていた。駅舎の横に置かれた男女共用の汲み取り式便所は改札内外の双方から入ることのできる構造であり、個室には大きな穴の和式便器が置かれていた(凄まじいほどに老朽化して不潔ではあった)。また、駅前広場にも男女別の水洗式便所が設置され、バリアフリートイレも完成した。
鹿島鉄道線の玉造町駅 - 榎本駅間の廃線跡。
鹿島鉄道線の玉造町駅 - 榎本駅間の廃線跡。5m下は一般道路これも渡りました。
鹿島鉄道線の玉造町駅 - 榎本駅間の廃線跡。
鹿島鉄道線の玉造町駅 - 榎本駅間の廃線跡。
 榎本駅(えのきもとえき)は、かつて茨城県行方市芹沢1764番地にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。無人駅であった。駅舎は北西側に位置し、桃浦駅と同じタイプである。駅舎からホームへの移動は、構内踏切を利用した。かつて航空自衛隊百里基地への燃料輸送基地であったため、構内は広く、留置線を有した。この駅から基地へパイプラインが敷設され、自衛隊への燃料輸送に利用されていたが、パイプラインの老朽化により2001年(平成13年)8月に廃止された。保線用のバラストを、ダンプトラックカーからホッパ車に積載するための荷役台(スロープ)があった。
鹿島鉄道線の榎本駅 - 借宿前駅間の廃線跡。
 借宿前駅(かりやどまええき)は、かつて茨城県鉾田市半原224番地31にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側に設置されており、ホーム上には簡易な待合室が置かれていた。無人駅であった。
鹿島鉄道線の借宿前駅 - 巴川駅間の廃線跡。
鹿島鉄道線の借宿前駅 - 巴川駅間の廃線跡。
 巴川駅(ともえがわえき)は、茨城県鉾田市借宿368番地3にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。出口はホームの北側に位置しており、ホームから出口への移動には、構内踏切を利用した。また、ホーム上には待合室が設置されていた。無人駅であった。
鹿島鉄道線の巴川駅 - 坂戸駅間の廃線跡。巴川駅近くの鉄橋これも渡りました。
 坂戸駅(さかどえき)は、茨城県鉾田市当間2295番地6にあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2007年(平成19年)4月1日、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側に設置されており、ホーム上に丸太小屋風の待合室が設置されていた。無人駅であった。
鹿島鉄道線の坂戸駅 - 鉾田駅間の廃線跡。
鹿島鉄道線の坂戸駅 - 鉾田駅間の廃線跡。信号機材が意図的に数多く折られている。
鹿島鉄道線の坂戸駅 - 鉾田駅間の廃線跡。
旧鹿島鉄道(株) 鉾田駅 近くの点検ピット 旧鹿島鉄道(株) 鉾田駅
 鉾田駅(ほこたえき)は、かつて茨城県鉾田市鉾田2457番地2にあった、鹿島鉄道鹿島鉄道線の駅である。2000年(平成12年)に「関東の駅100選」に選定されたが、2007年(平成19年)4月1日、同社線の廃線に伴い廃駅となった。2010年(平成22年)現在は線路とホームだけが残っている。駅構内のバスターミナルは、鉄道廃止後も関鉄グリーンバスのターミナルとして引き続き使用されており、バスターミナルについても記載する。関鉄グリーンバス鉾田営業所と敷地が連続している。駅構造は地上駅。駅舎の屋根には特徴的な三角形のオブジェが飾られていた。駅舎は北側に位置しており、駅舎からホームへの移動は構内踏切(列車が通る事はなかった)を通る構造になっていた。駅舎には鹿島鉄道直営の立ち喰い蕎麦屋とたい焼き屋があった。末期には業務委託駅であった。
旧鹿島鉄道(株) 鉾田駅の展示車両?
鹿島臨海鉄道/大洗鹿島線。 団体。485。
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