廃線探索 川俣線

更新日時 2012年05月03日

 旧国鉄川俣線(かわまたせん)は、かつて福島県福島市の松川駅から同県伊達郡川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。赤字83線廃止の取組みの一環として1972年に廃止され、国鉄バスに切り替わったが、その後身であるJRバス東北の路線バスも2005年3月31日限りで廃止され、現在は自治体による代替運行が行われている。岩代飯野駅の跡地は国鉄バスの自動車駅「飯野町駅」(1992年無人化)が設置され、福島交通の立子山・医大経由福島駅東口行きと(渡利バイパス経由)福島駅東口行き(ジェイアールバス東北船福線廃止代替)、川俣線の廃止代替バスが発着する。岩城川俣駅の跡地は記念碑と元川俣駅資料館が建てられており、元川俣駅資料館の方は集会所となっている。現在の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡は、ほとんどが未整備であり、阿武隈川に架かる鉄橋の解体などで歩行困難な箇所もある。岩代飯野駅 - 岩代川俣駅間は、全て2車線の道路に整備されている。川俣町内が一部町道である他、国道114号(川俣バイパス)、福島県道39号川俣安達線になっている。
駅一覧
松川駅 - 岩代飯野駅 - 岩代大久保駅 - 岩代川俣駅
 @松川駅(まつかわえき)は、福島県福島市松川町字原にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東北本線の駅である。福島市内で最も南にある駅で、駅から南に250メートル程で二本松市域に入る。
 @松川駅構造は2面3線のホームを有する地上駅。構内の東側に島式ホーム1面2線(1・2番線)、西側に単式ホーム1面1線(3番線)が配置される。島式ホーム東側・駅舎に隣接して単式ホーム1面1線が設置されているが、使用されていない。このホームは川俣線のホームであった。なお、1・3番線が本線、2番線が待避線(副本線)となっている。互いのホームは跨線橋で連絡している。
 @貨物取扱・専用線:JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、定期貨物列車の発着はない。しかし、大物車で変圧器などを輸送する特大貨物輸送列車が稀に発着することがあり、特大貨物が発着する北芝電機天王原工場へ続く専用線が駅に接続している。
 A大物車で変圧器などを輸送する北芝電機天王原工場へ続く専用線。川俣線跡は現在撮影している場所で専用線と平行して走っていた。
AJR貨物岩沼駅で使われていた北芝電機天王原工場の協三工業製の20t機(スイッチャー)
B北芝電機天王原工場専用線。
C北芝電機天王原工場専用線はここで終わり、この先は川俣線の廃線跡が続く。
D旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
 E旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。トンネルの高さから川俣線が廃止された後に出来た道路と思われる。土地の権益の為か、必要と思われないトンネルも作る必要が有るのですね。
F旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。跨線橋が残る。
F旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。跨線橋から撮影。
G旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
H旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
I旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
J旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。下川崎隧道。L=108m
J下川崎隧道内は蝙蝠の鳴き声と蝙蝠の糞の山が出来ていました。隧道は50mほどして閉塞。
 K旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。下川崎隧道の岩代飯野駅側の出口は左写真の道路延長線上の家あたりに有ったと思われる。
L旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
M旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。阿武隈川橋梁が架かっていた。
N旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
O旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
P旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。切り通しが良い雰囲気ですね。
Q旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
R旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
S旧国鉄川俣線の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡。
 @岩代飯野駅(いわしろいいのえき)は、かつて福島県伊達郡飯野町(現在の福島市飯野地区)にあった日本国有鉄道(国鉄)川俣線の旅客駅である。1972年(昭和47年)5月14日 - 川俣線廃止に伴い、駅を廃止。2005年に駅跡に建てられていた飯野町駅待合室は取り壊され、簡易な屋根付きベンチが設置されている。現在は、敷地に「いいの交流館」が建てられている。飯野町公民館敷地脇には川俣線で使用されていたのと同形式の蒸気機関車C12形が静態保存されている。
 @機関車の歴史:私は蒸気の力で走る機関車で、川俣線を走った機関車と同型です。名前はC1260で昭和9年3月20日が誕生日です。働いていたところは福知山線・加古川線(兵庫)西舞鶴線(京都)境線(鳥取)伯備線(鳥取、岡山)です。その走った距離は、約144万qで、丁度地球を約35回廻ったことになります。私は27年間の長い勤めを終えて昭和47年5月15日飯野町に落ち着きました。
A旧国鉄川俣線の岩代大久保駅跡。(1941年廃止)
B旧国鉄川俣線の岩代大久保駅 - 岩代川俣駅間の廃線跡。
C旧国鉄川俣線の岩代大久保駅 - 岩代川俣駅間の廃線跡。
D旧国鉄川俣線の岩代大久保駅 - 岩代川俣駅間の廃線跡。
E旧国鉄川俣線の岩代大久保駅 - 岩代川俣駅間の廃線跡。
F旧国鉄川俣線の岩代大久保駅 - 岩代川俣駅間の廃線跡。
G旧国鉄川俣線の岩代大久保駅 - 岩代川俣駅間の廃線跡。
H旧国鉄川俣線の岩代大久保駅 - 岩代川俣駅間の廃線跡。
 I岩代川俣駅(いわしろかわまたえき)は、かつて福島県伊達郡川俣町にあった日本国有鉄道(国鉄)川俣線の旅客駅である。1972年(昭和47年)5月14日 - 川俣線廃止に伴い、駅を廃止。
I岩代川俣駅跡の石碑と元川俣駅資料館。資料館は開いていませんでした。
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