更新日時 2014年12月06日

廃線探索 旧国鉄宮原線
 宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の国鉄再建法の施行を受け、第一次特定地方交通線として1984年に全線が廃止された。なお、線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の字名である。改正鉄道敷設法別表第113号に規定する予定線の一部で、佐賀県佐賀から福岡県瀬高、熊本県隈府(現在の菊池)を経て大分県森(豊後森)に至るという壮大な計画であった。佐賀・瀬高間が佐賀線として、瀬高・南関間が東肥鉄道として、大分県側で本路線が開業したが、そのすべてがすでに廃止されている。宮原線は、1937年に恵良・宝泉寺間が開業したが、太平洋戦争の激化にともない不要不急線として延伸工事は中止、既開業区間も1943年に休止された。なお休止区間のレールは戦時中の金属供出に充てられたといわれている。戦後の1948年には復活し、1954年には大分・熊本県境を越えて肥後小国まで延伸され、農林資源の開発や観光路線として期待されたが、盲腸線であるうえ、人口が希薄な県境の高原地帯を走る路線であり、利用は振わなかった。
宮原線(廃線)
恵良駅 - 町田駅 - 宝泉寺駅 - 麻生釣駅 - 北里駅 - 肥後小国駅
 @恵良駅(えらえき)は、大分県玖珠郡九重町大字右田にある九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。かつては当駅から宮原線が分岐していた。
 @恵良駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。構内にはかつて当駅で分岐していた宮原線の跡が残っている。無人駅。
@宮原線列車が発着していた恵良駅の3番線は線路跡がよく残る。
A旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の役場前踏切より撮影。
B旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の石上踏切より撮影。
C旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。
D旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。
E旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。町田トンネルを拡幅し道路トンネルへ転用している。
F旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。町田トンネルを拡幅し道路トンネルへ転用している。
 G旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。道路の拡幅工事によりまもなく廃線跡が消滅しようとしている。
H旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。コンクリート橋梁が残る。
I旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。
 J町田駅(まちだえき)は、かつて大分県玖珠郡九重町大字町田にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線の駅(廃駅)である。すぐ下を通る国道387号の道路脇(町田バス停横)に、『町田駅 MACHIDA STN. →』と書かれた錆びついた案内板が残っている。
 J町田駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。駅跡にプラットホームや駅名標が残る。
J旧国鉄宮原線の町田駅 - 宝泉寺駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の町田駅 - 宝泉寺駅間の廃線跡。
L旧国鉄宮原線の町田駅 - 宝泉寺駅間の廃線跡。Mトンネルも拡幅されている。
N旧国鉄宮原線の町田駅 - 宝泉寺駅間の廃線跡。橋梁は道路橋に掛け替えられている。
 O宝泉寺駅(ほうせんじえき)は、かつて大分県玖珠郡九重町大字菅原にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線の駅(廃駅)である。
 O宝泉寺駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を持つ有人駅であった。駅跡は鉄道記念館となっていたが現在では廃止されている。腕木式信号機は残る。
P旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
Q旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
R旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
S旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。串野隧道。288.40m。宝泉寺駅側。
@旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。串野隧道。288.40m。麻生釣駅側。
A旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
B旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。宝泉寺駅側。
C旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。麻生釣駅側。
D旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。第1銅尻隧道125.20m 宝泉寺駅側。
E旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。第1銅尻隧道125.20m 麻生釣駅側。
F旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。第2銅尻隧道30.10m 宝泉寺駅側。
G旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。第2銅尻隧道30.10m 麻生釣駅側。
H旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。 宝泉寺駅側。
I旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。 麻生釣駅側。
J旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
L旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
M旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
N旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
O旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
P旧国鉄宮原線の宝泉寺駅 - 麻生釣駅間の廃線跡。
 Q麻生釣駅(あそづるえき)は、かつて大分県玖珠郡九重町大字菅原にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線の駅(廃駅)である。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。駅跡は自然回帰が進行しており、痕跡を辿るのは困難を極める。
R旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。麻生釣トンネル。お酒の貯蔵場所になっている。
S旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。麻生釣トンネル。
@旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。
A旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。猿渡トンネルの麻生釣側。
A旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。猿渡トンネルの麻生釣側。
B旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。猿渡トンネルの北里駅側。
B旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。 B赤水川に架かる堀田橋梁。
 B赤水川に架かる堀田(ほりた)橋梁は昭和59年(1984年)に廃線となった旧・国鉄宮原(みやのはる)線のコンクリート造り4連アーチ橋でが、今、道路の上の部分は壊されていますので3連のみ残っています。
 Bこの堀田橋梁は岳ノ湯温泉やはげの湯温泉に行く道の入口付近から旧道に入ってしばらく南下するとあります。橋梁の半分は杉林で隠れていて全体は見えないです。道の上の部分を壊していますから分かったのだと思いますが、この橋梁は鉄筋が入っていることが確認されています。他の橋梁は「竹筋橋」と言われていますが、この橋梁の鉄筋が確認されたということは、他の橋梁も鉄筋の可能性がありす。形式:コンクリート造り4連アーチ橋・橋長:46.0m・完成:昭和13年頃(1938年頃)
 C塩井川(しおいがわ)橋梁は昭和59年(1984年)に廃線となった旧・国鉄宮原(みやのはる)線のコンクリート造り3連アーチ橋です。牧歌的な棚田の中に架かっており、この近辺は日本の山村の原風景のような景色をしています。橋の下を流れる塩井川そばには、数本の桜の木があります。
