廃線探索 東武熊谷線

更新日時 2014年12月10日

 東武熊谷線は、埼玉県熊谷市の熊谷駅から大里郡妻沼町(現・熊谷市)の妻沼駅までを結んでいた東武鉄道の鉄道路線。地元では妻沼線(めぬません)とも呼ばれていた。もともと軍の命令で建設された路線で、第二次世界大戦末期(1943年(昭和18年)12月5日)に、群馬県太田市の中島飛行機(現・富士重工業)への要員・資材輸送を目的として、熊谷駅 - 東武小泉線(仙石河岸線)の西小泉駅間の建設が計画され、第一期工事区間として熊谷駅 - 妻沼駅間が開業した。なお、免許は東小泉駅(起点) - 熊谷駅間となっている。軍事路線であったため、ほぼ一直線に邑楽郡大泉町を目指すルートとなっている。住民の生活路線として建設されたものではなかったので、沿線の集落、交通を考慮したルートではなかった。中奈良付近の 埼玉県道341号太田熊谷線(かつての国道407号)との交差部は盛土による立体交差の予定であったが、急を要するため平面交差とされた。これも利根川への架橋が完成したときには立体交差とするとして、当局より平面交差(踏切設置)の許可を得た。しかし、第二期工事区間である新小泉駅 - 妻沼駅間開通前に終戦を迎え、戦後、治水上の都合から工事の中断は直にはできず、利根川を渡る橋梁の橋脚部分が完成するまで行い終了した。そのため、利根川を挟んで南北に分断された形で営業を行うことになった。その南側が熊谷線である。なお、橋脚は1979年(昭和54年)に撤去されたが、堤外の1脚のみが群馬県側に残っている。
熊谷線駅一覧
熊谷駅 - 上熊谷駅 - 大幡駅 - 妻沼駅
熊谷駅は国鉄(後に秩父鉄道)、上熊谷駅は秩父鉄道に委託しており、大幡駅も無人化され、晩年東武鉄道の職員が配置されたのは妻沼駅だけであった。
@東武熊谷線の熊谷駅 - 上熊谷駅間の廃線跡。
A廃車両を利用したお店。
A東武熊谷線の熊谷駅 - 上熊谷駅間の廃線跡。
 B秩父鉄道併用区間の線路は、現在も東武鉄道管理(所有権は不明)ということになっており、秩父鉄道は複線としての利用はしていない。このため、同区間内に設置されている上熊谷駅には乗り場は一つしかないが、構内踏切を渡って、片側(旧熊谷線ホーム)がフェンスで閉鎖された島式ホームに渡るという特殊な構造となっている。また、同区間には線路が残されているが、踏切の部分のみアスファルトで埋められている。
C東武熊谷線の上熊谷駅 - 大幡駅間の廃線跡。
D東武熊谷線の上熊谷駅 - 大幡駅間の廃線跡。
E東武熊谷線の上熊谷駅 - 大幡駅間の廃線跡。
F東武熊谷線の上熊谷駅 - 大幡駅間の廃線跡。
Gちちぶ道石碑 G東武鉄道境界杭
H東武熊谷線の上熊谷駅 - 大幡駅間の廃線跡。
I東武熊谷線の上熊谷駅 - 大幡駅間の廃線跡。
J東武熊谷線の上熊谷駅 - 大幡駅間の廃線跡。東武の境界杭が残る。
K東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。
L東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。
M東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。
N東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。
O東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。
P東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。
Q東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
R東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
S東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
@東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
A東武熊谷線の大幡駅 - 妻沼駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
 Bこの車両キハ2000型気動車は、東武鉄道熊谷線(熊谷・妻沼間10.1q、通称妻沼線)で開通時(昭和18年12月)使用のB2型蒸気機関車「かめ号」に代わり、昭和29年2月以来運行し、熊谷線廃止(昭和58年5月31日)の際、町に東武鉄道(株)から寄贈されたものである。定員109人、時速65キロ、所要時間17分で「特急カメ号」と愛称され、永く町民に親しまれました車両である。平成12年3月に熊谷市展示館に移設。
C東武熊谷線と東武小泉線間の未成線跡。
D東武熊谷線と東武小泉線間の未成線跡。
以下の写真は中学校の同級生のsigaohtsuさん提供です。
 妻沼駅(めぬまえき)は、埼玉県妻沼町(現・熊谷市)にあった、東武鉄道熊谷線の駅(廃駅)である。東武熊谷線の廃止に伴い1983年6月1日に廃止となった。
 駅跡の線路があった部分は道路となっている。 妻沼派出所の跡は現在空き地となっている。 また、廃止後駅舎はしばらくの間廃止代替の急行バスの待合室となっていたが、道路拡張の際に撤去された。
現在の朝日バス熊谷駅−(東武CITY)妻沼線の「ニュータウン入口」停留所付近に当たる。このバス路線は、元々東武鉄道が、熊谷線の廃止代替路線として設置した急行バス路線が現在も引き継がれているものであるが、この最寄りの停留所名が本来の「妻沼」であったのが、路線延長されて終点ではなくなった上、名称変更されていたり(現在の終点を「(東武CITY)妻沼」停留所とした)、前述の通り東武時代に待合室の撤去が行われているなど、段々と駅であった面影が薄くなっている。
さよなら熊谷線。東急車輌製の気動車キハ2000形
 さよなら熊谷線。東武キハ2000形気動車(とうぶキハ2000がたきどうしゃ)は、1954年(昭和29年)に登場した東武鉄道の液体式気動車。熊谷線の専用車で、東武鉄道が最後に新造した気動車である。
 熊谷線専用車として、当時最新式の液体式気動車が導入された。これがキハ2000形である。東急車輛製造でキハ2001〜2003の3両が新製された。全長16.5m、片側2扉の小型気動車で、定員109人(うち座席62人)。当時流行した正面2枚窓の湘南スタイルを採用し、側面窓にはこれも当時の流行であった上段Hゴム固定の「バス窓」を用いた。車体断面は軽量化のため、同時期に製造されていた電車に比較すると小さい。車内の座席はセミクロスシートである。ただし、クロスシート部の背もたれ高さはロングシート部のそれ並みの高さである。運転台は開放的な半室構造で、乗務員扉は設けられておらず、正面に向かって左側はロングシートが先頭まで伸びていた。
 大幡駅(おおはたえき)は、埼玉県熊谷市柿沼にあった、東武鉄道熊谷線の駅(廃駅)である。東武熊谷線の廃止に伴い1983年6月1日に廃止となった。駅跡は廃線後もしばらくの間そのままの状態だったが、やがて撤去されてしまった。現在は緑道の歩道になっている。また、付近には鉄道用の柵がそのまま残っている。
川越線電化前の荒川橋梁、川越側から撮影 さよなら熊谷線。
当時の時刻表。
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