更新日時 2011年01月16日

 上武鉄道(じょうぶてつどう)は、埼玉県児玉郡神川町の丹荘駅と西武化学前駅の間を結ぶ鉄道路線(日丹線)を運営していた鉄道事業者である。1986年(昭和61年)に鉄道路線を廃止したが、以後も群馬県高崎市倉賀野に本拠を置く通運会社として存続している。もとは、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に、日本ニッケル株式会社が群馬県多野郡にあった多野鉱山、ニッケル精錬所と神流川を隔てた埼玉県児玉郡にあった若泉製鋼所の専用鉄道として敷設した鉄道である。戦後、軍需物資の輸送に頼っていた鉄道の維持が困難になっていたことと、沿線自治体の要望により1947年(昭和22年)5月に地方鉄道に転換し、旅客営業を開始したもので、運営は日本ニッケル鉄道部(通称日本ニッケル鉄道と呼ばれた)が行った。1960年(昭和35年)に日本ニッケルの鉄鋼部が朝日化学肥料に譲渡され、西武化学工業(現・朝日工業)が発足したのにともない、日本ニッケルの一組織であった鉄道部が独立し、1962年(昭和37年)に上武鉄道となった。1943年(昭和18年)11月には、軍需物資であるクロム鉱石などの輸送を目的とし、終点付近から分岐して、若泉村渡瀬(わたるせ)にいたる2.3kmの延長計画が立てられたものの、資材の調達ができず、翌年断念された。戦後は、地方鉄道転換とともに延長を申請し、1946年9月に免許が下付されたが、今回も資金の目途が立たず、1966年(昭和41年)に免許は失効した。地方鉄道転換後は、途中に停留所(駅)が増設されたが、1日の利用客は10人を割り込む状況で、実態は専用鉄道同然であった。1972年(昭和47年)12月いっぱいで旅客営業を廃止し、貨物専業となったが、沿線住民からは特に反対はなかったという。その後、貨物輸送は積替えの必要のないトラック輸送に切り替わり、1986年12月に廃止された。1980年代の上武鉄道では、日本国有鉄道(国鉄)で廃車となった大量の車両の解体が行なわれていた。貨車はいうに及ばず旅客車までが西武化学前駅に送り込まれ、次々と解体されていった。西武化学工業では、日本ニッケル時代からスクラップの再生製鉄を行なっており、そのノウハウを活かした副業が、国鉄末期の需要とマッチしたものであろう。廃線跡は大部分が遊歩道(丹荘駅よりの数キロはセンターラインのある車道)になっており、神川中学校前と寄島駅のプラットホームが保存されている。地元では『日丹線』『ニッケル線』の愛称で呼ばれていた。
 写真出典:『ホームページ・む〜さんの鉄道風景』 8号蒸気機関車:西武鉄道から譲渡された、A8形を寸詰まりにしたような車軸配置2-4-2 (1B1) 形のタンク機関車で、1891年イギリスのダブス社製(製造番号2765)である。関西本線の前身の一つである大阪鉄道が輸入した2両のうちの1両 (6) で、1900年の関西鉄道への合併にともなって駒月形 (57) となり、1907年の国有化によって220形 (220) となっていたものである。1917年6月に西武多摩川線の前身である多摩鉄道に譲渡されA1となり、西武鉄道への合併後の1944年に3に改番、1956年に貸渡しの後、1958年10月に譲渡された。8への改番はこの時に行なわれたものと推定されており、先に存在した3への敬意を払ったものである。1965年に廃車された後は西武鉄道に返還され、これも豊島区の東京交通短期大学交通資料館に保存されている。ハフ3(初代):1947年、旅客営業開始時にハフ2とともに西武鉄道から借り入れた車両。1894年東京三田製作所製、川越鉄道の下等客車「た1」であった。後に「ハ1」と改番し、多摩川線で使用された。ハフ2と同じように車体色をツートンカラーに変更、さらに車体に尼崎肥料の広告板をぶら下げたり、車体一杯に朝日化学の広告を書かれたりと広告車両化していた。1963年にハフ3(2代)が入線すると廃車され、車体が丹荘駅構内で保線小屋に転用されていたが、すぐに使用されなくなり撤去された。
 @JR八高線丹荘駅(たんしょうえき)は、埼玉県児玉郡神川町大字植竹にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の駅である。かつては上武鉄道(旧称日本ニッケル鉄道)が当駅から分岐をしていた。 下り線ホームの外側に側線と専用ホームが有ったが、今は住宅に成っている。 また、当駅から下り方(高崎側)に引き上げ線が有ったが、今は撤去されている。当駅から最初の踏み切り「鬼石街道踏切」に当時の痕跡が残っている。
@ 奥に見えるのが廃線跡地 @ 踏切から丹荘駅を見る
@ 丹荘駅脇の廃線跡地
@奥に見えるのが丹荘駅 Aこの部分は一般道になっている
Aこの部分は一般道になっている Bここから遊歩道になっている
B川を渡る橋は新しくなっていた C遊歩道だが一般車も入れる様になっている
C遊歩道だが一般車も入れる様になっている
D遊歩道だが一般車も入れる様になっている
E遊歩道がここで途切れている E一般道になっている
F青柳古墳群看板 Fこの部分は一般道
G再び遊歩道になっている Hコンクリート製の橋1
H廃線跡が遊歩道に Hコンクリート製の橋2
H遊歩道続き H遊歩道続き
I遊歩道続き I遊歩道続き
I遊歩道続き I遊歩道続き
I遊歩道続き I遊歩道続き
Jキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!
J寄島駅跡
J寄島駅跡 J寄島駅跡
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!! K唯一線路のレールが残っていたところ。
L遊歩道終点 L遊歩道終点
L埼玉県土砂災害予警報設備
神川町新宿雨量観測局
埼玉県本庄土木事務所
Lキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!
唯一残存の鉄橋
M鉄橋の先は廃線の面影がない Mその先は駐車場・・・これより先は探索不能
N朝日工業前 O旧道側へ
P渡瀬小学校脇の人道橋 P渡瀬小学校脇の人道橋から
Q旧民家(今も人が住んでいるようだ) Q貨物のコンテナが・・・
R三角形の土地がある・・・貨物の操車場跡か・・・
R境界杭 ○玉とは・・・ S神流川水辺公園
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出典:『ホームページ・む〜さんの鉄道風景』
廃線探索上武鉄道(丹荘-西武化学前)