 C塩井川(しおいがわ)橋梁は隣の堂山(どうやま)橋梁と完成年も長さもデザインもほぼ同じで、よく似ています。今は、この橋梁も立入禁止になっていますが、この橋梁そばから見る棚田の風景はとてもいいです。また、橋梁のそばに堀田トンネルがあります。・形式:コンクリート造り3連アーチ橋・橋長:34.0m・完成:昭和13年頃(1938年頃)
 D堂山(どうやま)橋梁は昭和59年(1984年)に廃線となった旧・国鉄宮原(みやのはる)線のコンクリート造り3連アーチ橋です。涌蓋山(わいたさん)の麓に湧く山川温泉の入口に架かっており、この橋梁の手前にも「ほたるの里温泉」という共同温泉があります。この近辺は棚田が広がり、そばの塩井川にはホタルが舞う牧歌的な風景が残っている場所で、塩井川は「くまもとホタルの里100選」に選ばれています。堂山(どうやま)橋梁そばには神社があり、階段を登ってゆくと橋梁の上に行きますが橋梁は通行禁止になっています。形式:コンクリート造り3連アーチ橋・橋長:34.0m・完成:昭和13年頃(1938年頃)
E旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。
F旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。跨線橋が残る。
F旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。
G旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。
H旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。
I旧国鉄宮原線の麻生釣駅 - 北里駅間の廃線跡。
 I北里駅(きたざとえき)は、かつて熊本県阿蘇郡小国町大字北里にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線の駅(廃駅)である。
 I北里駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。駅跡は駅跡を偲べる形で整備され、農産物直販所となる。プラットホーム・駅名標等が残る。
I旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
 I北里(きたざと)橋梁は昭和59年(1984年)に廃線となった旧・国鉄宮原(みやのはる)線の橋梁として昭和13年頃にできた橋です。木魂館(もっこんかん)や北里柴三郎記念館のすぐ近くに架かっています。 この橋梁には柵も新しく設置されており、木魂館(もっこんかん)周辺の歩道として使用されているようです。 旧・国鉄宮原(みやのはる)線は肥後小国駅の手前が北里駅でした。北里駅はこの橋梁の手前にあり、いまも大きな桜の木が残り、それらしい雰囲気の広場となっています。そこに果物屋さんの店があり、そばに旧北里駅跡が残っています。そこには当時のホームの石垣がそのまま残っています。形式:コンクリート造り5連アーチ橋・橋長:60.0m・完成:昭和13年頃(1938年頃)
I旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。北里(きたざと)橋梁。
J旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
J旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
J旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。北里トンネル298.24m。
L北里トンネル内は遊歩道の為、照明が完備され入口にスイッチが有る。
L旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。北里トンネル298.24m。
M旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
M旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
M旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
N旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。24qポストが残っている。
N旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
O旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
P旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
Q旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
R旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。幸野川(こうのがわ)橋梁。
 R幸野川(こうのがわ)橋梁は北里西村地区に架かっているコンクリート造り6連アーチ橋です。この橋梁は昭和59年(1984年)に廃線となった旧・国鉄宮原(みやのはる)線の橋梁として昭和14年頃にできたものですが、当時は戦争準備のために極端な鉄不足であったために、コンクリートの中に鉄筋を入れる代わりに竹を入れたと伝えられています。いわゆる「竹筋橋」と言われる橋です。この「竹筋橋」は全国的にも非常にめずらしい橋だそうです。
 Rこの橋のデザインの特徴は橋脚部分に“3つの透かし穴”があります。この穴はデザインなのか、それとも構造的に意味のあるものか分かりませんが、この橋の印象を強いものにしています。この“3つの透かし穴”は長崎県の松浦鉄道「福井川橋梁」にもあります。この福井川橋梁も昭和14年に完成した橋梁で、「竹筋橋」と言われています。形式:コンクリート造り6連アーチ橋・橋長:112.0m・完成:昭和14年頃(1939年頃)
R旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
S旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
@旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
A旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
B旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。25qポストと思われる。
B旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
C旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
D旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
E旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
F旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
G旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
H旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。宮原トンネル240.11m
I旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。宮原トンネル240.11m
J旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
J旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
K旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
L旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
L旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。
 M肥後小国駅(ひごおぐにえき)は、かつて熊本県阿蘇郡小国町大字宮原にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線の駅(廃駅)で、行き止まりの終着駅である。駅跡は道の駅小国として整備され、施設内には往時の列車写真が掲げられている。
 M肥後小国駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を持つ有人駅で、本線のほか機回し線と側線があった。
  M建物の周囲の歩道部分には枕木が敷かれ、さらに構内の片隅にはレール・駅名標・転轍機・腕木式信号機もひっそりと保存され、また当所のバス停留所名称は「小国ゆうステーション」でもあり、かつてここが「鉄道の駅」であったことを証明している。
N肥後小国駅以降の未成線部分。
O肥後小国駅以降の未成線部分。
O肥後小国駅以降の未成線部分。跨線橋が残る。
P肥後小国駅以降の未成線部分。
P肥後小国駅以降の未成線部分。
P肥後小国駅以降の未成線部分。
Q肥後小国駅以降の未成線部分。橋梁が残る。
R肥後小国駅以降の未成線部分。隧道が残る。
S肥後小国駅以降の未成線部分。隧道が残る。
 九州鉄道記念館に展示されている キハ07 41号 製造初年:1937 製作社等:日本車両。戦前の代表的な機械式(クラッチで変速する方式)気動車で、連結運転の時は双方の運転士が合図しながら走っていました。昭和27年にガソリンエンジンをディーゼルエンジンに変更。この車両は昭和32年に豊後森機関区に配置され、宮原線で使用されました。昭和44年に引退となり豊後森機関区や大分運転所で大切に保管されていました。戦前に製造された同型車で原形を保っているのはこの車両だけです。
キハ07 41号サボと車内。
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