更新日時 2014年05月12日

 大隅線(おおすみせん)は、かつて鹿児島県曽於郡志布志町(現・志布志市)の志布志駅から同県国分市(現・霧島市)の国分駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により第2次特定地方交通線に指定され、1987年(昭和62年)に廃止された。線路跡はほとんどのところで道路化されたり遊歩道、農道になっていて、数ある廃線跡の中では比較的訪ねやすい。道路化された部分でも勾配標などがそのままになっている箇所も多い。トンネル部、橋梁部、論地 - 吾平間の一部(圃場整備によって田圃になっている)、大隅高須 - 古江間のフィットネスパース未完成部分などをのぞいて、全線に渡ってほぼたどることができる。大隅高須駅の鹿屋方にあるトンネルはフィットネスパースの一部として利用されている。
日本国有鉄道 大隅線(廃線)
志布志駅 - 菱田駅 - 大隅大崎駅 - 三文字駅 - 東串良駅 - 串良駅 - 下小原駅 - 大隅高山駅 - 論地駅 - 吾平駅 - 永野田駅 - 大隅川西駅 - 鹿屋駅 - 大隅野里駅 - 大隅高須駅 - 荒平駅 - 古江駅 - 新城駅 - 諏訪駅 - 柊原駅 - 浜平駅 - 垂水駅 - 海潟温泉駅 - 大隅麓駅 - 大隅辺田駅 - 大隅二川駅 - 大隅境駅 - 大廻駅 - 大隅福山駅 - 敷根駅 - 銅田駅 - 金剛寺駅 - 国分駅
 @志布志駅(しぶしえき)は、鹿児島県志布志市志布志町志布志二丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日南線の駅で、同線の終着駅。かつては日本国有鉄道(国鉄)志布志線・大隅線も乗り入れていた。
 @駅構造は単式ホーム1面1線と側線4本を有する地上駅で、夜間に列車が2本留置される。現駅舎とホームは志布志線・大隅線が廃止された後の1990年(平成2年)に日南線専用として建設されたもの。駅舎は終着駅らしくホームと直角に立っている。なお現駅舎とホームは旧駅構内の貨物取扱い用引込み線を利用して建設されたため、旧駅舎のあった場所から約60メートル東北東方向に移動した場所にある。これにより日南線は東(大隅夏井)方向へ実質約40m短くなった。旧志布志駅は機関区、車掌区、保線区も置かれ、転車台も備えていた。キヨスクもあり、弁当も売っていた。駅舎のあったホームが1番線、上架橋を渡ると2番線・3番線の両面ホームがあり、さらにその向こう(海側)は広大な貨物操車場であった。1番線・2番線は志布志線・日南線共通の上下線として使われ、3番線が大隅線だった。
 A旧志布志機関区の跡地の一部には「志布志鉄道記念公園」が整備されており、C58 112、ヨ8951、キハ52 130が保存されている。以前は志布志運動公園横に展示してあったが、この公園の整備とともに、2000年(平成12年)ごろに現位置に移動した。2008年(平成20年)ごろからは有志による車体整備で保存状況が目に見えて良くなっている。
 A国鉄C58形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省(1943年11月1日から1945年5月19日までは運輸通信省、それ以降製造終了まで運輸省)が導入した蒸気機関車である。ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた共通の後継機として設計され、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、431両(国鉄向け427両(樺太庁鉄道向け14両含む)、天塩鉄道・三井芦別鉄道向け各2両)が製造された。愛称はシゴハチである。
 A国鉄ヨ8000形貨車(こくてつヨ8000がたかしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)までに製造した事業用貨車(車掌車)である。従来から使用されてきたヨ5000形やヨ6000形の補充や、それ以前の老朽化した車掌車や有蓋緩急車などの置き換え用として、1974年(昭和49年)から1979年(昭和54年)までに1,170両が製作された。製作メーカーは日本車輌製造・川崎重工業・三菱重工業・若松車輌の4社である。性能や外観は従来の車掌車から大幅に変化し、乗務環境を向上させた最新設備の形式として大量に製作され全国で使用されたが、1986年(昭和61年)に貨物列車の車掌乗務が原則廃止され、本来の用途を喪失した。翌年の1987年(昭和62年)に行われたJR移行では、添乗や控車などの用途に使用するため一部が承継されたが、使用頻度は漸次減少しており、淘汰が進んでいる。
B大隅線の志布志駅 - 菱田駅間の廃線跡。志布志線との分岐部分。
C大隅線の志布志駅 - 菱田駅間の廃線跡。道路跨線橋が残る。
D大隅線の志布志駅 - 菱田駅間の廃線跡。廃線跡の雰囲気が残る。
E大隅線の志布志駅 - 菱田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
