更新日時 2014年08月20日

廃線探索 羽後交通横荘線
 羽後交通横荘線は、秋田県内陸南部の横手盆地を走っていた羽後交通の鉄道路線。横手市の横手駅と由利郡東由利村(現・由利本荘市)の老方駅を結んでいたが、1971年(昭和46年)に全線が廃止された。通称「横荘っこ」と呼ばれていた。大正時代に「釜石 - 横手 - 本荘間」を結ぶ“陸羽横断鉄道構想”で建設が始まったが、昭和恐慌や戦争、水害などの度重なる天災により、最後まで目的を果たせず「壮大な構想」で終わった。現在、由利本荘市の羽後本荘 - 矢島を結んでいる由利高原鉄道鳥海山ろく線のうち羽後本荘 - 前郷間は、横荘鉄道西線として建設され、本来は横荘線(東線)「老方駅」と連絡する計画であった。
駅一覧
横手駅 - 栄村駅 - 樋ノ口駅 - 東浅舞駅 - 浅舞駅 - 豊前駅 - 羽後里見駅 - 沼館駅 - 船沼駅 - 舘合駅 - 羽後大森駅 - 上溝駅 - 八沢木駅 - 二井山駅 - 浮蓋駅 - 老方駅
 @横手駅(よこてえき)は、秋田県横手市駅前町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。駅構造は単式ホーム2面2線と島式ホーム1面2線、合計3面4線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を持つ。直営駅(駅長配置)である。管理駅として、奥羽本線の十文字駅 - 飯詰駅間および北上線の黒沢駅 - 矢美津駅間の各駅を管理している。駅舎は構内東側にある。2階に自動改札機(Suica非対応)、みどりの窓口、びゅうプラザ、指定席券売機、自動券売機、待合所が設置されている。現在は駅弁の販売はない。廃線となった羽後交通横荘線のホームが現在でも4番線として利用されている。ここはやや狭くなっている。駅構内に横手運輸区が併設されている。また、転車台があり、奥羽本線や北上線でSLが運行される際に方向転換に使用されている。東口に隣接してNEWDAYS MINIが営業を行なっている。 また、横手市による施設として、東口駅舎の1階に総合ラウンジ。
A羽後交通横荘線の横手駅 - 栄村駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
A羽後交通横荘線の横手駅 - 栄村駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
A羽後交通横荘線の横手駅 - 栄村駅間の廃線跡。小型の橋梁が残る。
B羽後交通横荘線の横手駅 - 栄村駅間の廃線跡。
C羽後交通横荘線の横手駅 - 栄村駅間の廃線跡。
D羽後交通横荘線の横手駅 - 栄村駅間の廃線跡。
 E栄村駅(えいむらえき)は、秋田県平鹿郡栄村(現・横手市柳田)にあった横荘鉄道(後の羽後交通横荘線)の駅(廃駅)である。短期間の営業のみで1921年(大正10年)5月1日に廃駅となった。
F羽後交通横荘線の栄村駅 - 樋ノ口駅間の廃線跡。ここから先は道路に転用。
G羽後交通横荘線の栄村駅 - 樋ノ口駅間の廃線跡。道路に転用。
 H樋ノ口駅(ひのくちえき)は、秋田県平鹿郡平鹿町醍醐(開業時は旧・平鹿郡醍醐村下樋口、現・横手市平鹿町醍醐)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(老方方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム東側出入口附近に待合所を有した。待合所は比較的新しい作りであった。ホームは横手方に階段を有し[7]駅施設外に連絡していた。駅名は、羽後交通の資料には「樋ノ口」「樋の口」の双方が使用されていた。
I羽後交通横荘線の樋ノ口駅 - 東浅舞駅間の廃線跡。道路に転用。
 J東浅舞駅(ひがしあさまいえき)は、秋田県平鹿郡平鹿町浅舞道川(現・横手市平鹿町浅舞道川)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。一部の普通列車は通過した(1964年(昭和39年)8月20日改正の時刻表で上下各2本)。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。無人駅となっていた。
K羽後交通横荘線の東浅舞駅 - 浅舞駅間の廃線跡。道路に転用。
 L浅舞駅(あさまいえき)は、秋田県平鹿郡平鹿町浅舞福田(開業時は旧・平鹿郡浅舞町福田、現・横手市平鹿町浅舞福田)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。駅舎側(南側)が下り線(老方方面)、外側(北側)が上り線(横手方面)となっていた。そのほか側線として、下り線から南に分岐し駅舎との間を通過する機回し線を1線と、機回し線横手方から南に分岐し駅舎東側に至る行き止りの側線を1線有していた。沼館駅とほぼ同じ配線となっていた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の南側に位置し、ホーム西側のスロープ付きの階段とを結ぶ構内踏切で連絡した。駅舎の屋根は瓦は使われていなかった。ホームは待合所を有した。待合所の隣、出入口側のホーム上に腕木式信号機が設置されていた。列車交換の通標は横手駅 - 当駅間は「○」、当駅 - 沼館駅間は「□」であった。
