更新日時 2015年07月26日

 志布志線(しぶしせん)は、かつて宮崎県都城市の西都城駅から鹿児島県曽於郡志布志町(現・志布志市)の志布志駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により第2次特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された。都城から太平洋岸の志布志に向かい、軽便鉄道法により建設された鉄道で、1923年から1925年にかけて志布志までが開業した。1932年には、国都東・西線が連絡し、現在の日豊本線ルートが完成したのにともない、都城 - 西都城間が日豊本線に編入されている。現在は日南線となっている北郷 - 志布志間についても当初は志布志線として開業した区間で、1963年の日南線南宮崎 - 北郷間開業にともない、同線に編入された。こちらは大隅線とともに、改正鉄道敷設法別表第126号に規定する予定線である
日本国有鉄道 志布志線(廃線)
西都城駅 - 今町駅 - 末吉駅 - 岩北駅 - 岩川駅 - 大隅松山駅 - 伊崎田駅 - 安楽駅 - 中安楽駅 - 志布志駅
 @西都城駅(にしみやこのじょうえき)は、宮崎県都城市松元町にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅である。都城市中心部への最寄り駅であり全列車が停車し、宮崎方面から来る普通・快速列車の多くが当駅を始発・終着としている。かつては志布志線が接続していた。
 @西都城駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線を有する高架駅で、駅舎は高架下にある。高架部分の国分方面には志布志線の廃線跡が一部残っており高架が途中まで存在している。駅舎はその大部分が広いコンコースでその端に出札口と改札がある。駅舎にはそのほかに封鎖された待合所跡がある。かつては、土産物屋・軽食・駅弁屋があったが、その形跡は残っていない。
A志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。高架の分岐跡。
B志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。ここからサイクリングロードになっている。
B志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。現在は高千穂橋と命名されている。
B志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。志布志線時代は萩原川橋梁。
C志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。
D志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。
E志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。
F志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。
G志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。
H志布志線の西都城駅 - 今町駅間の廃線跡。
 I今町駅(いままちえき)は、かつて宮崎県都城市五十町にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃駅となった。
 I今町駅構造は片面ホーム1面1線を持つ交換不能駅であった。 かつては相対式ホーム2面2線を持つ交換可能駅で、廃止されたホームの跡が残っていた。廃止時には無人駅であった。戦後まもなく建設された小柄なコンクリートの駅舎があり、無人化後廃止時まで存在していた。
J志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。
K志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。
L志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。
M志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。
N志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。
O志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。
P志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。
Q志布志線の今町駅 - 末吉駅間の廃線跡。志布志線の橋梁を道路橋梁に転用。
 R末吉駅(すえよしえき)は、かつて鹿児島県曽於郡末吉町(現・曽於市)にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃駅となった。
 R末吉駅構造は相対式ホーム2面2線に側線1本を持つ交換可能駅であった。旧末吉町の中心駅であった。委託駅であった。木造の駅舎があった。道路の部分が線路跡。
R旧末吉駅に展示されている、鉄道関連の品々。
R機関車の動輪。 Rポイントの切り換え機。
S志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
@志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。湯之尻踏切。
A志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
B志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
C志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
D志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
E志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
F志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
G志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
H志布志線の末吉駅 - 岩北駅間の廃線跡。
 I岩北駅(いわきたえき)は、かつて鹿児島県曽於郡末吉町(現・曽於市)岩崎にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃駅となった。
 I岩北駅構造は片面ホーム1面1線を持つ交換不能駅であった。築堤の上にあった。無人駅であった。有人駅時代には駅舎があったが、無人化後に取り壊され、新たにホームの上に待合所が設置された。
J志布志線の岩北駅 - 岩川駅間の廃線跡。
K志布志線の岩北駅 - 岩川駅間の廃線跡。
 L岩川駅(いわがわえき)は、かつて鹿児島県曽於郡大隅町(現・曽於市)岩川にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃駅となった。駅構造は旧大隅町の中心駅で、曽於郡の行政の中心部に当たっていた。相対式ホーム2面2線とたくさんの側線と車庫を持つ、規模の大きい交換可能な駅であった。信号運転扱いは直営。出改札業務のみ委託駅であった。駅舎はコンクリート平屋建ての立派なものであった。
M志布志線の岩川駅 - 大隅松山駅間の廃線跡。道路に転用されている。
N志布志線の岩川駅 - 大隅松山駅間の廃線跡。道路に転用されている。
O志布志線の岩川駅 - 大隅松山駅間の廃線跡。
P志布志線の岩川駅 - 大隅松山駅間の廃線跡。隧道が残る。
Q志布志線の岩川駅 - 大隅松山駅間の廃線跡。
