廃線探索 日本セメント八代工場専用線

更新日時 2012年09月03日

 日本セメント八代工場専用線:八代駅の西側から中心市街地を迂回して興人八代工場からメルシャン八代工場を経由し日本セメント八代工場(1980年閉鎖)へ至る専用線があったが、こちらは1989年までに全て廃止されている。専用線の大半は遊歩道や工場の敷地(駐車場)になって踏切跡も残っており、当時の線路跡を垣間見る事が出来る。日本セメント八代工場はしばらく廃墟として残ったあと2004年頃に取り壊されて更地になり、現在はゆめタウン八代とヤマダ電機テックランド八代店が建っている。18909年(明治23年)日本セメント株式会社八代工場操業開始。大築島より石灰石を採取し原料に利用した。1980年(昭和55年)4月日本セメント八代工場閉鎖。
 @八代駅(やつしろえき)は、熊本県八代市萩原町一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)・日本貨物鉄道(JR貨物)・肥薩おれんじ鉄道の駅である。
 @八代駅構造は島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線および切欠けホームを1線追加した2面4線の構造の地上駅である。単式ホームの鹿児島側と切欠式ホームを肥薩おれんじ鉄道が使用する。JR九州と肥薩おれんじ鉄道の駅舎は独立しているが、1番線ホームの中間部分にJR九州と肥薩おれんじ鉄道の仕切があり乗換取扱を行っている。駅舎は熊本方面のホームに面する。みどりの窓口やPOS端末が設置されている。出改札業務を九州交通企画が受託している業務委託駅だが、運転信号関係はJR九州直営である。JR駅舎と肥薩おれんじ鉄道駅舎の両方にコインロッカーが設置されている。
A鹿児島本線十条踏切より撮影。
B日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
C日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
D日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
E日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
F日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
G日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
H日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
I日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
J日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
K日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
L日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
M日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
N日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)
O日本セメント八代工場専用線の廃線跡(遊歩道に転用されている)ここから先はメルシャンの工場内。
P日本セメント八代工場専用線の廃線跡。日本セメント八代工場内。
Q日本セメント八代工場専用線の廃線跡。
 Q九州におけるセメント工場発祥の地:当地は九州で初めてのセメント工場があった場所です。明治8年、工部省により東京府深川清住町にセメント工場が建設され、本邦におけるセメント工業の歴史が始まりました。九州においては、明治23年、ここ熊本八代町建馬の地にセメント工場が建設され、昭和55年までの90年間セメント製造が行われました。セメント製品、原料及び燃料を粉砕するためのミルの一部です。八代工場内においては、セメントミル4基、原料ミル4基、石炭ミル2基が設置されていましたが、このミルは最も小型のもので燃料(石炭)を粉砕するために使用されました。セメントの半製品となるクリンカーを焼成するための円筒形ロータリーキルン(回転窯)の一部です。
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出典: 日本セメント100年史
出典: 旧日本セメント八代工場の産業遺産に関する研究 その2