廃線探索 塩釜線

更新日時 2012年11月09日

 塩釜線は、かつて宮城県に存在した日本貨物鉄道(JR貨物)の鉄道路線。1956年(昭和31年)までは塩竈線と表記した。1997年(平成9年)に廃止された。日本鉄道が現在の東北本線にあたる路線を建設する際、船での資材搬入のため塩釜港を利用する事になったが、輸送力を確保するため港から資材を運ぶ路線も必要になった。そのため、仙台駅から岩切駅を経て塩竈駅(後に塩釜港駅→塩釜埠頭駅)の間が開業した。日本鉄道が鉄道国有法に基づいて国有化された後の1909年(明治42年)、国有鉄道線路名称に基づいて塩竈線の名が与えられた。1933年(昭和8年)には塩竈駅から塩竈港駅まで貨物線が開業し、昇開式の可動橋も設置された。塩竈線は塩釜線と改称した上で、旅客営業に関しては新線の塩釜駅に譲ることで帰省臨時列車を除いて廃止する事になり、同線にあった塩竈駅は塩釜港駅、塩竈港駅は塩釜埠頭駅と改称された。末期は塩釜港の石油輸送のみが行われ、空のコンテナ列車、不要になった貨車の解体などが多かった。そしてモータリゼーション発達に伴うトラック輸送への移行と、塩釜港の仙台港への機能移転、さらに唯一の収入源であったタンク車による石油輸送が廃止され、塩釜線は収入源と需要を失い1994年(平成6年)に休止、1997年(平成9年)には廃止となった。
駅一覧
陸前山王駅 (0.0q) - 塩釜埠頭駅(旧・塩釜港駅)(4.9q) - 塩釜埠頭駅(移転前)(6.8q)
 @陸前山王駅(りくぜんさんのうえき)は、宮城県多賀城市山王字千刈田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東北本線と仙台臨海鉄道臨海本線(貨物線)の駅である。
 @陸前山王駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅。ホームは跨線橋で繋がっている。この駅から仙台臨海鉄道の貨物線が分岐するため構内は広く、多くの留置線が敷設されている。また、かつてはこの駅から塩釜線(貨物線)も分岐していた。ちなみに、駅舎のホーム側に「日本貨物鉄道 陸前山王駅」と書かれた看板がある。
 A国府多賀城駅(こくふたがじょうえき)は、宮城県多賀城市浮島一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。多賀城市の請願により設置された(請願駅)。また、駅の建設費の一部は住民の寄附金によるものである。
 A国府多賀城駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。橋上駅舎を有している。なお、2番線は廃止となった塩釜線の線路跡である。
B塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。東北本線からこの辺で分岐していた。
B塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。
C塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。
D塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。整備されていないが散歩道になっている。
D塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。勾配標が残る。
E塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。ここから先の廃線跡は住宅地に転用されている。
F塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。道路がクランクしている。住宅地が廃線跡。
G塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。ここから先は仙石線と平行して廃線跡が残る。
H塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。交差点に踏み切り跡が残る。
I塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。西塩釜駅付近に塩釜線のモニュメントがある。
