廃線探索 増東軌道

更新日時 2010年03月28日

 増東軌道(ぞうとうきどう)は、宮城県名取市付近にかつて存在した軽便鉄道会社およびその軌道路線である。東北本線増田駅(現・名取駅。1963年改称)から、郊外の漁港である閖上(ゆりあげ)に至る、6km弱の軌道線を保有したが、バスとの競合に敗退して早期に廃止された。会社そのものはバス会社(増東自動車)となり、のち仙台市交通局に統合された。大正時代末期に、東北本線増田駅と、名取川河口に位置する漁村の閖上とを結ぶ軌道線として計画された。閖上(開業当時は東多賀村)は古くから河川水運の要地であり、また漁港として栄えていた(1928年には町制を施行して閖上町となった)。閖上から増田までは街道によって結ばれていたが、ここに軌道を敷設して東北本線との連絡を図ろうとしたものである。しかし平坦な閑散路線であり、必然的にバス路線との競合にさらされた。のちには自社でも路線バスを兼業するようになり、軌道の不採算化も著しかったことから廃止に至った。1930年代には、このようにバスとの競合に敗退して5年-20年程度の短い営業期間で廃止となる軽便鉄道が、決して珍しくなかった。
駅一覧
増田駅 - 町裏駅 - 下余田駅 - 若宮駅(→多賀社前駅) - 高柳駅 - 閖上駅
@東北本線増田駅(現・名取駅。1963年改称)増東軌道増田駅はここに接続していた。
駅前はもっと繁華街っぽく、パチンコ屋とか写真館とか飲食店があったそうです。
現在の駅前道路は少しづつ店が撤退し、20年もかかって、やっと今みたいな広い道路が完成しました。
@増東軌道、増田駅 - 町裏駅間の廃線跡。
@増東軌道、増田駅 - 町裏駅間の廃線跡。
A増東軌道、 町裏駅周辺。
A増東軌道、 町裏駅 - 下余田駅間のの廃線跡。
B増東軌道、 下余田駅周辺。?
B増東軌道の廃線跡。
C下余田バス停。増東軌道、 下余田駅周辺。?
C増東軌道、下余田駅 - 若宮駅間の廃線跡。
D円満寺前バス停。増東軌道、下余田駅 - 若宮駅間の廃線跡。
D増東軌道、下余田駅 - 若宮駅間の廃線跡。
E多賀大社前バス停。増東軌道、若宮駅(→多賀社前駅)周辺。
F増東軌道、若宮駅 - 高柳駅間の廃線跡。
F増東軌道、高柳駅周辺。
G仙台東部有料道路を潜る。増東軌道廃線跡。
G増東軌道廃線跡。名取インターチェンジ付近。
H増東軌道廃線跡。小塚原バス停付近。
H増東軌道、高柳駅 - 閖上駅間の廃線跡。
I増東軌道、閖上駅周辺。
I増東軌道、閖上駅周辺。
I増東軌道、閖上駅周辺。
 車両は当初、ガソリン機関車導入を計画していたが、実際には22人乗りの小型ガソリンカーを導入し、客車や貨車もこれで牽引した。これはガソリンカーとしてはもっとも原始的な単端式(片一方のみに運転台があり、終点では蒸気機関車同様に転車台で方向転換する)で、日本における初期のガソリンカーメーカーの一つである零細企業・丸山車輌が製造した4輪木造車である。エンジンは最大20PSのフォードT形であり、極めて低出力のプリミティブな車両であった。長さはわずか5mほどで非常に小さかったが、当時のバスは定員10人内外だったので、それよりは輸送力があった。ガソリンカーは開業時2両、更に翌1927年に1両が製造されたのみであり、増東軌道の動力車は、営業期間を通じてこれら3両で済まされた(のちエンジン換装が行われたと見られるが詳細不明)。実は増東軌道の路線認可では、車両の幅は6フィート(約1.8m程度)に決められていたのであるが、開業に当たってメーカーから納入された車両(1号、2号の2両)は最大幅6フィート8インチ(2m強)であった。図面を見た許認可当局から「どういうことなのか」と問われたため、メーカーと口裏を合わせ、5フィート6インチ幅に改造したと(書類上だけ)報告し、実際は幅広のままで使っていた。開業翌年に増備した3号については、さすがに規則通りの6フィート未満で製造された。しかしそれに続いて新製しようとした客車について、またしても6フィート8インチで設計申請を行ってしまい、ガソリンカー1号・2号と同様な悶着の末、再び「書類だけ」6フィート未満にして済ませてしまったという。この幅員の件であるが、戦前は軌道については許認可権が道府県にあり、また車両増備に際しても実車チェックがほとんどなく、専ら書類審査のみで、中央官庁の厳しい審査があまり入らなかった。ゆえにこのような脱法行為があちこちの軌道で行われていた。それどころか許認可なしで勝手に新製・改造した「モグリ車両」さえ多数存在しており、増東軌道も開業当初からモグリのボギー客車を保有していたようである。廃線後、客車2両が九十九里鉄道に譲渡された。
1969年(昭和14年)に九十九里鉄道に譲渡されたハフ107とハフ108客車。
上記白黒写真 出典:株式会社ネコ・パブリッシング 九十九里鉄道より。
地元のOLの方より頂いた、昭和2年の地図。
 増東軌道株式会社の増田停留所(始点)。開道記念。大正15年(昭和元年)この駅舎は名取駅に隣接して右手にありました。名取駅から閖上の町頭まで5.7qを約25分で走行し、昭和元年11月から昭和14年9月まで運行されました。(地元のOLの方より資料を頂きました)
(写真は「むかしの写真集 閖上」編集・発行 ゆりあげざっこ写友会より出典)
 地元のOLの方より、増東軌道の通っていた場所が違うとのご指定を受けて訂正しました。2010年2月6日。訂正した区間は@〜Bの区間です。括弧内がご指摘文書。(名取駅からまず真っ直ぐ行くと、旧国道4号線にぶつかりますが、今のようにそのまま更に真っ直ぐ伸びて仙台バイパスとぶつかる道路は昔はありませんでした。(昔と言うのは昭和50年前後の話だと思って下さい)駅前(と旧国道の交差点)は元々T地路になっていて、正面に「渡辺米屋」が建っていたのは私も憶えていまして、その脇から軽便鉄道だけがそのままちょろっと進み、すぐ右に(南に)折れたと言う形です。その電車が入っていった筈の道路は今でも普通にかなり細い住宅地の裏道みたいに残っていますが、到底、ここを電車(?笑)が通っていたとはまるで思えない感じです。電車は南下して、増田小学校前を通る路に出てから、改めてまーーーーっすぐ走っていった筈ですので、一応情報提供させて頂きますね。)

2010年3月20日追加訂正情報。
今日、父の友人で資料を持っている方に、短時間でしたが話を聞けました。そして父のカン違い(=私が以前お話ししたルート)についてまた違う事が判りましたので取り急ぎ再度訂正させて頂きますね。以前お話しした時では、父の話だと狭い路地を電車が入っていったとなっていたのですが、(その道自体は当時からあるにしても)実際は、駅前から真っ直ぐ進んでからナナメに、増田小学校の北東の角へと軌道が走っていたそうです。ナナメに進んだ辺りはその頃、萱だの芦だのが生えているような空き地で無論今みたいに住宅地ではなく何も無かったのでそんな風にナナメに通れたみたいです。その停留所は現在、トヨタの店が建っています。更にそこから先のルートについては変更ありません。
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