 R大隅松山駅(おおすみまつやまえき)は、かつて鹿児島県曽於郡松山町新橋(現・志布志市松山町新橋)にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅(廃駅)である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃止となった。医師会病院近くに現在も跡地として残る。
 R大隅松山廃止時の駅構造は旧・松山町の中心駅であった。単式ホーム1面1線と保線用の側線1本を持つ地上駅であった。無人駅化直前は委託駅であった。駅舎は木造であった。
S志布志線の大隅松山駅 - 伊崎田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
@志布志線の大隅松山駅 - 伊崎田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
A志布志線の大隅松山駅 - 伊崎田駅間の廃線跡。この先は道路から離れて川を渡る。
B志布志線の大隅松山駅 - 伊崎田駅間の廃線跡。
 C伊崎田駅(いさきだえき)は、かつて鹿児島県曽於郡有明町伊崎田(現・志布志市有明町伊崎田)にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅(廃駅)である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃止となった。
C伊崎田駅跡は「志布志市有明鉄道記念公園」として現在も営業時の姿をとどめた状態で保存されている。
C伊崎田駅構造は相対式ホーム2面2線と側線1本を持つ地上駅であった。直営駅であった。
D志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。
 E志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。雨が降っていて隧道の坑口が見えるが、金曜の夜に鹿児島に移動しスーツのズボンだったため、この先の探索は諦めた。
F志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。こちら側の坑口も藪が深いため諦めた。
G志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。道路に転用されている。
H志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。道路に転用されている。
I志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。川を渡る橋梁が有った。
J志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。
K志布志線の伊崎田駅 - 安楽駅間の廃線跡。
 L安楽駅(あんらくえき)は、かつて鹿児島県曽於郡志布志町安楽(現・志布志市志布志町安楽)にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅(廃駅)である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃止となった。 現在は、萬來 (バンライ)前に跡地が残るのみである。駅構造は片面ホーム1面1線を持つ交換不能駅であった。 かつては相対式ホーム2面2線を持つ交換可能駅で、廃止されたホームの跡が残っていた。
M志布志線の安楽駅 - 中安楽駅間の廃線跡。
N志布志線の安楽駅 - 中安楽駅間の廃線跡。跨線橋跡とり撮影。
O志布志線の安楽駅 - 中安楽駅間の廃線跡。ここから再び道路に転用。
P志布志線の安楽駅 - 中安楽駅間の廃線跡。道路に転用。
 Q中安楽駅(なかあんらくえき)は、かつて鹿児島県曽於郡志布志町安楽(現・志布志市志布志町安楽)にあった日本国有鉄道(国鉄)志布志線の駅(廃駅)である。志布志線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月28日に廃止となった。 現在は、安楽保育園前に中安楽駅跡として残る。駅構造は片面ホーム1面1線の地上駅であった。無人駅であった。
Q志布志線の中安楽駅 - 志布志駅間の廃線跡。道路に転用。
R志布志線の中安楽駅 - 志布志駅間の廃線跡。道路に転用。
S志布志線の中安楽駅 - 志布志駅間の廃線跡。道路に転用。
@志布志線の中安楽駅 - 志布志駅間の廃線跡。道路に転用。
A志布志線の中安楽駅 - 志布志駅間の廃線跡。大隅線との分岐点。
 B旧志布志機関区の跡地の一部には「志布志鉄道記念公園」が整備されており、C58 112、ヨ8951、キハ52 130が保存されている。以前は志布志運動公園横に展示してあったが、この公園の整備とともに、2000年(平成12年)ごろに現位置に移動した。2008年(平成20年)ごろからは有志による車体整備で保存状況が目に見えて良くなっている。
 B国鉄C58形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省(1943年11月1日から1945年5月19日までは運輸通信省、それ以降製造終了まで運輸省)が導入した蒸気機関車である。ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた共通の後継機として設計され、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、431両(国鉄向け427両(樺太庁鉄道向け14両含む)、天塩鉄道・三井芦別鉄道向け各2両)が製造された。愛称はシゴハチである。
 B国鉄ヨ8000形貨車(こくてつヨ8000がたかしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)までに製造した事業用貨車(車掌車)である。従来から使用されてきたヨ5000形やヨ6000形の補充や、それ以前の老朽化した車掌車や有蓋緩急車などの置き換え用として、1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)までに1,170両が製作された。製作メーカーは日本車輌製造・川崎重工業・三菱重工業・若松車輌の4社である。性能や外観は従来の車掌車から大幅に変化し、乗務環境を向上させた最新設備の形式として大量に製作され全国で使用されたが、1986年(昭和61年)に貨物列車の車掌乗務が原則廃止され、本来の用途を喪失した。翌年の1987年(昭和62年)に行われたJR移行では、添乗や控車などの用途に使用するため一部が承継されたが、使用頻度は漸次減少しており、淘汰が進んでいる。
 C志布志駅(しぶしえき)は、鹿児島県志布志市志布志町志布志二丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日南線の駅で、同線の終着駅。かつては日本国有鉄道(国鉄)志布志線・大隅線も乗り入れていた。
 C志布志駅構造は単式ホーム1面1線と側線4本を有する地上駅で、夜間に列車が2本留置される。現駅舎とホームは志布志線・大隅線が廃止された後の1990年(平成2年)に日南線専用として建設されたもの。駅舎は終着駅らしくホームと直角に立っている。なお現駅舎とホームは旧駅構内の貨物取扱い用引込み線を利用して建設されたため、旧駅舎のあった場所から約60メートル東北東方向に移動した場所にある。これにより日南線は東(大隅夏井)方向へ実質約40m短くなった。旧志布志駅は機関区、車掌区、保線区も置かれ、転車台も備えていた。キヨスクもあり、弁当も売っていた。駅舎のあったホームが1番線、上架橋を渡ると2番線・3番線の両面ホームがあり、さらにその向こう(海側)は広大な貨物操車場であった。1番線・2番線は志布志線・日南線共通の上下線として使われ、3番線が大隅線だった。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『志布志』を掲載」
廃線探索 志布志線