更新日時 2012年05月04日

 花巻電鉄軌道線(鉛線)は、かつて岩手県花巻市の国鉄東北本線花巻駅を中心に、花巻南温泉郷へ向かう軌道線を運営していた会社である。同社は1971年に岩手中央バスへ統合され、1972年に鉄道・軌道線を全廃し、1976年の再統合で岩手県交通となった。長い歴史において、買収や企業統合、単なる商号変更などで、運営する企業名が再三にわたり変わっているが、一般には戦後長期に渡って継続した「花巻電鉄」の名称で知られている。これらの路線は宮沢賢治や高村光太郎が利用したことでも知られる。温泉軌道は鶯沢鉱山(湯口村)の鉱物を輸送する目的で建設した専用馬車軌道を花巻電気が買収し子会社としたもの。1916年に鶯沢鉱山を取得した小田良治は、1918年はじめころに西鉛 - 志戸平間に専用馬車軌道を完成した。だが不況により鉱山は閉山し、この軌道は放棄された。以前から西鉛延長を計画していた花巻電気はこの馬車軌道を買収することとし、1918年7月温泉軌道株式会社を設立(本社は花巻電気本社と同所、社長も花巻電気社長)。8月には軌道を買収し、馬車軌道による営業を開始する。乗客は志戸平で電車から馬車へのりかえていた。ただこれは公式の記録(鉄道統計資料等)よりも前の開業であり、鉄道監督局の喜安健次郎(のちに鉄道省次官、帝都高速度交通営団総裁)が岩手軽便鉄道を視察のおり、志戸平温泉に立ち寄った際、偶然馬車軌道を発見。未許可運行(県が黙認)が発覚してしまった。経緯については不明であり、この後順次許可されたが、まもなく盛岡電気工業が花巻電気に続きこの軌道を合併し温泉軌道の名前は消えた。1両のデハ(電動車 M)が1-2両のサハ(付随車 T)や貨車を牽引する列車で運転され、場合によっては続行運転をしていたほか、続行運転の列車を併結したMTMTの4連などもあった。終点などでは機回し線などによりデハを先頭に付け替える。鉛線沿線に鉱山があったこともあり、時期によっては貨物輸送もそれなりに需要があった。
花巻電鉄軌道線(鉛線)
中央花巻 - 西花巻 - 西公園(旧花巻川口町) - 石神 - 中根子 - 熊野 - 新田 - 歳の神 - 一本杉 - 二ツ堰 - 神明前 - 松原 - 松倉 - 富士保前 - 志戸平温泉 - 渡り - 大沢温泉(旧湯口) - 前田学校前 - 山の神 - 高倉山温泉 - 鉛温泉 - 西鉛温泉
@花巻電鉄軌道線(鉛線)の中央花巻駅跡。西花巻停車場から距離測定で逆算するとこの辺。
A花巻電鉄軌道線(鉛線)の中央花巻駅 - 西花巻停車場間の廃線跡。
 B旧花巻(通称電鉄花巻)駅:大正初期、花巻に点在する各温泉郷と花巻駅を結ぶ唯一の交通機関として、東北で初めての電車が開業され、以来およそ半世紀の間、温泉地にその湯治客を、そして朝夕は地元の通勤。通学客を乗せ、多くの人々に利用され親しまれてきました。また、鉱物や木炭などを運搬する交通機関として、物流の面においても重要な役割を果たした。ここは、その発着駅となる花巻駅の跡地である。路面電車西鉛線(花巻駅〜西鉛温泉駅)は、県道の一部を借用する性格上、最大幅1.6mの制限があるため、両側の座席にすわるとお互いの膝が触れあうほどの狭さであった。前から見ると細長くて「マッチ箱電車」、「馬面電車」、「ハーモニカ電車」などの愛称で親しまれてた。また、花巻温泉線は、専用の軌道を持ち、春には花で飾られた「花電車」が走り温泉行きの名物として親しまれた。廃止後、軌道跡は自転車道路として親しまれている。
C花巻電鉄軌道線(鉛線)の花巻駅 - 西花巻停車場間の廃線跡。
D花巻電鉄軌道線(鉛線)の花巻駅 - 西花巻停車場間の廃線跡。
E花巻電鉄軌道線(鉛線)の花巻駅 - 西花巻停車場間の廃線跡。
E建物は旧花巻町役場で、この公園に移築されて、現在は花巻市民の家となっている。
 Eデハ3:ダブルルーフ(屋根の段差が少なく明かり取り窓はない)だが密閉式の運転台・出入台を持つ。1931年車庫火災により廃車。デハ3・4は1931年の車庫火災で焼失、同年(認可上は翌1932年)に木造時と同様の形態の半鋼製車体(窓扉配置D10D)で復旧。全長10250mm、全幅2130mm、自重10.3t、定員50人(24人または28人)。デハ3は貴賓車としても使用されたことがある。木造のまま残ったデハ1・2は後年軌道線でも使用されたあと1960年と1962年に鋼体化されてデハ21・22となった。