F大隅線の志布志駅 - 菱田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 G菱田駅(ひしだえき)は、鹿児島県曽於郡有明町野井倉(現・志布志市有明町)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。志布志方面から菱田川を渡ってすぐのところにあった。廃止時の構造はもともとは交換可能だったが廃止時は1面1線の交換不能駅で無人駅となっていた。木造駅舎があった。
H大隅線の菱田駅 - 大隅大崎駅間の廃線跡。道路に転用されている。
I大隅線の菱田駅 - 大隅大崎駅間の廃線跡。道路に転用されている。
J大隅線の菱田駅 - 大隅大崎駅間の廃線跡。道路に転用されている。
K大隅線の菱田駅 - 大隅大崎駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 L大隅大崎駅(おおすみおおさきえき)は、鹿児島県曽於郡大崎町仮宿にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は勾配上にある駅で相対式ホーム2面2線の交換可能駅であった。
M大隅線の大隅大崎駅 - 三文字駅間の廃線跡。道路跨線橋が残る。
N大隅線の大隅大崎駅 - 三文字駅間の廃線跡。切り通しが残る。
 O三文字駅(さんもじえき)は、鹿児島県曽於郡大崎町仮宿にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃駅となった。廃止時の構造は無人駅で1面1線の交換不能駅であった。妻面に出入り口のある駅舎があった。
P大隅線の三文字駅 - 東串良駅間の廃線跡。道路に転用されている。
Q大隅線の三文字駅 - 東串良駅間の廃線跡。道路に転用されている。
R大隅線の三文字駅 - 東串良駅間の廃線跡。道路に転用されている。
S大隅線の三文字駅 - 東串良駅間の廃線跡。道路に転用されている。
@大隅線の三文字駅 - 東串良駅間の廃線跡。道路に転用されている。
A大隅線の三文字駅 - 東串良駅間の廃線跡。
 B東串良駅(ひがしくしらえき)は、鹿児島県肝属郡東串良町池之原にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃駅となった。廃止時の構造は木造駅舎と1面1線と数本の側線を有していたが、無人化以前は島式ホーム1面2線で列車交換可能駅であった。
 C串良駅(くしらえき)は、鹿児島県肝属郡串良町岡崎(現在の鹿屋市串良町岡崎)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は木造駅舎と単式ホーム1面1線を持つ地上駅。隣の東串良駅との間は600mしかなく、列車に乗り遅れても走って追いかければ間に合ったというエピソードが知られている。地元の軽便鉄道会社である大隅鉄道が鹿屋側から延伸してきた際に、その終点として1921年(大正10年)8月11日に開業した。当時は762 mm軌間の鉄道であった。また貨物営業のない旅客駅であった。その後、大隅鉄道の経営難と、孤立した路線で運営していた鉄道を国鉄につなげる必要性などから国鉄による鉄道買収を要請する運動が行われ、1935年(昭和10年)6月1日に軽便鉄道のままで国鉄に買収され、国鉄古江線の終点の駅となった。志布志線の志布志駅とつなぐ路線は国鉄によって建設が進められ、1936年(昭和11年)10月23日に古江東線として開通した。古江東線は国鉄標準の1,067 mm軌間で建設されたため、串良駅では乗換が行われるようになった。その後、大隅鉄道が建設した区間の改軌工事が進められ、1938年(昭和13年)10月10日に完成して列車の直通がなされるようになった。第二次世界大戦後1948年(昭和23年)4月10日には駅舎の改築を行い、軽便鉄道規格であった停車場有効長の延長を行うと共に側線を設置して貨物営業も行う一般駅となった。しかし貨物営業は長く続かず、1962年(昭和37年)には旅客駅に再び戻った。1987年(昭和62年)3月14日に大隅線の廃止に伴い廃駅となった。
D大隅線の串良駅 - 下小原駅間の廃線跡。農道に転用されている。
 E下小原駅(しもおばるえき)は、鹿児島県肝属郡串良町下小原(現在の鹿屋市)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は単式ホーム1面1線の、交換不能駅であった。無人駅であった。下小原鉄道記念公園となっている。空き地に車輪が1つと記念碑が置かれているだけである。
F大隅線の下小原駅 - 大隅高山駅間の廃線跡。肝属川を渡る為の築堤が残る。
G大隅線の下小原駅 - 大隅高山駅間の廃線跡。この先は道路に転用されている。
H大隅線の下小原駅 - 大隅高山駅間の廃線跡。道路に転用されている。
I大隅線の下小原駅 - 大隅高山駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 J大隅高山駅(おおすみこうやまえき)は、鹿児島県肝属郡高山町(現在の肝付町)前田にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は島式ホーム1面2線に側線数本の交換可能駅であった。委託駅であった。駅舎は鉄筋の立派なものであった。駅舎が残されており、高山鉄道記念公園となっている。かつて線路が敷かれていたあたりは児童遊園となっており、腕木式信号機や転轍てこなどが残っている。
