廃線探索 臼ノ浦線

更新日時 2012年07月17日

 臼ノ浦線(うすのうらせん)とは、長崎県北松浦郡佐々町の佐々駅から長崎県北松浦郡小佐々町(現・佐世保市)の臼ノ浦駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。1971年に廃止された。もとは、臼ノ浦港から積み出す石炭の輸送のため佐世保鉄道が開業した軌間762mmの軽便鉄道で、1931年に開業した。1936年には買収・国有化され、鉄道省(国有鉄道)松浦線の名無し支線となった。その後、1944年に松浦線の改軌・線路付替えが行われたことに伴い、松浦線本線との分岐を四ツ井樋駅から佐々駅に変更。1945年、松浦線の改軌工事完成に伴って、松浦線から分離し、臼ノ浦線となったが、沿線の炭鉱が閉山すると衰退し、レールバスのキハ10000系が細々と走る程度になってしまった。1968年には、鉄道としての使命を終えたものとして、同じく松浦線の支線であった世知原線とともに赤字83線にリストアップされ、1971年に廃止された。
駅一覧
佐々駅 - 四ツ井樋駅 - 肥前黒石駅 - 大悲観駅 - 臼ノ浦駅
 @佐々駅(さざえき)は、長崎県北松浦郡佐々町本田原免にある松浦鉄道西九州線の駅。かつては臼ノ浦線が分岐していた。
 @佐々駅構造は単式1面1線(佐世保方面折り返し用)及び島式1面2線ホームの地上駅である。島式ホームが1・2番のりば、単式ホームが3番のりばとなっている。各ホームは構内踏切で結ばれている。3番のりばのレールは行き止まりとなっており、たびら平戸口方面へは行くことができない。現在の駅舎と反対側が臼ノ浦線発着用となっており、同線廃止後はレールが撤去されていた。
 A佐々駅構内には松浦鉄道の佐々車両基地があり、列車の滞泊運用がある。この辺に扇形の機関庫が有った。
B臼ノ浦線の肥前黒石駅がこの辺に有った。臼ノ浦線は川側の雑草部分。
C臼ノ浦線はこの辺まで松浦鉄道西九州線と平行して走っていた。
D臼ノ浦線の廃線跡。用水路を渡る橋梁が有った。橋台が残る。
D臼ノ浦線の廃線跡。用水路を渡る橋梁が有った。橋台が残る。
E臼ノ浦線の廃線跡。
F臼ノ浦線の廃線跡。佐々川を渡る橋梁が有った。橋台が残る。
G臼ノ浦線の廃線跡。佐々川を渡る橋梁が有った。橋台が残る。
H臼ノ浦線の廃線跡。切り通しになっている。
I臼ノ浦線の廃線跡。
J臼ノ浦線の廃線跡。緑地が廃線跡。
 K臼ノ浦線の廃線跡。大悲観駅跡周辺。佐々駅からの距離測定で判断。1977年の航空写真ではこの辺に跡が残る。
 L臼ノ浦線の廃線跡。大悲観駅跡周辺?(広さ的にはこちらの方が駅っぽいが、1977年の航空写真ではこの辺には何も無い)
M臼ノ浦線の廃線跡。
N臼ノ浦線の廃線跡。
 O臼ノ浦駅(うすのうらえき)は、かつて長崎県北松浦郡小佐々町臼ノ浦免(現佐世保市小佐々町臼ノ浦)にあった日本国有鉄道(国鉄)臼ノ浦線の駅。同線の終着駅であった。廃止時は単式ホーム1つの駅であった。臼ノ浦線は佐世保鉄道が沿線で産出される石炭を臼ノ浦港より運び出すために敷設された路線で、主に世知原線と柚木線の沿線にある炭田から石炭がこの駅まで輸送されていた。しかし1962年に臼ノ浦線の貨物輸送が廃止されるとこの駅も斜陽化し、同線が赤字83線に指定されて廃線になったことで当駅も廃止された。駅舎はしばらく残っていたが後に取り壊され、跡地は港町公民館となった。ただし、駅舎の土台部分はそのまま残っており、駅の面影を伝えている。2008年6月に駅名標を模した記念モニュメントが地元企業により公民館前に設置された。ただし、記された駅名は「臼の浦」となっている。
P臼ノ浦線の廃線跡。臼ノ浦駅の先の貨物線跡。
Q臼ノ浦線の廃線跡。臼ノ浦駅の先の貨物線跡。
Q臼ノ浦港この広場に石炭が山積みされていた。
R臼ノ浦線の廃線跡。臼ノ浦駅の先の貨物線跡。
Sこの辺にも石炭が山積みされていた。
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