M羽後交通横荘線の浅舞駅 - 豊前駅間の廃線跡。道路に転用。
N羽後交通横荘線の浅舞駅 - 豊前駅間の廃線跡。道路に転用。
 O豊前駅(ぶぜんえき)は、秋田県平鹿郡平鹿町浅舞豊前(開業時は旧・平鹿郡浅舞町豊前、現・横手市平鹿町浅舞豊前)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。豊前駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(老方方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム西側出入口附近に待合所を有した。待合所は長方形の建物の上に大きな片流れ屋根が覆い被さった独特な作りであった。ホームは老方方にスロープを有し駅施設外に連絡していた。
P羽後交通横荘線の豊前駅 - 羽後里見駅間の廃線跡。道路に転用。
 Q羽後里見駅(うごさとみえき)は、秋田県平鹿郡雄物川町東里東里北(開業時は旧・平鹿郡里見村東里、現・横手市雄物川町東里東里北)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(老方方面に向かって左手側)に存在した。そのほか側線として、本線から北に分岐した機回し線を1線と、本線横手方機回し線転轍機の手前から南に分岐し駅舎東側に至る行き止りの側線を1線有していた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の南側に位置し、ホーム中央部分に接していた。駅跡のJAの敷地の一角に、雄物川町(当時)により「横荘線 羽後里見駅跡」と記載され、沿革も記された白い記念碑が建立された。
R羽後交通横荘線の羽後里見駅 - 沼館駅間の廃線跡。道路に転用。
 S沼館駅(ぬまだてえき)は、秋田県平鹿郡雄物川町沼館(開業時は旧・平鹿郡沼館町沼館、現・横手市雄物川町沼館)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、当駅 - 舘合駅間部分廃線前までは列車交換可能な交換駅であった。駅舎側(西側)が下り線(老方方面)、外側(東側)が上り線(横手方面)となっていた。そのほか側線として、下り線から西に分岐し駅舎との間を通過する機回し線を1線と、機回し線横手方から西に分岐し駅舎南側に至る行き止りの側線を1線有していた。浅舞駅とほぼ同じ配線となっていた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム北側の階段とを結ぶ構内踏切で連絡した。ホームは待合所を有した。待合所の隣、出入口側のホーム上に腕木式信号機が設置されていた。列車交換の通標は浅舞駅 - 当駅間は「□」、当駅 - 羽後大森駅間は「△」であった。駅名は、駅舎出入口上部に掲示されていた駅銘板には「沼館駅」と表記されていたが、羽後交通の資料には「沼館」「沼舘」の双方が使用されていた。駅跡の道路の一角に、雄物川町(当時)により「横荘線 沼舘駅跡」と記載され、沿革も記された白い記念碑が建立された。
@羽後交通横荘線の沼館駅 - 船沼駅間の廃線跡。道路に転用。
 A船沼駅(ふなぬまえき)は、秋田県平鹿郡雄物川町沼館八掛(開業時は旧・平鹿郡沼館町八掛、現・横手市雄物川町沼館八掛)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の部分廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(老方方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム西側に待合所を有した。駅跡の道路の一角に、雄物川町(当時)により「横荘線 船沼停留所跡」と記載され、沿革も記された白い記念碑が建立された。
B羽後交通横荘線の船沼駅 - 舘合駅間の廃線跡。道路に転用。
C羽後交通横荘線の船沼駅 - 舘合駅間の廃線跡。道路に転用。
 D舘合駅(たてあいえき)は、秋田県平鹿郡雄物川町薄井中鳥屋場(開業時は旧・平鹿郡館合村薄井、現・横手市雄物川町薄井中鳥屋場)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の部分廃線に伴い1969年(昭和44年)1月16日に廃駅となった。舘合駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(老方方面に向かって右手側)に存在した。そのほか側線として、本線から西に分岐した機回し線を1線と、本線横手方機回し線転轍機の手前から東に分岐し駅舎南側に至る行き止りの側線を1線、機回し線の老方方本線合流部分の手前から分岐する行き止りの側線を1線有していた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の東側に位置し、ホーム中央部分に接していた。1966年(昭和41年)2月時点では雄物川河川敷まで延びる砂利採取線を有し、1947年(昭和22年)の水害による営業休止時の、羽後大森駅残存車輌の回送時に利用された。駅名は、羽後交通の資料には「舘合」と表記されていた。