 J地元の私鉄である大隅鉄道により、鹿屋方面から延長されて1920年(大正9年)12月23日に終着駅として開業した。当初は762 mm軌間の軽便鉄道であった。1921年(大正10年)8月11日にさらに串良駅まで延長されて中間駅となった。大隅鉄道は、1935年(昭和10年)6月1日に鉄道省により買収され国鉄古江線となった。また、1936年(昭和11年)10月23日には古江線を改称して古江西線とした。大隅鉄道から引き継いだ駅舎は腐食などの問題が多かったことから、この年に国鉄が駅舎と貨物上屋を新築した。さらに翌年には駅長官舎を完成させた。その後、国鉄標準の1,067 mm軌間への改軌工事が進められ、1938年(昭和13年)10月10日に完成し、古江東線と古江西線を合わせて古江線とした。軽便鉄道規格で建設されたために有効長が短かった停車場を延長する工事は、第二次世界大戦中から戦後まもなくにかけて順次実施された。また、営林局や豚の枝肉工場などの専用線が開設されて貨物の取り扱いが行われていた。例として1960年(昭和35年)の貨物発送量は14,229 t、到着量は9,228 tで、発送はパルプ・木炭・たばこなど、到着は肥料・セメント・小麦粉などの物品であった。また、1963年(昭和38年)に隣接する内之浦町(その後平成の大合併により高山町と合併し肝付町となる)に内之浦宇宙空間観測所が開設されロケットの打ち上げが行われるようになると、ロケット関連機材を大隅高山駅まで鉄道で輸送するようになったことが特筆される。この年から大隅高山駅の到着貨物には「ロケット機械」という品目が出ている。1965年(昭和40年)2月から駅舎の改築が行われ、鉄筋コンクリート平屋建て215 平方メートルの3代目駅舎が完成した。当時としてはこの地区ではまだ珍しかった水洗便所を備えていた。また1969年(昭和44年)までかけて順次駅前広場と駅前通の拡張工事を実施している。しかし1971年(昭和46年)になるとこの駅での貨物営業は廃止された。これに伴いロケット機材の取り扱いは志布志駅へ移転している。その後、国分まで路線が全通したことに伴い古江線から大隅線に改称されたが、路線自体の利用は振るわず、1987年(昭和62年)3月14日に全線が廃止されて当駅も廃止となった。
K大隅線の大隅高山駅 - 論地駅間の廃線跡。道路に転用されている。
L大隅線の大隅高山駅 - 論地駅間の廃線跡。道路に転用されている。
M大隅線の大隅高山駅 - 論地駅間の廃線跡。道路に転用されている。
N大隅線の大隅高山駅 - 論地駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 O論地駅(ろんじえき)は、鹿児島県肝属郡高山町(現在の肝付町)後田にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は面1線の交換不能駅で無人駅であった。駅舎はなく、ホーム上の待合所しかなかった。大隅鉄道により開設された駅で、当初は762 mm軌間の軽便鉄道の駅であった。1935年(昭和10年)に国有化され、1938年(昭和13年)に1,067 mm軌間へ改軌された。第二次世界大戦末期に一旦営業が休止されたが、戦後再開された。再開当初、駅員が4人配置されていたが、利用が少ないため2年ですぐに2人へ減らされ、さらに1955年(昭和30年)には無人化されていた。
P大隅線の論地駅 - 吾平駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 Q吾平駅(あいらえき)は、鹿児島県鹿屋市吾平町麓(廃止時点では肝属郡吾平町麓)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は島式ホーム1面2線に側線1本の交換可能駅であった。直営駅であった。廃止後、駅跡は鉄道公園として整備され、キハ20 452と車掌車ヨ8953が保存されている。また、隣接して吾平町鉄道資料館が設置され、大隅線の歴史を今に伝えている。地元の鉄道会社である大隅鉄道が、鹿屋から高山まで1920年(大正9年)12月23日に延伸した際に、その途中駅として開業した。当時は762 mm軌間の軽便鉄道であった。また当初の駅名は同じ読みで漢字が異なり、姶良駅であった。これは1988年(昭和63年)に同じ鹿児島県内の姶良郡姶良町に開業した日豊本線の姶良駅とは別の駅である。1935年(昭和10年)6月1日に鉄道省が大隅鉄道を買収して古江線となった。その後国鉄標準の1,067 mm軌間への改軌工事が進められ、1938年(昭和13年)10月10日に完成した。また古江東線と古江西線を合わせて再度古江線となった。
Q吾平町鉄道資料館は張り紙が有って開館していないみたいだ。
R大隅線の吾平駅 - 永野田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
