廃線探索 松山人車軌道

更新日時 2011年05月14日

 松山人車軌道(まつやまじんしゃきどう)とは、宮城県志田郡松山町(現・大崎市)にあった人車軌道、およびその運営会社である。営業は1922年(大正11年)から1928年(昭和3年)までで、廃止とともに「人車軌道」社名のまま乗合バス事業を開始した。1945年(昭和20年)に運輸局より企業統合の指令を受け、仙北鉄道に吸収されて会社解散した。松山町の中心部を外れるように設置された東北本線松山町駅と町内を結ぶために敷設された。人車軌道としては開業が後発であり、認可が遅れた(将来速やかに人力から他の動力へ切り換えることを条件に認可された)との説もある。そのため車両も保存されており、図面も残っていたため、後に復元も可能となった。なお、旅客のほかに貨車も所有し、貨物営業も行っていた。人車としての営業は6年で終了しており(決算自体は黒字であったが、上記のようにもともと人力を長く続ける予定はなかった)、「人車」社名のままバス事業を開始し、松山町駅を起点に陸前古川駅、鹿島台駅へ路線バスを運行していた。2009年2月5日、通商産業省が松山人車軌道の保存線路と保存・復元車両を近代化遺産に認定した。
路線距離:金谷 - 千石 約2.5km 軌間:610mm 駅数:4駅(起終点含む)
金谷駅(かなや) - 竹ノ花駅(たけのはな) - 金ヶ崎駅(かねがさき) - 千石駅(せんごく)
 @松山町駅(まつやままちえき)は、宮城県大崎市松山金谷字赤沼上にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。この駅は町の中心から離れており、松山町駅 - 松本酒造店前を結ぶ松山人車軌道が、1922年(大正11年)から1929年(昭和4年)まで運行していた。
 @松山町駅構造は単式ホーム2面2線を持つ地上駅である。元々は2面3線であったが、中線が撤去された。互いのホームは跨線橋で連絡している。小牛田駅管理の業務委託駅(東北総合サービスに委託)で日中のみの駅員が配置されている。自動券売機・簡易Suica改札機・POS端末設置。
@松山町地図。松山町駅からの駅前道路。松山人車軌道の金谷駅が有った所。
A松山人車軌道の廃線跡。
B松山人車軌道の廃線跡。
C松山人車軌道の廃線跡。
D松山人車軌道の廃線跡。
E松山人車軌道の廃線跡。
F松山人車軌道の廃線跡。松山人車軌道はここで松山町方面へ右折する。
G松山人車軌道の廃線跡。松山人車軌道はここで大崎市松山酒ミュージアム方面へ左折する。
 H大崎市松山ふるさと歴史館(おおさきしまつやまふるさとれきしかん)は、宮城県大崎市にある博物館である。郷土史を専門とする大崎市の博物館であり、歴史展示室では、博物館が立地している松山地域(旧松山町)の領主であった茂庭家に関連した資料を中心として、原始時代から現代にいたる地域の歴史に関連した文化遺産などが展示されている。また、フランク永井展示室では、松山地域出身のムード歌謡歌手であるフランク永井に関連したレコードや愛用品、日本レコード大賞受賞時に贈られたトロフィーなどが展示されている。屋外には、かつて松山町に存在した松山人車軌道で利用されていた人車が展示されている。これは、仙台放送の依頼で仙台市交通局が復元し、1987年(昭和62年)7月に松山町へ寄贈されたもので、経済産業省から近代化産業遺産に認定されており、また大崎市からも指定文化財として選定されている。
 H蒸気機関車の動輪:この動輪は、C58形式テンダー機関車のもので、直径1520mm(重さ約2トン)あります。C58型式は、昭和13年以降、中型万能機関車として製作され、旅客及び貨物列車の機関車として東北本線を中心に、昭和40年後半まで活躍しました。以後国鉄動力車労働組合がシンボルとして管理していたものを本町が譲り受け、保存するものであります。
 H人車:この木造単車は「幻の人車」といわれ、大正11年から昭和3年まで、松山町横町角から、町を通り駅まで(2.5q)はしっていた。「松山人車軌道株式会社」の人車である。この人車は残っていた車体を、仙台放送が昭和47年鉄道百年祭に展示する為、、仙台市交通局に依頼して復元したもので、定員8名(満員時15.6名)を乗せ車夫が車体の後部に肩を当てて押して動かしたものである。昭和62年7月ふるさと松山町に寄贈された。
 H大崎市松山酒ミュージアム(おおさきしまつやまさけミュージアム)は、宮城県大崎市にある博物館である。かつて茂庭氏の城下町として栄え、良質のコメや水に恵まれて1830年代に醸造業が起こり、また発展した歴史を持つ大崎市の松山地域に位置する酒ミュージアムは、館内に酒造りの道具や酒造行程を説明するパネルなどの展示と、ヤマタノオロチ退治を元にしたアニメの上映を行うシアターなどがあり、大崎市に本社を置く日本酒製造業者である株式会社一ノ蔵の全面的な協力の下で、地元の酒造りを紹介している。また酒ミュージアムに隣接している華の蔵では、地元特産品の日本酒などが販売されている。また酒ミュージアムの軒下には、かつて市内で運行されていた人車のレプリカが、一部期間を除いて展示されている。人車軌道とは車夫が押すことによって車両である人車を動かす鉄道であり、市内において1922年から1928年まで運行されていた松山人車軌道は、酒ミュージアム付近と東北本線の松山町駅を結んでいた。レプリカ人車は、大崎市松山御本丸公園(コスモス園)でコスモス祭り開催時に行われる人車軌道の運行に使用すべく製作されたものであり、開催期間以外は酒ミュージアムに展示されている。両施設の外観は酒蔵を模しており、酒ミュージアムの建物は鉄筋コンクリート造の2階建てで、延べ床面積は約600平方メートルとなっている。
H大崎市松山酒ミュージアム。 Hイベント用の人車軌道のレール。
Hイベント用の松山人車軌道のレプリカ車体。
嵯峨野観光鉄道に展示されている人車。
 松山人車軌道廃止後は町内の神社境内に据え置かれていたが、1963年(昭和38年)にNHK仙台中央放送局へ寄贈され、国鉄大井工場(現・東京総合車両センター)での修復を経て交通博物館において展示されていた。その後、鉄道博物館開館に伴い移設。
以下の白黒写真は出典:人車物語〜公園を走る人車〜(氷室眞a 著)より
松山人車軌道車体図面。 稲荷神社にあった人車。
姿を現した人車。 慎重に運ぶ準備。
慎重を期したその姿。 車道まで人海戦術で運ぶ。
 小牛田町で梨畑の監視小屋に使われていたものを、1972年(昭和47年)に仙台放送が「鉄道百年祭」で展示するために探し出して、仙台市交通局電車部が復元したもの。「鉄道百年祭」終了後は仙台放送の会社敷地内(大年寺山)に保存されていたが、1987年(昭和62年)7月に松山町へ寄贈されて、現在地に移設された。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典:葛飾区郷土と天文の博物館作成 かつしかブックレット15(地図)
出典:人車物語〜公園を走る人車〜(氷室眞a 著)