更新日時 2010年02月07日

 南中郷駅より駅西側にあった常磐炭鉱中郷鉱まで3.9kmの専用線が伸びており、炭鉱で産出された石炭の輸送を行っていた。神永喜八、片寄平蔵らにより発見された明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸線に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目されたためである。しかし硫黄分を多く含有し、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。昭和40年代以降ともなると、慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われ、更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985年に撤退している。
1945年(昭和20年)09月15日 - 常磐炭鉱(現・常磐興産)中郷鉱専用線が開通。
1971年(昭和46年)09月01日 - 常磐炭鉱中郷鉱が8月30日に閉山となったため、専用線の運行を休止。
1975年(昭和50年)10月18日 - 常磐炭鉱中郷鉱専用線を正式廃止。
 @南中郷駅(みなみなかごうえき)は、茨城県北茨城市中郷町小野矢指にある東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。みどりの窓口設置駅(営業時間 6:00〜20:00)。簡易Suica改札機設置。
@現在はオプトクリエーション茨城中央研究所になっている。
@広大な敷地には炭鉱関連の施設があった。 @ここから中郷鉱専用線が続く。
@中郷鉱専用線跡は地元の通学路になっている。
Aこの先2q近い直線の廃線跡が続く。
 Bここより舗装路は左に逸れるが廃線跡は直線で続く。 B分岐部から200m位の所に橋梁発見。
B分岐部から橋梁迄。 Bカーター橋が残る。
B枕木がH型鋼の中に入る珍しいタイプ?
B橋梁を過ぎても廃線跡は続く。  C直線で続いた廃線跡は綺麗な築堤が残っている。
C塩田川を渡る部分には中郷鉱専用線のコンクリート橋梁が残る。
C塩田川を渡った先にも直線で廃線跡は続く。
D県道299号線を渡り民家の間を中郷鉱専用線の廃線跡は続く。
D廃線跡は切り通しを抜けて再び塩田川を渡る。
E今回の塩田川を渡るときには橋梁の跡は残っていない。
F塩田川を渡りしばらく緩やかに左カーブし砂利道が続くが、廃線跡は藪の中へ。
F藪がすごいので、道路を迂回して再び廃線跡へ。民家の裏側を通っている。
G民家の裏を通り過ぎて、再び蛇行している塩田川を渡るが、橋梁跡は残っていない。
H中郷鉱専用線は塩田川を渡り常磐道方向へ続く。
 I県道299号線に合流するところに三峯神社がある。 J廃線跡とは関係ないが素晴らしい切り通しだ。
J上田炭鉱専用線(じょうでんたんこう)がここから分岐していた。
J上田炭鉱専用線の脇には馬頭観音が。 Jこの橋は上田炭鉱専用線の橋か?
J常磐炭鉱中郷鉱専用線の終点があった原炭積込所跡である。
J常磐炭鉱中郷鉱専用線の終点があった場所にひっそりと神社が残る。
J常磐炭鉱中郷鉱原炭積込所跡関連施設か?
J常磐炭鉱中郷鉱原炭積込所跡に橋梁が残る。 J何かの基礎が残るが・・・
J常磐炭鉱中郷鉱石炭積込場跡。
J常磐炭鉱中郷鉱石炭積込場跡の内部。
J常磐炭鉱中郷鉱石炭積込場跡の内部。
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