S大隅線の吾平駅 - 永野田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 @永野田駅(ながのだえき)は、鹿児島県鹿屋市永野田町にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。現在はフィットネスパース(自転車歩行者専用道路)の入口となっている。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅で無人駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅であった。
A大隅線の永野田駅 - 大隅川西駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
 B大隅川西駅(おおすみかわにしえき)は、鹿児島県鹿屋市川西町にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅で無人駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅であった。
C大隅線の大隅川西駅 - 鹿屋駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
D大隅線の大隅川西駅 - 鹿屋駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
E大隅線の大隅川西駅 - 鹿屋駅間の廃線跡。踏切信号機のポールが残る。
F大隅線の大隅川西駅 - 鹿屋駅間の廃線跡。踏切信号機のモニュメント?
G大隅線の大隅川西駅 - 鹿屋駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
 H鹿屋駅(かのやえき)は、鹿児島県鹿屋市共栄町6895-3にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)。鹿屋市の中心駅であったが、大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。大隅線の中心的な存在の駅であり、志布志起点32.0 kmに位置していた。廃止時点では島式ホーム1面2線の交換可能駅であった。また多くの側線を持っていた。廃止時点まで直営駅であった。駅舎よりも線路の方が高い位置にあった点が特徴といえる。付近の大きな特徴として、駅の北方で線路がほぼ180°カーブするΩ状の線路配置になっていたことが挙げられる。これは路線建設時の経緯によりそれまで当駅がスイッチバック方式であったことを解消したためである。1938年10月10日に改軌・移転するまでは現在の鹿屋市向江町付近に駅があり、高須方面と高山方面を直通運転する列車は鹿屋駅で進行方向が変わっていた。この折り返し運転を解消するために、駅を移転した上で線路を付け替えたものである。大隅線の廃止後もこの付け替え後の線路跡は多くが道路となっており、地図上で明瞭に識別可能である。
Hキハ20。
Hキハ20車内。
H保線用モーターカー。
H永野田駅駅名標。 H大隅川西駅駅名標。
H大隅野里駅駅名標。 H大隅高須駅駅名標。
H荒平駅駅名標。 H古江駅駅名標。
H鹿屋市鉄道記念館の展示品。
H鹿屋市鉄道記念館の展示品。
H鹿屋市鉄道記念館の展示品。
H鹿屋市鉄道記念館の展示品。
I大隅線の鹿屋駅 - 大隅野里駅間の廃線跡。
J大隅線の鹿屋駅 - 大隅野里駅間の廃線跡。ここから再びフィットネスパースになる。
K大隅線の鹿屋駅 - 大隅野里駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
L大隅線の鹿屋駅 - 大隅野里駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
 M大隅野里駅(おおすみのざとえき)は、鹿児島県鹿屋市野里町にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。現在はフィットネスパースの休憩所がある。廃止時の構造は1面1線に側線1本の交換不能駅であった。廃止時には無人駅であった。戦後まもなく建設されたコンクリートの駅舎があり、無人化後廃止時まで存在し、現在もフィットネスパース(サイクリングロード)の休憩所としてその場に残っている。
N大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
O大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。高須跨線橋より撮影。
O大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。国鉄大隅線高須跨線橋の銘板が残る。
P大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
Q大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。跨道橋が残る。
R大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
S大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。フィットネスパース(自転車歩行者専用道路)に転用。