E羽後交通横荘線の舘合駅 - 羽後大森駅間の廃線跡。道路に転用。
 F羽後交通横荘線の舘合駅 - 羽後大森駅間の廃線跡。雄物川橋梁:舘合駅 - 羽後大森駅間には雄物川が流れており、「雄物川橋梁」が架けられていた。この鉄橋は延長428mで、23基の橋脚と24連の橋桁を有する構造となっていた。晩年は架橋時に比べ、雄物川が川砂利の濫獲及び堤防工事に伴い河床が低下しており、1965年(昭和40年)7月9日の集中豪雨によって九号橋脚の洗掘が著しく進行(同日より列車運行休止)、また調査の結果他の橋脚も老朽化が進んでいることが発覚、復旧は絶望的と目された。そして翌1966年(昭和41年)2月4日、職員の目の前で九号橋脚が倒壊、復旧の道は絶たれ、横荘線廃止の大きな要因の一つとなったとされる。
 G羽後大森駅(うごおおもりえき)は、秋田県平鹿郡大森町町田(現・横手市大森町町田)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の部分廃線に伴い1969年(昭和44年)1月16日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。そのほか側線として、南側本線横手方から南西に分岐し末端部に車庫を有する行き止りの車庫線を1線と、北側本線横手方から北に分岐し、分岐後に2線に分かれ駅舎東側に至る行き止りの側線を有していた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置し、ホーム西側とを結ぶ構内踏切で連絡した。列車交換の通標は沼館駅 - 当駅間は「△」、当駅 - 二井山駅間は「□」であった。
H羽後交通横荘線の羽後大森駅 - 上溝駅間の廃線跡。道路に転用。
 I上溝駅(うわみぞえき)は、秋田県平鹿郡大森町上溝(開業時は旧・平鹿郡八沢木村上溝、現・横手市大森町上溝)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線廃線前の1964年(昭和39年)以前に廃駅となった。上溝駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(老方方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム中央部分に待合所を有した。
 J八沢木駅(やさわぎえき)は、秋田県平鹿郡大森町上溝(開業時は旧・平鹿郡八沢木村上溝、現・横手市大森町上溝)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の部分廃線に伴い1966年(昭和41年)6月15日に廃駅となった。八沢木駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(老方方面に向かって右手側)に存在した。そのほか側線として、本線横手方西に分岐し駅舎東側に至る行き止りの側線を1線と、本線老方方から東に分岐しモーム南側に至る行き止りの側線を1線有していた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置し、ホーム北側部分に接していた。
K羽後交通横荘線の八沢木駅 - 二井山駅間の廃線跡。道路に転用。
L羽後交通横荘線の八沢木駅 - 二井山駅間の廃線跡。道路に転用。
 M二井山駅(にいやまえき)は、秋田県平鹿郡雄物川町二井山(開業時は旧・平鹿郡沼館町二井山、現・横手市雄物川町二井山)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の部分廃線に伴い1966年(昭和41年)6月15日に廃駅となった。二井山駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、当駅 - 老方駅間部分廃線前までは列車交換可能な交換駅であった。そのほか側線として、西側(駅舎側)本線横手方から西に分岐し駅舎北側に至る行き止りの側線を1線有していた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム南側とを結ぶ構内踏切で連絡した。列車交換の通標は羽後大森駅 - 当駅間は「□」であった。駅跡の道路の脇に、雄物川町(当時)により「横荘線 二井山駅跡」と記載され、沿革も記された白い記念碑が建立された。
 N羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。この先は「二井山トンネル」(全長190m)は通行禁止となっていたが、坑口が木々に覆われた形で残存している。
O羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。二井山トンネルの浮蓋駅側は閉塞している。
P羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。道路に転用。
Q羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。道路に転用。
R羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。御岳隧道が残る。(全長92m)
R羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。御岳隧道が残る。(全長92m)
S羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。金屋隧道が残る。(全長86m)
S羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。金屋隧道が残る。(全長86m)
@羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。道路に転用。
A羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。道路に転用。
B羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。道路に転用。
C羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。道路に転用。
D羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。道路に転用。
E羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。浮蓋隧道が残る。(全長140m)
E羽後交通横荘線の二井山駅 - 浮蓋駅間の廃線跡。浮蓋隧道が残る。(全長140m)
 F浮蓋駅(うきぶたえき)は、秋田県由利郡下郷村老方(後に旧・平鹿郡東由利村、東由利町を経て現・由利本荘市東由利老方)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の部分廃線に伴い1953年(昭和28年)8月5日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(老方方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。無人駅となっており、駅舎は無いがホーム中央部分に待合所を有した。旅客のみ取扱いであったとされるが、かつては森林鉄道を思わせる木材輸送の「途中積み」の中心駅であったと推定されている。線路脇に伐採された原木を積み上げ、無蓋車に積載していたとされる。作業は夕刻から始まり、場合によっては夜通しとなったらしい。二井山駅 - 老方駅間の運行休止に伴い、この作業も終焉を迎えたと考察されている。
G羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。道路に転用。
H羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。道路に転用。
I羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。道路に転用。
J羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。道路に転用。
K羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。第一柴倉隧道(全長200m)
K羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。第一柴倉隧道(全長200m)
L羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。切り通し。
M羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。
N羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。当時のカルバート?
O羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。
P羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。
Q羽後交通横荘線の浮蓋駅 - 老方駅間の廃線跡。
 R老方駅(おいかたえき)は、秋田県由利郡下郷村老方(後に旧・由利郡東由利村、東由利町を経て現・由利本荘市東由利老方)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の部分廃線に伴い1953年(昭和28年)8月5日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、島式ホーム1面2線を有する地上駅であった。そのほか側線として、北側(駅舎の反対側)本線横手方から北に分岐し末端部に車庫を有する行き止りの車庫線を1線と、南側本線終端部方から南に分岐し駅舎西側に至る行き止りの側線を1線有していた。職員配置駅となっていた。駅舎は構内の南側に位置し、ホーム東側とを結ぶ構内踏切で連絡した。
 R老方駅跡に東由利町役場が建築されていたが、その後庁舎は移転し、取り壊されて更地になっており、「役場跡」の石碑が建立されてる。その後、老人介護施設が建築されている。
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