更新日時 2016年01月05日

廃線探索 東武矢板線
 矢板線(やいたせん)とは、栃木県日光市(旧塩谷郡藤原町)の新高徳駅と、矢板市の矢板駅とを結ぶ、東武鉄道の運営していた鉄道路線である。高原山麓、沿線の木材、鉱物資源搬送用に開発された鉄道である。今でも、駅跡近くには製材所の面影を残す建物などが見られる場所が多い。もともとは現東武鬼怒川線を開通させた下野電気鉄道が開業させたものである。下野電気鉄道は1943年5月1日、陸上交通事業調整法に基づき東武鉄道へ買収され、同社の矢板線となった。もと下野電気鉄道でも、東武日光線と接続して浅草駅からの直通列車が走るようになった鬼怒川線とは異なり、メインルートから外れた矢板線は近代化も行われず、1959年6月30日をもって廃止された。最後まで蒸気機関車が混合列車を牽く昔ながらの運行形態が続いており、矢板線の廃止をもって、東武鉄道から蒸気機関車による旅客列車が消えた。同線は塩谷町の主要生活路線のため廃止後は東武バスが転換バスを運行させたが、後に撤退。東野交通、塩谷町代替バス(関東自動車委託)に引き継がれ、現在は藤田合同バスが、新高徳 - 矢板間にバスを受託運行している。東武バス時代には、矢板駅より日光、今市行き、鬼怒川温泉行きなどの路線もあった。
駅一覧
新高徳駅 - 西船生(にしふにゅう)駅 - 船生(ふにゅう)駅 - 長峰(ながみね)荷扱所- 天頂(てんちょう)駅 - 芦場(よしば)駅 - 玉生(たまにゅう)駅 - 柄堀(からほり)駅 - 幸岡(こうか)駅 - 矢板駅
東武の鉄道車両 90年の歩み 写真集より 昭和34年玉生付近。
 @矢板駅(やいたえき)は、栃木県矢板市扇町一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東北本線(宇都宮線)の駅である。駅構造は島式ホーム1面2線、単式ホーム1面1線を持つ地上駅。単式ホーム(下り線)側に駅舎がある。構内には、Suica対応自動改札機、みどりの窓口(営業時間 7:00 - 18:00)・指定席券売機がある。2009年3月31日まではあわせてキオスクもあったが、同日限りで営業を終了し、同年4月8日に店舗は撤去された。また、駅前にはロータリーがある。
@東武矢板線の矢板駅が有った場所。
A東武矢板線は東北本線と暫く平行して走り、右写真辺りから右へカーブして行く。
B東武矢板線は県道30号線を越える辺りは築堤になっていたようだ。
C中川を渡る場所は築堤と鉄橋が有ったようだ。
D宮川を渡る。 D当時は無かったが、東北自動車道を潜る。
E幸岡駅周辺。幸岡駅(こうかえき)は、栃木県矢板市幸岡にあった東武鉄道矢板線の駅である。
F東武矢板線はこの小川商店を左に入って行くのだが、右写真の道と間違えました。(笑)
 F実は東武矢板線の廃線跡はこの小川商店に隠れていました。この小川商店は東武矢板線の廃線後に出来たのでしょうね。
F東武矢板線の廃線跡。 G東武矢板線の廃線跡。
H東武矢板線の廃線跡。築堤やカーブが良いですね。
I道路は急勾配と思ったら、その脇に旧線の廃線跡が・・・
I廃線跡を進むとそこには隧道が残っている。
 I隧道の入口は塞がれているが、でも入れてしまう(笑)この隧道はコンクリートで閉塞している。それにしても隧道のコンクリートが新しい気もするが・・・閉塞部に色々な文字が書かれているが、暴走族の肝試しの場所にでもなっていたのであろう。
 J隧道の反対側の出口はこの辺に有ったのであろう。地図上ではトンネルの表記が有るので、一時期はこの隧道も使われていたのであろう。道路のトンネルに転用したため、隧道のコンクリートが新しいのかもしれませんね。
J山越えの隧道を過ぎて開けた場所に出てきました。
K柄堀駅(からほりえき)は、栃木県塩谷郡塩谷町柄堀にあった東武鉄道矢板線の駅である。
L柄堀駅を過ぎると、東武矢板線の廃線跡は右方向へ進む。
M跨線橋が残っている。 M跨線橋は2t車迄の様だ。
M跨線橋は大分前から使われていない様だ。  N木材の搬送用に開発された矢板線だけ有って、廃線跡沿いには木材の会社が残っている。
O東武矢板線の廃線跡を進むと荒川に突き当たるが、この荒川は那珂川の支流の荒川である。
O荒川には橋台等の遺構は見られなかった。 O荒川を過ぎると直線の廃線跡は続く。