@大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。隧道が残る。
@大隅線の大隅野里駅 - 大隅高須駅間の廃線跡。隧道が残る。
 A大隅高須駅(おおすみたかすえき)は、鹿児島県鹿屋市高須町にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線に側線1本の交換不能駅であったが、駅舎とホームは離れていた。 1967年6月の時刻表では、当駅で旅客列車同士が交換しているダイヤが記載されているため、その当時は交換設備があったと考えられる。委託駅であった。
B大隅線の大隅高須駅 - 荒平駅間の廃線跡。
C大隅線の大隅高須駅 - 荒平駅間の廃線跡。
D大隅線の大隅高須駅 - 荒平駅間の廃線跡。
E大隅線の大隅高須駅 - 荒平駅間の廃線跡。第二金浜隧道の荒平駅側。142m。
E大隅線の大隅高須駅 - 荒平駅間の廃線跡。
F大隅線の大隅高須駅 - 荒平駅間の廃線跡。枕木が残る。
 G荒平駅(あらひらえき)は、鹿児島県鹿屋市天神町にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。1987年の廃止後も、隣接する荒平天神(菅原神社)の休憩所としてホーム・待合所等がほぼ残存していたが、2013年初頭に鹿児島県が実施する「魅力ある観光地づくり事業」に伴う景観整備に先立って撤去された。廃止時の構造は1面1線に側線1本の交換不能駅であった。有人駅時代にはホームの垂水方先端に木造の駅舎が存在していたが、無人化後に取り壊され、その跡にコンクリート製の待合所が建てられた。ホームからは海を臨むことが出来た。
H大隅線の荒平駅 - 古江駅間の廃線跡。
I大隅線の荒平駅 - 古江駅間の廃線跡。
J大隅線の荒平駅 - 古江駅間の廃線跡。鉄道の信号機が残る。
 K古江駅(ふるええき)は、鹿児島県鹿屋市古江町612番地にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は相対式ホーム2面2線に側線1本の交換可能駅であった。委託駅であった。戦時中は軍需物資の中継駅として賑わいを見せていた。古江鉄道記念公園となり、駅舎が残っている。古江駅跡の碑が建てられている。駅構内であった場所は空き地となって残っている。
L大隅線の古江駅 - 新城駅間の廃線跡。高架が残る。
M大隅線の古江駅 - 新城駅間の廃線跡。橋台が残る。
N大隅線の古江駅 - 新城駅間の廃線跡。
O大隅線の古江駅 - 新城駅間の廃線跡。御仮屋隧道古江駅側。
O大隅線の古江駅 - 新城駅間の廃線跡。御仮屋隧道新城駅側。
 P新城駅(しんじょうえき)は、鹿児島県垂水市新城にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。
 Q諏訪駅(すわえき)は、鹿児島県垂水市新城にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は志布志起点53.3Kmに設立された諏訪駅は駅員および委託駅員の存在しない無人駅として営業した。ホーム構造は1面1線であり、交換不能駅であった。構造物として駅舎はなくホームとその上の待合所のみが存在した。
R大隅線の諏訪駅 - 柊原駅間の廃線跡。道路に転用されている。
S大隅線の諏訪駅 - 柊原駅間の廃線跡。道路に転用されている。
@大隅線の諏訪駅 - 柊原駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 A柊原駅(くぬぎばるえき)は、鹿児島県垂水市柊原にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。
B大隅線の柊原駅 - 浜平駅間の廃線跡。道路に転用されている。
C大隅線の柊原駅 - 浜平駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 D浜平駅(はまびらえき)は、鹿児島県垂水市浜平にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。
E大隅線の浜平駅 - 垂水駅間の廃線跡。道路に転用されている。隧道が残る。
F大隅線の浜平駅 - 垂水駅間の廃線跡。隧道が残る。
G大隅線の浜平駅 - 垂水駅間の廃線跡。この先は遊歩道になっている。
H大隅線の浜平駅 - 垂水駅間の廃線跡。遊歩道に転用されている。
 I垂水駅(たるみずえき)は、鹿児島県垂水市田神32番地にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。
 I垂水駅廃止時の構造は島式ホーム1面2線をもつ交換可能駅であった。垂水市の中心駅ながら素朴な木造の駅舎を持っていた。委託駅であった。跡地は垂水鉄道記念公園となっている。車輪2個、プラットホームの一部、レール、踏切遮断機などが設置されており、この他機関車を模した遊具が設置されている。
J大隅線の垂水駅 - 海潟温泉駅間の廃線跡。
K大隅線の垂水駅 - 海潟温泉駅間の廃線跡。隧道が残る。
