廃線探索 内大臣森林鉄道

更新日時 2016年06月26日

 内大臣森林鉄道(ないだいじんしんりんてつどう)とは、林野庁熊本営林局矢部営林署が国有林運搬のために熊本県上益城郡甲佐町の甲佐駅から熊本県下益城郡砥用町(現:美里町)を経て上益城郡矢部町(現:山都町)の貯木場までを結んでいた森林鉄道」である。1967年に廃止された。
1915年(大正4年):本線21.3キロ、小松谷支線0.4キロ開業。
1924年(大正13年):アメリカ製ガソリン気動車を導入。
1926年(大正15年):鴨猪谷支線14.8キロが開業。
1937年(昭和12年):5.5tの蒸気機関車を導入。
1950年(昭和25年):北谷内支線1.2キロが開業。
1962年(昭和37年):軌道廃止。
酒井工作所(SKW)C型機関車。内大臣森林鉄道で使われていた。
 @熊延鉄道の甲佐駅跡。かつて熊本県上益城郡甲佐町にあった熊延鉄道の駅(廃駅)である。駅跡は国道443号線沿いにある熊本バス甲佐営業所の車庫になっている。1962年(昭和37年)まで内大臣森林鉄道と接続していて、材木を積み替えて南熊本駅まで運搬していた。
@熊延鉄道の甲佐駅跡に古レールを利用したグレーチングが残る。細いレールは森林鉄道のレールか?
A内大臣森林鉄道の甲佐停留所跡の貯木場跡。
B内大臣森林鉄道の廃線跡。1976年撮影の航空写真で廃線跡と解る道が残る。
C内大臣森林鉄道の廃線跡。隧道でも掘らない限り地形的にここを通っていたと思われる。
D内大臣森林鉄道の廃線跡。地元の人に確認したので間違いないだろう。
E内大臣森林鉄道の廃線跡。
F内大臣森林鉄道の廃線跡。
G内大臣森林鉄道の廃線跡。
H内大臣森林鉄道の廃線跡。甲佐の間を抜けていた。
I内大臣森林鉄道の廃線跡。
J内大臣森林鉄道の廃線跡。内大臣森林鉄道の最初の遺構で橋台が残る。
K内大臣森林鉄道の廃線跡。地形的にもこの道路が廃線跡で間違いないであろう。県道220号線。
L内大臣森林鉄道の廃線跡。川平キャンプ場方面の右が廃線跡。220号線。
M内大臣森林鉄道の廃線跡。旧道三本松甲佐線(通称かよい橋)220号線。
N内大臣森林鉄道の廃線跡。宮内小学校横。220号線。
O内大臣森林鉄道の廃線跡。220号線。
P内大臣森林鉄道の廃線跡。現在は道路橋で真っ直ぐだが軌道は谷の方に向かって迂回していた。
 Q内大臣森林鉄道の廃線跡。トロッコ林道の鉄橋の白杭のモニュメントがある。甲佐営林署から内大臣の角上げまで大正3年から昭和2年にかけて作られた。この鉄橋を木材を満載したトロッコが何度も往復した。しかしトラックの発達と内大臣橋の架橋によりトロッコは昭和39年廃止。220号線より緑川方面に降りて行く。
Q内大臣森林鉄道の廃線跡。90度に近い右カーブ。
 Q内大臣森林鉄道の緑川を渡る鉄橋。内大臣森林鉄道の最大の遺構で唯一緑川を渡る場所ト。上面のコンクリートと手摺りは後から付けられた物か?