 Iこの遊歩道は、東北本線(塩竃線)の線路跡地を活用して整備したものです。塩竃線は、東北本線を郡山から延伸工事する際、塩釜港から陸揚げした資材を運ぶ為敷設されたものであるが、1887年(明治20年)12月15日には、東北本線(東京・上野〜塩竃間)の営業路線として開業し、塩釜駅は東北本線の終点となりました。1890年(明治23年)東北本線の岩切〜一ノ関間が開業すると岩切〜塩竃間は東北本線の支線として「塩竃線」と呼ばれ、1956年(昭和31年)に東北本線(海岸線)塩釜駅が新設されると、支線の塩釜駅は貨物線に転換され、開業以来由緒ある塩釜駅は塩竃港駅と改称し、貨物取扱駅となりました。その後、トラック輸送への転換、塩釜港の仙台港への機能移転で、貨物輸送も徐々に減少し、1994年(平成6年)に休線、1997年(平成9年)に廃線となりました。明治・大正には三陸沿岸各港との連絡や魚の積み出し、昭和には北海道の石炭、外国からの輸入された木材などを輸送し、松島観光の幹線として全国に知られ、塩竃の経済発展に大きく貢献した塩竃線は、110年の歴史に幕を閉じました。
 I西塩釜駅(にししおがまえき)は、宮城県塩竈市錦町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。
 I西塩釜駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を備えている。橋上化するまでは1番線側に駅舎があり、2番線へは行くには構内踏切を渡る構造だった。また駅舎と駅前の間には塩釜線(1997年廃止)が通っており、踏切を渡って、階段を登り駅舎に入るようになっていた。1981年11月1日までは、当駅までが複線だった。それまで列車容量の関係で西塩釜折り返しや本塩釜折り返しの電車も存在していたが、東塩釜まで高架複線完成後、それらの電車は東塩釜折り返しとなった。
J塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。
K塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。塩釜線は仙石線の下をここでクロスしていた。
L塩釜線の陸前山王駅 - 塩釜埠頭駅間の廃線跡。国道45号線をここで横断していた。
 M塩釜埠頭駅は、かつて宮城県塩竈市海岸通15番地にあった、塩釜港に隣接する日本貨物鉄道(JR貨物)塩釜線の貨物駅(廃駅)。1994年(平成6年)に休止され、1997年(平成9年)に廃止された。跡地はイオンタウン塩釜となっている。1990年(平成2年)までは、営業キロ設定上の塩釜埠頭駅は貞山通1丁目に置かれていたが、国鉄分割民営化前の1986年(昭和61年)に統合した塩釜港駅(しおがまこうえき)のあった場所に移転した。海岸通にあった駅は、1887年(明治20年)に日本鉄道本線に設けられた(初代)塩竈駅を前身とする。1956年(昭和31年)、東北本線に(2代目)塩釜駅が設置されるとそちらに駅名を譲った。このとき当駅は、貞山通にあった駅が塩竈港駅から既に塩釜埠頭駅に改称していたため、塩竈港駅と名乗った。その後、当駅は貞山通の塩釜埠頭駅に統合されて廃止となったが、貞山通の駅が廃止されることになったため当駅のあった海岸通に駅名を替えずに移転した。
 N本塩釜駅のすぐ東側にあった地上駅。10数本の側線が敷設された操車場があり、その南側から塩釜埠頭駅へ向かう路線が、東側から日本配合飼料塩竈工場へ続く専用線が分岐していた。操車場の南西側には、2面2線の貨物ホームがあった。また、塩釜港駅が塩釜埠頭駅に統合された後も、塩釜埠頭駅の駅舎は旧・塩釜港駅の場所に置かれていた。
 O仙台塩釜港・塩釜港区の貞山埠頭にあり、旧・塩釜港駅との間の路線から複数の専用線が分岐していた。埠頭に敷設されていた宮城県営公共臨港線や、日本セメント・小野田セメントのセメント貯蔵施設へ続く専用線、日本石油の油槽所へ続く専用線などがあった。このほか、海岸線に沿って敷設されていた出光興産、大協石油など8社が共用し、各油槽所へ続き石油類の輸送を行っていた専用線もあったが、1987年(昭和62年)3月に昭和シェル石油からの輸送が終了し廃止された。
P塩釜線の塩釜埠頭駅(旧・塩釜港駅) - 塩釜埠頭駅(移転前)間の廃線跡。
Q塩釜線の塩釜埠頭駅(旧・塩釜港駅) - 塩釜埠頭駅(移転前)間の廃線跡。
R塩釜線の塩釜埠頭駅(旧・塩釜港駅) - 塩釜埠頭駅(移転前)間の廃線跡。
 S塩釜線の塩釜埠頭駅(旧・塩釜港駅) - 塩釜埠頭駅(移転前)間の廃線跡。緑地や舗装に廃線跡の名残がある。
@塩釜線の塩釜埠頭駅(移転前)跡。
 A海岸線に沿って敷設されていた出光興産、大協石油など8社が共用し、各油槽所へ続き石油類の輸送を行っていた専用線。
B8社が共用の専用線跡。空き地が専用線の廃線跡。
C8社が共用の専用線跡。道路に微かに専用線の跡が残る。
D8社が共用の専用線跡。道路に微かに専用線の跡が残る。
塩釜魚市場支線へ続く
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