L大隅線の垂水駅 - 海潟温泉駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 M海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)は、鹿児島県垂水市海潟にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。高い位置にあったのでホームへは階段を通らねばならなかった。
N大隅線の海潟温泉駅 - 大隅麓駅間の廃線跡。隧道が残る。海潟温泉駅側。
O大隅線の海潟温泉駅 - 大隅麓駅間の廃線跡。隧道が残る。大隅麓駅側。
P大隅線の海潟温泉駅 - 大隅麓駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 Q大隅線の海潟温泉駅 - 大隅麓駅間の廃線跡。
R大隅線の海潟温泉駅 - 大隅麓駅間の廃線跡。隧道が残る。
R大隅線の海潟温泉駅 - 大隅麓駅間の廃線跡。隧道が残る。
S大隅線の海潟温泉駅 - 大隅麓駅間の廃線跡。
 @大隅麓駅(おおすみふもとえき)は、鹿児島県垂水市牛根麓にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。 駅舎がなく無人駅であるという駅が終点の国分まで続く。
A大隅線の大隅麓駅 - 大隅辺田駅間の廃線跡。qポストは残る。道路には枕木跡が残る。
B大隅線の大隅麓駅 - 大隅辺田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
C大隅線の大隅麓駅 - 大隅辺田駅間の廃線跡。隧道が残る。
C大隅線の大隅麓駅 - 大隅辺田駅間の廃線跡。隧道が残る。
D大隅線の大隅麓駅 - 大隅辺田駅間の廃線跡。未舗装の道路として転用。
 E大隅辺田駅(おおすみへたえき)は、鹿児島県垂水市牛根麓にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。
F大隅線の大隅辺田駅 - 大隅二川駅間の廃線跡。ここから先は舗装道路として転用。
G大隅線の大隅辺田駅 - 大隅二川駅間の廃線跡。舗装道路として転用。
H大隅線の大隅辺田駅 - 大隅二川駅間の廃線跡。ここから先は再び舗装道路として転用。
 I大隅二川駅(おおすみふたがわえき)は、鹿児島県垂水市二川にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった
J大隅線の隅二川駅 - 大隅境駅間の廃線跡。橋梁が残る。
K大隅線の隅二川駅 - 大隅境駅間の廃線跡。橋梁が有ったと思われるが現在はない。
L大隅線の隅二川駅 - 大隅境駅間の廃線跡。中はお酒のケースが保管されている。
M大隅線の隅二川駅 - 大隅境駅間の廃線跡。
M大隅線の隅二川駅 - 大隅境駅間の廃線跡。隧道が残る。隅二川駅側。
N大隅線の隅二川駅 - 大隅境駅間の廃線跡。隧道が残る。大隅境駅側。
 O大隅境駅(おおすみさかいえき)は、鹿児島県垂水市牛根境にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は島式ホーム1面2線を有する交換可能駅で、当駅折り返しの列車も存在した。 垂水 - 国分の中間駅では唯一交換設備を持っている。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。当駅の両端はトンネルで挟まれていた。駅跡には記念碑が建てられている。駅の両端にあったトンネルの内、国分側のトンネルの坑口は完全に埋められている。なお、志布志側のトンネルは今でも残っている。
P大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。大隅境側のトンネルの坑口は完全に埋められている。
Q大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。隧道が残る。大廻駅側。
Q大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。この先は道路に転用。勾配標が残る。
R大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。道路に転用されている。
S大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。道路に転用されている。
@大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。跨道橋が残る。
A大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。橋台が残る。
B大隅線の大隅境駅 - 大廻駅間の廃線跡。磯脇川を渡る橋梁。
 C大廻駅(おおめぐりえき)は、鹿児島県姶良郡福山町福山(現在の霧島市福山町福山)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。農道と化し跡形はほとんど残っていない。学校法人オレンジ学園の建っている付近が駅跡である。旧国鉄の境界杭が残る。
D大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。道路に転用されている。