 P東武矢板線の廃線跡は小さな用水路を渡り、その後民家に突き当たる。これから先はしばらくは廃線跡が解らなくなる。
 Q地元のおばさんに聞くとこの辺が玉生駅跡と言っていたが・・・玉生駅(たまにゅうえき)は、栃木県塩谷郡塩谷町玉生にあった東武鉄道矢板線の駅である。
Q築堤が一部残っている。 Qここから先は築堤が壊されている。
Rここまで築堤は無い。 Rここから再び築堤が現れる。
R築堤が残っている。
R小さな橋台及びガーター橋?が残っていた。
 S東武矢板線のトンネルは高原建設の敷地内に有り、高原建設が管理している様だ。高原建設のダンプの運ちゃんにトンネルを見たいと言ったら、近くに社長の家があるので社長に聞いてくれと言われた。社長の家に行き許可をもらって中を見せてもらったが、実は鍵が掛かっていると思い込んでいたが、鍵が掛かっているように見えるが鍵はかかっていなかった(笑)
S朝早くの訪問だったので、勝手に見てくれとの事だったので見させて頂きました。
S隧道は年月が経っているためコンクリートの鍾乳石?が出来ている。
S隧道の奥が明るいと思ったら、天井に明かり取りの穴が開いていた。隧道は閉塞。
S隧道の上に奇妙な地下室が・・・最初は隧道に降りる階段かと思ったが・・・隧道にはドアは無かった。
@隧道の反対側はこの辺に有ったと思われる。
@トンネルを抜けた後は、この植え込みが東武矢板線の廃線跡。
Aここから歩行者専用道路として廃線跡が続く。
B東武矢板線の廃線跡は歩行者専用道路として廃線跡が続く。
C芦場(よしば)駅跡。
C芦場新田駅跡看板。 C芦場(よしば)駅跡を過ぎて廃線跡は続く。
D八重桜?も綺麗に咲いています。 D線路脇によく見かける柵が有りますね。
E東武矢板線の廃線跡は一部歩行者専用道路になっていて、一般車両の通行が禁止になっています。
 F天頂区公民館が有る場所が天頂(てんちょう)駅跡です。天頂駅(てんちょうえき)は、栃木県塩谷郡塩谷町天頂にあった東武鉄道矢板線の駅である。
G天頂駅を過ぎると国道461号線と交差します。
G国道461号線と交差後、再び東武矢板線の廃線跡は一般道に転用され続きます。
H東武矢板線の廃線跡は泉川の板橋を渡ります。
I東武矢板線の廃線跡。 J富沢川の下田橋を渡る。
 K船生(ふにゅう)駅跡。ホームのスロープが残っていますが、先ほどの廃線跡を考えると、船生(ふにゅう)駅は2面2線の駅だったのではと推測します。この駅スロープ跡は線路の反対側ではないかと推測する。
 K上記推測を裏付けるのが、こちらにもホームの跡らしき遺構が残る。先ほどの廃線跡を辿ると、丁度廃線跡は二つのホームの真ん中に来る。右写真の小屋は矢板線関連と関係ないと思いますが、引き込み線の車庫だったりして(笑)
L小さな小川を渡る。 M土佐川を渡る新土佐川橋梁。
N西船生(にしふにゅう)駅跡?
Oこちらが西船生(にしふにゅう)駅跡との噂も有ります(笑)
Pこの先に橋台が残る。
Q西船生駅側の橋台。
Q新高徳駅側の橋台。
R一般道から廃線跡らしき方向へ進む。
S杉林の中を用水路が通っているが、そこに小さな橋台が残る。
@杉林の中を東武矢板線の廃線跡が続く。
Aここで廃線跡は一端途切れる。  B広久保前開田竣工記念碑。この開墾で廃線跡が消えたのか・・・
C遅沢川に架かる橋台跡。西船生駅側の橋台。
C遅沢川に架かる橋台跡。新高徳駅側の橋台。
D遅沢川に架かる橋台跡を過ぎても廃線跡が続く。
E切り通しが何ともいえなく良い雰囲気ですね。 F杉林が続きます。
G何かと思ったら別荘の看板でした。
H東武矢板線の廃線跡。
I東武矢板線は新高徳駅手前で、左側(下今市方向)へも分岐していた。
J新高徳駅へ続く東武矢板線の廃線跡。
K新高徳駅(しんたかとくえき)は、栃木県日光市高徳にある東武鉄道鬼怒川線の駅である。
K駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。上下列車の交換が行われる。浅草発着の特急「きぬ」停車駅であるが、新宿発着の特急「(スペーシア)きぬがわ」は通過する。駅舎は線路の東側にあり、ホームとは跨線橋により連絡している。
以下の写真は東武博物館:特別展、鬼怒川線・旧矢板線の歴史より。
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