更新日時 2010年02月15日

 高萩炭礦櫛形鉱は常盤炭田最南の炭鉱で福島県双葉郡富岡町から茨城県多賀郡十王町(現在は日立市に合併)まで南北に大きく広がる常盤炭田であるが、十王町の「櫛形炭鉱」は、常磐炭田の最南部に位置した。この櫛形地区に開発の手が入ったのは昭和12年(1937年)と遅かった。昭和17年(1942年)年には東邦炭鉱葛形鉱となり、更に昭和20年(1945年)には合併により高萩炭鉱葛形鉱となった。1973年に閉山。これで常磐地域での炭鉱に終止符が打たれた。
高萩炭礦櫛形鉱専用線
開設 昭和18年(1943年)11月
廃止 昭和51年(1976年)03月
茨城県多賀郡十王町(現日立市十王)友部 全長 910m

高萩炭礦(株)の概要及び沿革
概要
企 業 名 高萩炭礦株式会社
代表取締役 菊池仁
資 本 金 5,100万円
設立年月日 昭和15年5月7日
本社所在地 東京都千代田区丸の内3丁目三の1
炭 鉱 名 櫛形炭鉱
鉱業所長 夏原喜三郎
鉱業所々在地 多賀郡十王町大字友部2565 [現日立市友部町]

沿革
昭和12年06月 株式会社櫛形鉱業所より本坑(旧)開さく
昭和17年08月 東邦炭鉱(株)に合併、同櫛形鉱業所となる
昭和20年05月 高萩炭礦(株)が譲渡を受ける
昭和35年11月 櫛形本坑の開さくに着手する
昭和40年10月 運搬通気排水等の諸手続を旧本坑より現本坑(新斜坑)に切り替える
昭和42年06月 高萩炭鉱閉山に伴い同鉱労務者受入 予備切羽として第三斜坑区域の開発に着手する
昭和44年03月 旧本坑区域を閉鎖、第二斜坑を中心に操業区域を集約する
昭和46年02月 第三斜坑区域に主生産切羽を転換
昭和48年01月 櫛形炭鉱閉山[01月31日]
 @十王駅(じゅうおうえき)は、茨城県日立市十王町友部にある東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。2004年(平成16年)3月13日に、川尻駅(かわじりえき)から改称された。駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。2004年(平成16年)に現在のように改良される前は2面3線(中線は不使用)だった。バリアフリーの観点からホームにはエスカレーター・エレベーターが設置されている。Suica対応自動改札機設置駅。改札口・ホームに電光掲示板が設置されている。自動精算機は設置されていない。東口駅前広場にKIOSKがあったが、廃止・撤去され、その跡には自動販売機が設置された。西口駅前広場には、公衆電話・駐輪場以外、何も設置されていない。かつて現在の西口には、櫛形炭鉱の専用線があった。改良工事前は、保線車両の待避線として使用されていた。駅から少し離れた所に炭鉱線の橋脚跡がある。
@十王駅前に日立市立十王図書館がある。 @十王駅前から櫛形炭鉱専用線が接続していた。
A十王駅から西口駅前を北側に行く道が櫛形炭鉱専用線の跡だ。
B櫛形炭鉱専用線の跡。
C十王川を渡る櫛形橋。十王川の奥に見えるのは常磐線の鉄橋。
C十王川を渡る櫛形橋の横に高萩炭鉱櫛形鉱専用線の橋台が残る。
D櫛形炭鉱専用線の跡。
E櫛形炭鉱専用線の跡。鉄道跡のカーブが何とも言えない雰囲気を醸し出している。
F十王町役場前のこの辺まで櫛形炭鉱専用線は延びていた。
F十王町役場。
1955年02月11日 - 櫛形村・黒前村が合併し、十王村が発足。
1956年01月01日 - 十王村が町制施行し、十王町になる。
2004年11月01日 - 十王町が日立市に編入、廃止。
 F十王町(じゅうおうまち)は、茨城県北部にあった多賀郡の町である。2004年11月1日に、日立市に編入された。】「十王」の名は、両村を流れる十王川に由来したものです。この地は「高国」といわれて、紀元3世紀から高度の文化を持った先住民族が住みついていたことが、常陸風土記にも記されており、町内に散在する古墳からの出土品(十王台式土器など)や穴居跡からもうかがえます。 仏教伝来(538年)と共に、中国の信仰十王経が伝わり、のちに国中に広まり各地に十王を祀る堂宇が建てられたようですが、町内には今でも十王台、十王前、など十王の名のつく地名が残っています。
G十王町役場から大心苑ゴルフ場方向を見る。 G炭鉱によく見られる赤錆の湧水。
G大心苑ゴルフ場に櫛形炭鉱の遺構と思われる建築物が残っている。
G大心苑ゴルフ場に櫛形炭鉱の遺構と思われる建築物が残っている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 高萩炭礦櫛形鉱専用線