更新日時 2016年01月04日

廃線探索 湘南軌道
 湘南軌道(しょうなんきどう)は、かつて神奈川県に存在した軽便鉄道およびその運営会社である。秦野で産出されていた葉タバコを東海道線の二宮まで輸送することを主目的として建設され、大正期には賑わいを見せたが、昭和2年(1927年)に小田原急行鉄道(現在の小田急小田原線)が開通すると衰退し、旅客営業休止、路線休止を経て昭和12年(1937年)に廃止された。1906年(明治39年)8月1日 - 当駅と秦野駅(現在の秦野駅とは別の場所)との間に湘南馬車鉄道(後の湘南軌道)が開通。1935年(昭和10年)10月9日 - 湘南軌道が営業休止(1937年8月25日廃止)。
路線データ (廃止時点のもの) 路線距離(営業キロ):10.0km  軌間:762mm
駅数:8駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線)  電化区間:なし(全線非電化)
駅一覧
秦野駅※ - 台町駅 - 大竹駅 - 上井ノ口駅 - 下井ノ口駅 - 一色駅 - 中里駅 - 二宮駅
※湘南軌道の秦野駅のあった場所は、専売公社農場(現ジャスコ秦野店)附近で、現在の小田急秦野駅からは離れている。
 二宮駅(にのみやえき)は、神奈川県中郡二宮町二宮にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線の駅である。
 駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。駅舎は以前は下り方に設置されていたが、現在は橋上駅舎となっている。みどりの窓口(営業時間 6:30〜20:00)や自動改札機がある。
@湘南軌道 二宮駅跡。左写真は旧湘南軽便鉄道二宮駅建物。
 @通称「けいべん」は、明治39年(1906年)に湘南馬車鉄道株式会社が吾妻村(現在二宮町二宮)〜井ノ口村(現在中井町井ノ口)〜秦野町(現在秦野市本町3丁目)間の道路9.6qに幅二尺五寸(762mm)の軌道を敷設した馬車鉄道の運行が始まりとなっています。馬車鉄道は一頭の馬が小さな客車、または貨車を引くものでしたが、大正2年(1913年)には動力を馬から無煙炭燃料汽動車(蒸気機関車)に代え、社名も湘南軽便鉄道株式会社とし、運転を開始しました。当時の沿線は、わら葺屋根の民家がほとんどで火の粉の飛散を防ぐため、独自に開発したラッキョウ型の煙突を付けた機関車が、客車や貨車を牽引していました。二宮駅からの乗客は、大山への参拝者が多く、シーズンになると駅は活気にあふれ、貨物ホームには葉たばこ、落花生、雑穀、肥料などがうず高く積まれていました。特に二宮特産の落花生は、全国に名が知られていました。二宮駅は、東海道線と軽便鉄道の乗り換え地点で、乗継切符が販売されていました。石碑の北側には、湘南軌道株式会社「二宮駅」の上屋が、今でも当時の面影を残しています。二宮にはこのほか中里停留所、一色停留所が有りました。その後、軽便鉄道は、大正7年(1918年)には湘南軌道株式会社へ軌道特許権が譲渡され、大正10年(1921年)に秦野自動車株式会社が秦野〜二宮間の営業を開始、大正12年(1923年)の関東大震災による軌道の損害、、昭和2年(1927年)の小田急開通などにより鉄道の経営が厳しくなり、昭和8年(1933年)に旅客運輸を、昭和10年(1935年)には軌道全線の営業を休止し、昭和12年(1937年)に軌道運輸事業を廃止しました。
 軽便鉄道100周年記念 秦野市・中井町・二宮町 軽便鉄道歴史継承事業実行委員会 平成18年
@湘南軌道二宮駅。右方向は東海道線二宮駅。 @一方通行の道が湘南軌道跡。
A葛川を渡る内輪橋。湘南軌道もこの川を渡っていたのであろう。橋は架け替えられた。
A湘南軌道跡は県道72号線の生涯学習センター前交差点で近づき、再び左側へ離れて行く。
B湘南軌道跡は道路に転用されている。 B二宮には古い家が多くあります。
