更新日時 2009年12月20日

 明治44年に森林鉄道が作られ、馬トロによる木材運搬が行われました。その後、大正15年には、本格的な森林鉄道にかわり蒸気機関車、さらに昭和26年にはディーゼル機関車が導入され、その延長は60qにも及びました。また、一般の利用も認められ、薬研への観光客は一挙に増加しました。このように、地元の人々からも愛された森林鉄道でしたが、昭和37年自動車への転換が打ち出されその姿を消すこととなりました。森林鉄道として大正15年に開通しました。大畑川に沿って大畑から奥薬研方面に伸びています。旧路盤は各地に残っており、奥薬研の遊歩道には、線路も残っており昔の面影を残しています。 大畑川に沿って奥薬研方面に伸びる線路を幹線とし、沢筋に入る多くの支線からなる森林鉄道である。運転開始は大正15年。旧路盤は各地に残るが県道や遊歩道になっているところも多い。小目名付近の遊歩道や奥薬研の大畑川対岸部が遊歩道になって、昔の面影を残している。前者は東北自然遊歩道に組み込まれている。後者は現在も線路が残り、木橋や石山をくりぬいたトンネルがあり、観光面にも役だっている。森林鉄道は戦後蒸気機関車からディーゼル機関車に代わるが、青森市森林博物館に展示されている車輌は、大畑森林鉄道で活躍したものである。
奥薬研案内板及び地図。
@奥薬研橋。昭和43年10月竣工。
@奥薬研橋より大畑川を見る。
Aサイメイ沢橋。
A大畑ヒバ施業実験林。
Aここから大畑森林鉄道の軌道跡が残っている。
A大畑森林鉄道軌道跡。
A大畑森林鉄道軌道跡。
B大畑森林鉄道軌道跡。
B大畑森林鉄道軌道跡。あやめ沢。
C大畑森林鉄道軌道跡。東北自然歩道。
D乙女橋(吊橋)
D乙女橋(吊橋)可憐な名前だがよく揺れる橋だ。
D大畑森林鉄道軌道跡。
D大畑森林鉄道軌道跡。レールはここで終わっている。
 E松川恭佐の碑:昭和6年に松川恭佐(まつかわきょうすけ)氏によって確立された「森林構成群を基礎としたヒバ天然林施業法」に基づくものであり、この施業法の考え方は、成長が遅いヒバを適切な択伐施業で取り扱うことで、ヒバ本来の成長力を引き出し、その生産力を維持していくということです。 この理論の実証のために、昭和初期の頃から、青森県の津軽半島に所在する増川施業実験林と下北半島に所在する大畑施業実験林を設定し、調査が行われてきましたが、このような取り組みのみでヒバ天然林施業法が完成というわけではなく、更なる地道な調査の積み重ねや分析を加えていくことが必要となります。
E大畑森林鉄道軌道跡。
 F明治44年6軌条の森林軌道が作られ馬トロによる木材運搬が行われました。大正15年から森林鉄道になり、能率も大幅にアップし、年年々奥地へとレールが伸びていきました。
 Fこのトンネルは、昭和初期全て人手によるツルハシ、ハンマーで削り掘られたものでコンクリートは、一切使われておらず、全て自然石です。 全長100m 高さ2.5m
F中間地点が曲がっていますので塞がっているように見えますが、通り抜けできます。
G大畑森林鉄道軌道跡。
G大畑森林鉄道軌道跡。
H大畑森林鉄道軌道跡。
H大畑森林鉄道軌道跡?ガーター橋が残っている。
H大畑森林鉄道軌道跡?ガーター橋が残っている。
H大畑森林鉄道軌道跡?ガーター橋が残っている。
H大畑森林鉄道軌道跡?寒水沢橋。
I大畑森林鉄道軌道跡?
I大畑森林鉄道軌道跡?奥薬研1.6q。薬研野営場1.5q。
J大畑森林鉄道軌道跡?
K大畑森林鉄道軌道跡?
L青森県内最大の栗の木入口看板。ここから徒歩20分。
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廃線探索 大畑森林鉄道