廃線探索 赤湯人車軌道

更新日時 2011年05月13日

 赤湯人車軌道(あかゆじんしゃきどう)は、山形県東置賜郡赤湯町(現・南陽市)に1919年から1926年まで存在した人車軌道である。赤湯駅と赤湯温泉街との連絡を目的としていた。奥羽本線赤湯駅は、赤湯の温泉街からは離れた場所に位置しており、1910年(明治43年)頃になると交通の不便さから赤湯温泉の客は減少傾向にあった。このため、駅と温泉街を結ぶ交通機関として人車軌道の敷設が計画される。途中、第一次世界大戦による鉄材などの高騰のため計画が遅れるなどを経て、1919年(大正8年)4月25日に赤湯人車軌道が開業した。社長は石岡与市。路線距離は約1.9kmで、途中に停留所は定められておらず、乗客は任意の場所で乗降することができた。乗車賃は当初10銭、のちに20銭となっている。また、冬期は積雪などの関係で運休していた。また、車両は、馬車鉄道で使用するようなデッキのある車両(定員は着席で約10人、立席を含めると約15人)が全部で2両存在し、これを1両につき3人の人夫で押していた。ただし、2両あるといっても、繁忙期以外は1両のみが運用されていた。なお、車庫は吉野川に架かる花見橋の少し東側に存在し、これは人車2両が縦に並んで入れられる大きさであった。開業当初の経営はそれなりに順調であったが、距離の短さの割に運賃が高かったことなどから輸送人員は伸び悩み、その上1924年(大正13年)6月30日には車庫火災が発生、車庫と人車2両の全てを消失してしまう。人車を再注文して運営を再開するも、バスの台頭もあって乗客はさらに減少。電気軌道に変更する計画を立てるも資金が集まらず、結局1926年(大正15年)5月29日に全線で運行が中止され、同年11月29日に会社は解散した。
路線距離(営業キロ):約1.9km(9マイル52チェーン) 軌間:610mm
D上記写真は『ウィキペディア(Wikipedia)』より。花見橋上の赤湯人車軌道。花見橋は専用橋であった。
 @赤湯駅(あかゆえき)は、山形県南陽市郡山と若狭郷屋にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・山形鉄道の駅。南陽市の中心駅である。JR赤湯駅側(東口)に赤湯人車軌道の駅が有った。
 @赤湯駅構造は単式・島式混合3面5線のうち、東口から数えて二番目にあたるホーム(島式)の駅舎寄り片方の線路がはがされて出来た3面4線の地上駅である。東口に近い1番線から3番線をJR東日本が使用し、4番線を山形鉄道が使用している。山形鉄道フラワー長井線がJR長井線であったころは奥羽本線と線路が繋がっていたが、後に奥羽本線側が山形新幹線運転に伴い標準軌へ改軌された事などから、現在はJRと山形鉄道の線路は当駅構内では繋がっていない。駅舎は東西に設置されており、東口をJR東日本、西口を山形鉄道が管理している。なお、近道として無断通り抜けが多いのか、東口と西口の構内通り抜けには入場券が必要との掲示が、JR側・山形鉄道側ともになされている。
@赤湯人車軌道は赤湯駅前から赤湯温泉方面に真っ直ぐ延びていた。
A赤湯人車軌道の廃線跡。
B赤湯人車軌道の廃線跡。
C赤湯人車軌道の廃線跡。
D赤湯人車軌道の廃線跡。花見橋。
E赤湯人車軌道の廃線跡。
F赤湯人車軌道の廃線跡。
G赤湯人車軌道の廃線跡。
H赤湯人車軌道の廃線跡。
I赤湯人車軌道の廃線跡。
J赤湯停車場跡。
J丹泉ホテルの脇の岩。 J赤湯温泉鳥帽子山案内図。
 K曹洞宗東正寺山門脇の龍神水:この清水は、元禄14年(江戸時代)の「赤湯村温泉記」には「東正寺境内にあり、慈覚大師が竜神を祈請し、この仏前に供える水を感得すと言う」と記され、古くから赤湯七水のひとつとして知られた。また、東正寺に至る石段脇に位置し閼伽(仏に供える水)でもあったことから、一説には赤湯の名の由来とも見られ、地域や信仰と深く関わる大切な清水で、人々の生活を支えてきた水場として大切に守られてきた。
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