 B大応寺。妙見山盛唇庵という。曹洞宗、豆州加茂郡宮上村最勝院末。開山は麟正(本寺五世、天文8年3月29日寂)が、天文7年正月に高遁斎道応(当時、小田原城主)が当所内の蔵屋敷ならびに山林、田畑を寄付した。そのため、この人の法号、大森道応居士冠踏の二字を取って大応寺と改めたものであるという。 本尊は釈迦、元禄2年に万年佐左衛門宗頼の寄付したものである。寺宝の古文書三通のうち一通は前に記した。一通は永禄元年10月の北条氏政が発した伐木禁制の掟書、一通は北条氏政の書翰。鐘楼には元禄3年銘の鐘がかけてあったが、戦時中、鉄回収のため現存しない。(出典:二宮町郷土史) B湘南軌道跡は左側。門にはトタンの古い民家。
C葛川を渡る妙見橋。 C湘南軌道跡。
D葛川を渡る萬年橋。  D萬年堰跡。今から約300年前、時の代官萬年氏はここに堰を作り、葛川の水をせき止め、内輪・勝負前・倉田新田等に水を送りました。この堰の特徴は、水田と堰の高低差が少ない上に通水の距離が長いことです。 (二宮町教育委員会)
D天社神石碑。 D東海道新幹線の高架下を潜る。
E湘南軌道中里停留所跡。(記載内容は二宮駅と同じ)
中里駅(なかざとえき)は、現在の神奈川県中郡二宮町中里にかつて存在した湘南軌道の駅である。
E何の石碑か解らない・・・ F湘南軌道跡。
F湘南軌道跡は県道71号線に合流ししばらく続く。
 G湘南軌道跡(県道71号線)は小田原厚木道路を潜る。  G湘南軌道の木柱かは解らないが、古い木柱が残っていた。
H湘南軌道跡は県道71号線から二宮高校入口交差点から右側へ。
I湘南軌道跡。岩崎バス停付近。 I湘南軌道跡。
J二坦道石碑。 J湘南軌道跡。下谷バス停付近。
K湘南軌道一色留所跡。(記載内容は二宮駅と同じ)
一色駅(いしきえき)は、現在の神奈川県中郡二宮町一色にかつて存在した湘南軌道の駅である。
K湘南軌道跡。 K神明神社。
L一色公民館。 L天社神石碑。
 L浄源寺。山号を宝林山光明寺といい、浄土宗芝増上寺の末寺です。むかしは浄円寺という小寺でしたが、1615年乗応上人が入山され、浄源寺と改号されたといいます。本尊は阿弥陀如来像で町の重要文化財になっています。この像は漆箔の古色仕上で乗応上人のおり、平塚の土屋から移されたとも、土屋の大野善九という人が奈良地方へ遊びに行き相撲に勝って手に入れたともいわれています。その「円い顔、眉や目のなめらかなカーブ、豊かな頬、胸から腹にかけてたっぷりとした肉取りなど、本格的に仕上げられた関東に数少ない平安彫刻である」と専門家の評価も高いものです。 L湘南軌道跡。梅ノ木バス停付近。
 M二宮町と中井町の町境に境橋が有る。大正14年1月完成の為、湘南軌道でも使われていた橋と思われる。関東大震災が大正12年の為、関東大震災後に建て替えられた。
M湘南軌道跡は道路に転用されている。
N湘南軌道跡は道路に転用されている。
N湘南軌道跡。五分一バス停付近。 N湘南軌道跡。
O下井ノ口停留所付近の古い建物。
O湘南軌道下井ノ口停留所跡。(記載内容は二宮駅と同じ)
O湘南軌道下井ノ口停留所付近は若干昔の名残で商店等がある。
P湘南軌道は左カーブを描き再び葛川を渡る。(現在の中津橋)
P湘南軌道は葛川を渡り、登り勾配で右にカーブして行く。(地元のおばあさんにこの道が湘南軌道と確認)
P立派な門構えの家だ。 P湘南軌道は上り勾配を登って行く。
 P米倉禅寺。禅三宗の内、曹洞宗に属して井宝山(せいほうざん)と号し、天文元年(1532年)の開創で米倉一族の菩提寺です。米倉家は甲州武田家の家臣で、米倉丹後守種継が井ノ口移住の折、両親の追善と自己の安住を考え、昔からこの地あった用国院を再建して、米倉寺と改名したと伝えられています。 米倉寺は、460年以上の歴史の中、正保2年(1645年)に焼失し慶安2年(1649年)に再建されましたが、本堂は天明年間(茅葺)と平成6年に再建し、庫裡は340年の寒暑に耐えて平成3年に再建されました。現在の本堂内陣は天明年間の材その侭に再現し、内外に貴重な文化財も多く、県の昔話50選に記載される迫力ある阿吽の2龍、又関東百八地蔵尊霊場94番札所でもあります。米倉寺の重要文化財・米倉一族の墓/米倉丹後守種継・平太夫繁次・権平まで3代の墓で、一枚墓石・五輪塔・宝筺印塔などは、300年以上もの風雪に耐えています。・内陣の欄間彫刻/本堂大間にある6基の彫刻です。杉崎佐吉政貴の作で籠・獅子・麒麟が彫られています。・梵鐘/寛永7年(1630年)に鋳造されました。
