更新日時 2013年03月05日

 漆生線(うるしおせん)とは、福岡県嘉穂郡稲築町(現・嘉麻市)の下鴨生駅から福岡県山田市(同じく現・嘉麻市)の下山田駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。全線が福岡近郊区間に含まれていた。1980年の国鉄再建法施行により第2次特定地方交通線に指定され、1986年に廃止された。当初は、第1次廃止対象であったが、漆生駅 - 才田駅間のやや才田駅寄りの沿線に建設される住宅団地(大坪団地)によって乗降客の増加が見込まれるとして第2次廃止対象とされた経緯がある。漆生線は、明治時代に建設された漆生以北と、太平洋戦争後に建設された漆生以南に分かれる。漆生以北の区間は、三井鉱山山野炭鉱や同漆生炭鉱から産出される石炭の搬出のために建設されたもので、現在の後藤寺線の区間の一部を含む山野分岐点 - 芳雄(現在の新飯塚) - 山野間の貨物線が、1902年に九州鉄道の手により、九州鉄道買収国有化後の1913年には、筑豊本線の貨物支線として上三緒 - 漆生間が開業している。漆生以南の区間は、筑豊地区の炭鉱から産出される石炭を苅田港へ効率的に運ぶために計画された短絡線である油須原線の一部として建設された区間で、1966年、上山田線の上山田 - 豊前川崎間と同時に開業している。しかし、同区間では結局貨物営業は実施されず、油須原線の計画自体も頓挫。旅客列車の運転も終始1日朝2往復、夕方1往復であった。そのような列車ダイヤであったため、才田駅から通学する小学生は登校時にしか漆生線を利用できず、下校時は西鉄バス(現・西鉄バス筑豊)の大坪団地バス停から2キロ程歩かなくてはならなかった。さらに炭鉱の閉山とともに漆生線、上山田線とも特定地方交通線に指定され、廃止された。
駅一覧
下鴨生駅 - 鴨生駅 - 漆生駅 - 才田駅 - (嘉穂信号場) - 下山田駅
 @下鴨生駅(しもかもおえき)は、福岡県嘉麻市鴨生にある、九州旅客鉄道(JR九州)後藤寺線の駅。かつては漆生線が接続していた。平成の大合併により2006年(平成18年)3月27日に誕生した嘉麻市内の唯一の駅でもある。
 @下鴨生駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームへの移動は構内踏切を介して行われる。かつてはさまざまな線路(漆生線、赤坂炭鉱貨物支線など)が放射状に伸びる貨物のターミナル駅であった。後藤寺線内では唯一の交換可能駅で、1994年(平成6年)までは交換のための要員が配置され直営駅であった。交換自動化に伴い無人駅となり、2004年(平成16年)には独特の形状をした駅舎も取り壊され、旧駅舎に掲げてあった駅名板のみが設置されている。同駅は福岡県内のJR線で最後のタブレット交換駅だった。近距離きっぷの自動券売機が設置されている。
A漆生線の下鴨生駅 - 鴨生駅間の廃線跡。
B漆生線の下鴨生駅 - 鴨生駅間の廃線跡。
C漆生線の下鴨生駅 - 鴨生駅間の廃線跡。
 D鴨生駅(かもおえき)は、かつて福岡県嘉穂郡稲築町(現在の嘉麻市)鴨生にあった日本国有鉄道(国鉄)漆生線の駅である。漆生線の廃止に伴い、1986年(昭和61年)4月1日に廃駅となった。当駅の廃止により、後藤寺線下鴨生駅だけが片割れとして残ることになった。鴨生駅廃止時の駅構造は委託駅であった。木造のひなびた感じのする駅舎があった。駅前広場があった。附近の炭鉱への貨物支線が何本も分岐していた。
 Dこの公園は旧国鉄漆生線跡地であります。漆生線は大正2年(1913年)貨物営業を、大正9年(1920年)には旅客営業を開始しました。石炭の需要と共に隆盛をたどり昭和35年(1960年)の最盛期には1日平均2,512人の輸送人員があり、貨物取扱量(石炭)も3,027トンに達していました。石炭を始め旅客、貨物の輸送機関として活躍し石炭なきあとは、地域住民の足として親しまれましたが、エネルギー需要の変化や自動車の普及など社会情勢の流れは如何ともしがたく昭和61年(1986年)3月31日に70有余年の歴史を閉じました。
E漆生線の鴨生駅 - 漆生駅間の廃線跡。
F漆生線の鴨生駅 - 漆生駅間の廃線跡。
G漆生線の鴨生駅 - 漆生駅間の廃線跡。
H漆生線の鴨生駅 - 漆生駅間の廃線跡。