F花巻電鉄軌道線(鉛線)の花巻駅 - 西花巻停車場間の廃線跡。道路脇の民家が廃線跡。
G花巻電鉄軌道線(鉛線)の花巻駅 - 西花巻停車場間の廃線跡。この先消防署へ。
 H花巻電鉄軌道線(鉛線)の花巻駅 - 西花巻停車場間の廃線跡。消防署が西花巻停車場と思ったが、昔の航空写真を見ると花巻税務署あたりが西花巻停車場の様だ。(消防署の東側50m)(花巻中央駅から0.5q)
I花巻電鉄軌道線(鉛線)の西花巻停車場 - 西公園(旧花巻川口町)停車場間の廃線跡。跨線橋を潜る。
J花巻電鉄軌道線(鉛線)の西花巻停車場 - 西公園(旧花巻川口町)停車場間の廃線跡。跨線橋を潜る。
K花巻電鉄軌道線(鉛線)の 西公園(旧花巻川口町)停車場跡。(花巻中央駅から0.9q)
L花巻電鉄軌道線(鉛線)の 石神停車場跡。(花巻中央駅から1.6q)
M花巻電鉄軌道線(鉛線)の石神停車場 - 中根子停車場間の廃線跡。
N花巻電鉄軌道線(鉛線)の中根子停車場跡。(花巻中央駅から2.5q)
O花巻電鉄軌道線(鉛線)の熊野停車場跡。(花巻中央駅から3.2q)
P花巻電鉄軌道線(鉛線)の新田停車場跡。(花巻中央駅から3.9q)
Q花巻電鉄軌道線(鉛線)の歳の神停車場跡。(花巻中央駅から4.4q)
R花巻電鉄軌道線(鉛線)の歳の神停車場 - 一本杉停車場間の跡。
S花巻電鉄軌道線(鉛線)の一本杉停車場跡。(花巻中央駅から5.5q)
@花巻電鉄軌道線(鉛線)の二ツ堰停車場跡。(花巻中央駅から6.7q)
A花巻電鉄軌道線(鉛線)の神明前停車場跡。(花巻中央駅から7.7q)
B花巻電鉄軌道線(鉛線)の松原停車場跡。(花巻中央駅から9.0q)
 C花巻電鉄軌道線(鉛線)の松倉停車場跡。(花巻中央駅から9.7q)松倉温泉(まつくらおんせん)は、岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)花巻温泉郷にある温泉。花巻南温泉峡の入り口に位置する温泉である。豊沢川沿いに、ホテル水松園が存在する。テニスコートやゴルフ練習場など備え、その規模は大きい。周辺には老人福祉関連の施設も多くある。
D花巻電鉄軌道線(鉛線)の富士保前停車場跡。(花巻中央駅から10.2q)
E志戸平温泉駐車場脇に使途不明の廃隧道が残る。
 F花巻電鉄軌道線(鉛線)の志戸平温泉停車場跡。(花巻中央駅から11.0q)志戸平温泉(しどだいらおんせん)は、岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)、花巻温泉郷にある温泉。花巻南温泉峡の入り口から2番目に位置する温泉である。豊沢川沿いに近代的な大型ホテルと、自炊部も備える古くからの旅館が存在する。温泉地は、多田武彦作曲の男声合唱組曲「草野心平の詩から」にも歌詞の中で登場する。開湯伝説によれば、平安時代初期に坂上田村麻呂の一行が発見したと伝えられる。湯治場として利用されだしたのは元禄2年からである。 かつては志戸平遊楽園という小さな遊園地も存在した。 2005年10月16日には、志戸平温泉の源泉を用いた足湯が花巻市中心部に試験的に設置された。
 G花巻電鉄軌道線(鉛線)の渡り停車場跡。(花巻中央駅から12.1q)渡り温泉(わたりおんせん)は、岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)花巻温泉郷にある温泉。花巻南温泉峡の入り口から3番目の宿である。志戸平温泉の上流、大沢温泉の手前、豊沢川沿いに一軒宿の「花ごころの宿 渡り」が存在する。一軒宿が出来たのは1990年(平成2年)と温泉郷内では歴史が浅い部類に入る。
 H花巻電鉄軌道線(鉛線)の大沢温泉(旧湯口)停車場跡。(花巻中央駅から13.2q)大沢温泉(おおさわおんせん)は岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)の花巻温泉郷にある温泉。一軒宿の「大沢温泉」が存在する。但し一軒宿と言っても、新館である「山水閣」、南部藩主の定宿であった「菊水館」、湯治場である「自炊部」から成り、その規模は大きい。一軒宿の入り口には、相田みつをの書が看板となって存在する。自炊部にある豊沢川沿いの混浴露天風呂「大沢の湯」が有名である。毎年4月末に温泉地にて催される。大沢温泉の金勢神社の御神体は、重さ150kg、長さ1.4mのケヤキの金勢様と呼ばれる男根である。