E大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。道路に転用されている。
F大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。駐車場に転用されている。
G大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。隧道の坑口は埋め戻されている。
 H大隅福山駅(おおすみふくやまえき)は、鹿児島県姶良郡福山町福山(現在の霧島市福山町福山)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は旧・福山町の中心駅だったが、1面1線の交換不能駅であった。 駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。跡地には鉄道記念公園が設置されている。
I大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。ここまで道路に転用されている。
J大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。廃線跡は福山こめ酢の瓶置き場に転用されている。
K大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。こちらの坑口は開いている様だが確認しなかった。
L大隅線の大廻駅 - 大隅福山駅間の廃線跡。コンクリートの橋梁が残る。
 M敷根駅(しきねえき)は、鹿児島県国分市敷根(現在の霧島市国分敷根)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。一般道と化し跡形は全くない。付近にはホームセンター「ナフコ」があり、国分ふれあいバス赤川停留所が設置され、火曜・木曜日に運行されている。
N大隅線の敷根駅 - 銅田駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 O銅田駅(どうたえき)は、鹿児島県国分市上井(現在の霧島市国分上井)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で築堤の上にり無人駅であった。
 O銅田駅跡は築堤は崩され一般道と化し、跡形は全くないが、跡地には鉄道記念公園が設置されており、車掌車ヨ8000型・駅名標・踏切警報機が保存されている。駅跡付近に霧島市国分ふれあいバスの停留所(南公園)が設置されているが朝と夕方のみの運行である。
P大隅線の銅田駅 - 金剛寺駅間の廃線跡。道路に転用されている。
 Q金剛寺駅(こんごうじえき)は、鹿児島県国分市上小川(現在の霧島市国分上小川)にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線廃止に伴い1987年(昭和62年)3月14日に廃止となった。廃止時の構造は1面1線の交換不能駅であった。駅舎はなくホームとその上の待合所のみの駅で無人駅であった。一般道と化し、跡形は全く残っておらず、石碑なども建立されていない。
R大隅線の金剛寺駅 - 国分駅間の廃線跡。この先は日豊本線と合流する。
 S国分駅(こくぶえき)は、鹿児島県霧島市国分中央三丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線の駅である。1929年(昭和4年)以前は隣の隼人駅が国分駅を名乗り、かつてはこの駅から志布志駅方面に大隅線が伸びていた。鹿児島中央駅からの普通列車の大半及び特急「きりしま」の一部が国分駅で折返す。ワンマン列車においては当駅より鹿児島中央駅まで車内精算は行わない。
 S国分駅駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線のホームを有する地上駅。このほかに側線が敷かれており、鉄筋コンクリート造の駅本屋を持つ。なお駅本屋側の単式ホームにはかつて大隅線の列車が発着していた切欠ホーム0番線の跡が残っている。改札口は東口にしかないが、自由通路を利用して西口駅前広場へ渡ることができる。JR九州鉄道営業が駅業務を遂行する業務委託駅で、みどりの窓口が設置されている。IC乗車カード「SUGOCA」の利用が可能(相互利用可能ICカードはSUGOCAの項を参照)だが、自動改札機はなく、簡易SUGOCA改札機が設置されている。SUGOCAはみどりの窓口や自動券売機(無記名式のみ)で購入できる。タッチパネル式の自動券売機が2台設置(1台がICカード対応、1台が非対応)、改札内にはICカードチャージ機が設置されている。日豊本線では鹿児島中央駅を起点として当駅までがSUGOCAの利用可能エリア(鹿児島エリア)となっている。当駅以東(霧島神宮駅・宮崎駅方面)へは利用できない。また、日豊本線では大分県の幸崎駅以北でもSUGOCAの利用が可能であるが、幸崎駅以北(福岡・佐賀・熊本・大分エリア)と当駅以西では利用エリアが異なるため、この両エリアを跨ってSUGOCAを利用することはできない。
S国分駅駅の大隅線ホーム跡。
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