 I漆生線廃線跡。漆生駅(うるしおえき)は、かつて福岡県嘉穂郡稲築町(現在の嘉麻市)漆生にあった日本国有鉄道(国鉄)漆生線の駅である。当駅は長らく漆生線の終着駅であったが、油須原線構想により1966年(昭和41年)に下山田駅(実際は嘉穂信号場)まで延長され途中駅となった。しかしながら当駅 - 下山田間の需要はあまりなく漆生線はほとんどの列車が当駅どまりで、ここから先才田や下山田までいくものは非常に少なかった。漆生線廃止に伴い1986年(昭和61年)4月1日に廃駅となった。
 J漆生線廃線跡。稲築駅への分岐。
K漆生線廃線跡。稲築駅への支線。
L漆生線廃線跡。稲築駅周辺。
M漆生線の漆生駅 - 才田駅間の廃線跡。
 N漆生線の廃線跡。才田駅(さいだえき)は、かつて福岡県嘉穂郡稲築町(現在の嘉麻市)才田にあった日本国有鉄道(国鉄)漆生線の駅である。漆生線が油須原線構想にもとづいて延伸されたときに新設された、ただひとつの駅である。漆生線の廃止に伴い1986年(昭和61年)4月1日に廃駅となった。漆生線の列車の多くは新飯塚 - 漆生間の運行であり、末期はわずか3往復が停車するのみであった。線路名称上は当駅の次の駅は下山田駅であり、そこで上山田線に合流することになっているが、実際は当駅 - 下山田間には嘉穂信号場という分岐のみのための信号場があり、そこが本当の意味での合流地点である。1面1線で交換不能の地上駅で、駅舎はなくホームと待合所のみが設置される無人駅であった。ホームの一部と待合所の屋根が残っている。
 N漆生線の才田駅 - 嘉穂信号場間の廃線跡。才田駅より漆生側の廃線跡は道路となっているが、才田駅から下山田側では廃線跡とは別の位置に道路が敷設されており、路盤が残ったままである。
O漆生線の才田駅 - 嘉穂信号場間の廃線跡。路盤とレールが残っている。
O漆生線の才田駅 - 嘉穂信号場間の廃線跡。路盤とレールが残っている。新才田橋より撮影。
P漆生線の才田駅 - 嘉穂信号場間の廃線跡。コンクリートの橋梁が残る。
Q漆生線の才田駅 - 嘉穂信号場間の廃線跡。コンクリートの橋梁が残る。
 R漆生線の廃線跡。嘉穂信号場(かほしんごうじょう)は、かつて福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)大字牛隈にあった、九州旅客鉄道(JR九州)の信号場である。上山田線と漆生線の施設上の分岐点であったが、1986年(昭和61年)に漆生線の廃止とともに分岐信号場としての機能を失い、閉塞境界型棒線信号場となった(タブレット交換風景は上山田線廃止時まで見られた)。そのため、信号場としてはJR九州に引き継がれた後、1988年(昭和63年)に上山田線の廃止と同時に廃止された。筑豊炭田と苅田港を短絡する目的で計画された油須原線構想に基づいて建設された、漆生線の延長部分と既設の上山田線の接続点に設置された信号場で、両線が下山田駅に向かって合流する配線である。上山田線大隈駅との距離は1.1km、下山田駅との距離は1.7km、漆生線才田駅との距離は1.1kmであった。
 R漆生線の嘉穂信号場跡。川のように見えるが、山砂で埋まっている「むただ橋」跨線橋。
 S新原鉄道トンネル跡:この国鉄上山田線新原トンネル(全長74.4m)は、明治31年(1898年)に造られ、炭鉱の最盛期には、石炭輸送の一翼を担っていました。しかし、エネルギー革命に伴う石炭産業の衰退により沿線の人口が激減し、昭和63年(1988年)8月31日には、上山田線も廃止されるに至りました。鉄道敷跡は、新たに道路として整備されることになり、このトンネルも開削取り壊され、道路敷きの一部となったものです。
 @下山田駅(しもやまだえき)は、かつて福岡県山田市(現・嘉麻市)下山田463番地にあった日本国有鉄道(国鉄)上山田線・漆生線の駅である。上山田線はその後九州旅客鉄道(JR九州)に継承されたが結局廃止となり、それに伴い1988年(昭和63年)9月1日に廃駅となった。線路名称上は上山田線と漆生線の分岐駅であったが、実際は当駅から1.7km飯塚寄りの嘉穂信号場で分岐が行われており、漆生線の列車はすべて上山田駅まで直通運転されたため、事実上中間駅としての役割しかもっていなかった。
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廃線探索 漆生線