Q湘南軌道跡。 Q昔はこんなに住宅は無かったのだろう。
Q湘南軌道跡。北窪入口バス停付近。 Q湘南軌道跡。東名高速まで2q。
R湘南軌道跡。 R中井町消防団。第六分団。
R湘南軌道跡周辺には古い廃屋がかなり残っている。
S井ノ口公民館前の湘南軌道跡に中井町の地図が有ったが、軌道跡の表示は見受けられなかった。
S井ノ口小学校前バス停。
@湘南軌道跡付近に道祖神が多数ある。
 @蓑笠神社。井口地区の鎮守と崇められる蓑笠神社。その一風かわった名前の由来は、祭神である素戔鳴命が旅の途中、この地に蓑笠を置いていったからとする説、昔4月1日に開かれた農具市の商品に蓑笠が多く、「蓑笠の森」とよばれたとか、興味のつきないところ、現在は4月10日に近い日曜日に、様々な儀式や余興が催され、元気な子供御輿が祭りを盛り上げます。
 @蓑笠神社にある推定樹齢約400年のケヤキ。樹高25m、胸高周囲5.7mの古木である。頂部から根本に達する落雷による裂傷があるが樹勢は旺盛で地域の人々に御神木として奉られています。 @本道では御祓いをしていた。
A上井ノ口バス停付近。 A道路は右カーブして行くが・・・
 A上井ノ口停留所。この付近には上井ノ口停留所があり、付近には坂が多かったことから、客が降りて登り切れない列車を後押しするのどかな光景も見られた。また、下井ノ口停留所との中間付近(井ノ口公民館の南側にある宮向自治会館)には、列車を入れ替える「すり替え場」が設けられていた。(前後の内容は他停留所と同じ内容)
A道の分岐部にはお地蔵さんが鎮座している。軌道跡は左へ。
 Aこの道が湘南軌道跡かは地元の人に聞いても解らない。地図上の道の感じからしてそうなのだが、東名高速道路の秦野中井インターの工事で区画整理が進み、湘南軌道跡がこの辺は判別が出来ない。
B先ほどの延長線上の秦野中井インター周辺。区画整理の完成記念碑が有った。
B停留所跡の石碑かと思ったが違った。
C秦野中井インターを過ぎたところで県道71号線から右側へ入る道が湘南軌道跡だ。
C軽便みちの石碑が建っている。間違いなく湘南軌道跡だ。
D県道71号線は西大竹隧道を通るが、湘南軌道は丘を迂回して右側へ大きくカーブして行く。
 E湘南軌道大竹駅。この付近には大竹駅があり、蒸気機関車に水を供給する水槽や待避線の施設が設けられていました。秦野には、秦野駅、台町駅が有りました。(前後の内容は他の停留所と同じ内容)
E嶽神社。
E湘南軌道跡、西大竹バス停付近。かなりの急勾配だ。
F軽便みちの石碑が有るから、間違いなくこの急勾配を登っていたのであろう。
F湘南軌道は再び県道71号線と交差する。
G湘南軌道は大正13年12月竣工(関東大震災後)の逆川橋を渡る。
G湘南軌道跡は小田急線の高架下を潜る。 H湘南軌道跡の養泉院バス停付近。
H湘南軌道跡は養泉院沿いに進み室川を渡る。
H室川の辺に石碑が有るが読めない。 Hここに橋が架かっていたのであろう。
I室川を渡ると住宅街になり痕跡はたどれない。再び水無川を渡る。
I湘南軌道跡は水無川を渡り、命徳寺脇の駐車場、玉宝山会館前を通っていたと思われる。
 J台町駅。開通当時この付近には、秦野駅があり、秦野の玄関口として栄え、青物市場や各種商店で賑わっていました。大正10年(1921年)からの軌道延長工事により、秦野駅は専売局前に移され、台町駅と駅名が代わりました。秦野には、このほか秦野駅、大竹駅がありました。(前後の文は他の停留所と同じ内容)
J湘南軌道は台町駅から旧専売局方向へ。
K湘南軌道跡の道は続く。
L道路は勾配で下がって行くが、湘南軌道跡は左側の龍門寺石垣の高さで延びていたのであろう。
M上写真の延長線上の湘南軌道跡。 M奥のNTT鉄塔が終点の秦野駅跡だ。
N湘南軌道終点の秦野駅跡(NTT秦野営業所)
N湘南軌道終点の秦野駅跡には軽便みちの石碑が建っている。
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