 Q内大臣森林鉄道の緑川を渡る鉄橋を渡ると地図上では人が通れるような道が描かれているが、完全な廃道状態。仕方なく迂回する。
 R内大臣森林鉄道の廃線跡。塚瀬ダム方向(右写真車の通行止め標識方向)は内大臣森林鉄道の廃線跡を利用し新甲佐発電所新設工事に伴う取水口仮設道路工事(運搬用道路)の工事が行われている。
S内大臣森林鉄道の廃線跡は農道に転用されている。
S内大臣森林鉄道の廃線跡。この先は藪が凄いのと時間がないため再び迂回。
 @霊台橋は熊本県美里町緑川に江戸時代後期に架けられた石橋。船津橋という別名を持つ。昭和42年(1967年)6月15日、国の重要文化財に指定された。単一アーチ式石橋としては日本3位の径間を誇る。1998年行われた調査で、大分県豊後大野市にある轟橋(昭和7年(1934年)架橋)と出會橋(大正14年(1925年)架橋)の方が径間が広い事が分かった。しかし近年の調査であるため、現在でも日本一と紹介されることがある。なお明治以前に完成した石橋の中では日本一である。弘化3年(1846年)工事を開始し、翌年の弘化4年(1847年)当時としては前例の無い大きさの石橋を完成させた。 梅雨と台風が来る季節を避けて造られたためわずか6-7か月の工事期間であり、参加した大工の数は72人、地元の農民の協力のもと延べ43,967人が工事に参加した。地元の農民の協力で予定より早く工事が終わったことが、中国の古典「孟子」の中の文王霊台建造の話に類似すると考えた篠原善兵衛は、この故事にあやかり「霊台橋」と名付けた。霊台とは物見台の意味である。
 @霊台橋の下を潜る内大臣森林鉄道の隧道で、時代背景から霊台橋に後から空けられたが霊台橋の上流に昭和41年(1966年)5月、上流側に並行して鉄骨製の新霊台橋が作られた時に隧道の反対側は埋められてしまった。
A内大臣森林鉄道の廃線跡。新霊台橋の先は内大臣森林鉄道の廃線跡に民家が建っている。
A内大臣森林鉄道の廃線跡。
B船津ダムは緑川の緑川ダムのすぐ下流にある補助的なダムで施工は西松建設が行った。
C農道から車の置いてある場所が内大臣森林鉄道の廃線跡。
 D緑川ダムは、九州背陵山系の一つ三方山に源(みなもと)を発する九州有数の大河川「緑川」の上流部にあります。重力式コンクリートの主ダムとロックフィル式の脇ダムの2つのダムからなり、〈肥後みどりかわ湖〉を形成しています。昭和46年(1971年)3月に完成し、4月から緑川ダム管理所において維持管理を行っています。
D緑川ダムによりこの先暫くは内大臣森林鉄道の水没区間。
 E内大臣森林鉄道の廃線跡。実際は逆側からアクセスしているが、廃線経路の順で掲載します。緑川ダムからここまではアクセスが難しいようだ。
Eここから先の道路までは茶畑?が点在しているため内大臣森林鉄道の廃線跡が整備されている。
F茶畑?が点在する。
G内大臣森林鉄道の廃線跡。ここまでは自動車が入って来られたようだ。
G内大臣森林鉄道の廃線跡。
H内大臣森林鉄道の廃線跡。上空に内大臣橋が見える。
H内大臣森林鉄道の廃線跡。内大臣橋の下は難所のようだ。
H内大臣森林鉄道の廃線跡。内大臣橋の下には隧道が通っている。
H隧道内はS字カーブしている。
I内大臣森林鉄道の廃線跡。
I内大臣森林鉄道の廃線跡。小型の橋梁が残る。
I内大臣森林鉄道の廃線跡。
J内大臣森林鉄道の廃線跡。白い杭は森林鉄道の関連か?
J内大臣森林鉄道の廃線跡。倒木が廃線跡を塞いでいる。
J内大臣森林鉄道の廃線跡。小型の橋梁が残る。
J内大臣森林鉄道の廃線跡。
K内大臣森林鉄道の廃線跡。
L内大臣森林鉄道の廃線跡。
 L内大臣森林鉄道の廃線跡。右写真道路左側から来て、道路を斜めに横断し左写真右上へ続いていたと思われる。その先は内大臣林道に何処かで接続していたと思われる。この先は一旦、内大臣橋方向へ戻り内大臣林道を探索してみる。
内大臣林道入口。この先全面通行止めだが行けるところまで行ってみる。位置的にはJの南側。
内大臣林道の第一甲馬橋と甲馬隧道。位置的にはJの南側。位置と高低差からこの辺は廃線跡ではない。
M内大臣林道の内大臣川発電所近く。内大臣森林鉄道の跡か?
M内大臣川発電所への導水管。内大臣川からの高低差がかなりある。
N内大臣林道。内大臣森林鉄道の跡か?
N内大臣林道。内大臣森林鉄道の跡か?
 O内大臣林道。内大臣森林鉄道の跡か?この先は森林を伐採していて通行できなかった。今回はここで引き返すとしよう。
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出典: 国土交通省 九州地方整備局 緑川ダム管理所