金勢神社は大沢温泉の大久保山に鎮座しているが、冬期間だけ温泉内の仮宮に金勢様が移動されて安置されている。「大沢温泉金勢まつり」は金勢様が大久保山の本宮に戻る前に、金勢様を担いで練り歩き、最後に露天風呂に半纏姿の女性たちが入浴させて洗い清めるというもの。金勢様が入った温泉に入浴すると、縁結びや子宝に霊験があるとされている。なお、温泉は女陰であるとされ、温泉が枯れないように男根である金勢様を祀っているといわれている。そのため東北地方には大沢温泉のように金勢様を祀っている温泉が多い。平安時代初期に坂上田村麻呂が発見したと伝えられる。江戸時代には歴代の南部藩主も利用したといわれる。また、宮沢賢治、高村光太郎らの文人もよく利用した。宮沢賢治は農学校の教員時代に生徒を連れて訪れたこともあった。高村光太郎はこの温泉を「本当の温泉の味がする」と評した。
I花巻電鉄軌道線(鉛線)の前田学校前停車場跡。(花巻中央駅から14.5q)
 J花巻電鉄軌道線(鉛線)の山の神停車場跡。(花巻中央駅から15.2q)山の神温泉(やまのかみおんせん)は、岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)花巻温泉郷にある温泉。花巻南温泉峡の入り口から5番目の温泉である。大沢温泉と高倉山温泉の間に位置する。豊沢川沿いに、一軒宿が存在する。かつては休業中であった。湯治場の一軒宿であったが、大型旅館に改装され、そしてその後休業を経て別経営者によって営業を再開し現在に至る。
 K花巻電鉄軌道線(鉛線)の高倉山温泉停車場跡。(花巻中央駅から15.9q)高倉山温泉(たかくらやまおんせん)は、岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)花巻温泉郷にある温泉。花巻南温泉峡の入り口から6番目の温泉である。山の神温泉と鉛温泉の間に位置する。豊沢川沿いに、一軒宿の豊楽園が存在する。自炊部のみ存在する湯治場である。かつては温泉宿の奥に花巻市営のユースホステルがあったが、1993年に休館となった。
L花巻電鉄軌道線(鉛線)の高倉山温泉停車場 - 鉛温泉停車場間の廃線跡。
 M花巻電鉄軌道線(鉛線)の鉛温泉停車場跡。(花巻中央駅から17.1q)鉛温泉の由来:今から凡そ五百余年前、当温泉主藤井家の遠祖が高倉山麓で薪樵の折、白猿が岩窟から出て、桂の木の根元から湧き出ている湯で、手足の傷を癒しているのを発見し、これが温泉であることを知り、後嘉吉三年(1443年)の頃に仮小屋を建て、一族が天然風呂として開いたと伝えられている。因みに、藤井家の遠祖稗貫城主藤原千夜叉丸の三男兼忠公が円満寺膝立村を賜り、膝立蔵人と名乗り、その子膝立弾正輝忠公(後の花巻案浄寺の開祖)の郎党で輝忠公が永享十二年(1440年)江差勢と私斗して利あらず当鉛村に敗走して来て、寺子屋を開塾し、又その郎党は付近の林野を開拓し木樵百姓などに変じて世を忍ぶ生活を営んでいたといわれている。その後、宝暦年間(1751年〜1763年)子孫の三右エ門が大衆の浴場とするべく安浄寺住職の計らいで役司の許可を得、当時の大飢饉、震災等の苦難を克服しながら天明六年(1786年)三之助の代になって初めて長屋を建て温泉旅館を開業したと言われている。
 N花巻電鉄軌道線(鉛線)の西鉛温泉停車場跡。(花巻中央駅から17.5q)停車場はここから150mほど鉛温泉よりに位置していた。新鉛温泉(しんなまりおんせん)は、岩手県花巻市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)花巻温泉郷にある温泉。花巻南温泉峡の最奥部、入り口から8番目の温泉である。鉛温泉の奥に位置する。豊沢川沿いに、ホテル愛隣館が存在する。新鉛温泉はこの一軒のみである。隣の鉛温泉「白猿の湯」のような立ち湯も存在する。昔は、この地にあった金山に因んで黄金温泉という名前であった。その名前は源泉名「黄金の湯」という名前に残る。1969年までは、花巻電鉄(現、岩手県交通)という鉄道(路面電車)も花巻駅から延びていた。なお、路面電車の終点があったのは少し花巻寄りにあった西鉛温泉である。この温泉は1889年に発見され、1891年に温泉宿が開設された。戦後は岩手県の職員保養所となっていたが1972年に閉鎖されている。
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廃線探索 花巻電鉄軌道線(鉛線)