廃線探索 岩村電気軌道

更新日時 2011年05月31日

 岩村電気軌道(いわむらでんききどう)は、かつて岐阜県恵那市(旧、恵那郡大井町・岩村町)に存在した鉄道路線(路面電車)を運営していた鉄道事業者である。副業として同地域一帯に電力を供給していた。岐阜県初の私鉄である。中央本線大井駅(現、恵那駅)から岩村町への便を図るため、同町出身の県会議員・衆議院議員を歴任していた浅見與一右衛門により、岩村電気鉄道として会社が設立された。まもなく、岩村電気軌道へ社名を改めている。1906年(明治39年)に軌道線(路面電車)を開業させた。その後、不況のため経営が落ち込んだことから、電力事業により苦境を脱しようとしたが、株式の払込も芳しくなく資金難に直面した。そのときに登場したのが各地の電力会社や鉄道会社(電気軌道、軽便鉄道)の設立に参画し、電気王とよばれた才賀藤吉であった。彼は会社の重役に収まると資金の提供をし(損失の補填と新規事業に投じられた)、そして発電機の増設をし、岩村、大井、長島の各町村に電燈が点るようになった。この電力事業により社業が軌道に乗り1909年(明治42年)に、盛大な開通式典を催している。その後、電灯事業及び鉄道業の業績は良好であったが、電力王と呼ばれた福澤桃介により矢作川上流に水力発電所を造ることになり、発電所建設の資材輸送としての役目も担うことになった。しかしその能力(電力、貨車とも)が不足しておりそれに投資する余力もなかったので、矢作水力に岩村電気軌道は合併された、また浅見はその取締役に就任した。軌道線は鉄道省(国鉄)明知線(現、明知鉄道)の開通により、輸送量が激減したことから、軌道廃止にともなう補償をうけることになり1935年(昭和10年)に全廃された。会社はその後も電力会社として残り、幾多の変遷を経て、中部電力株式会社に統合されている。
停留所 12.6q
大井停留所 - 東野口(向島)停留所 - 駒瀬停留所 - 小沢停留所(6.1q) - 山王下停留所 - 中切停留所 - 箕之輪停留所 - 岩村停留所(12.6q)
上記写真はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 @恵那駅(えなえき)は、岐阜県恵那市大井町にある、東海旅客鉄道(JR東海)・明知鉄道の駅である。1906年(明治39年)12月5日 - 駅前に岩村電気軌道が乗り入れ。
1935年(昭和10年)1月30日 - 岩村電気軌道が廃止(廃止時は矢作電力の経営)。
 @恵那駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅。1番線(単式ホーム)が副本線、2・3番線が本線となっている。上り列車については特急を除き、副本線である1番線に発着する。2つのホームは、ホーム東側にあるエレベーターが設置された跨線橋と、西側の階段がある跨線橋で連絡している。駅舎は構内南側、単式ホームの中央付近にある。東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、中津川駅が当駅を管理している。駅舎内部にはみどりの窓口などが置かれている。早朝・深夜は無人となる。
@岩村電気軌道の大井停留所(現恵那駅前)
A岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
B岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
C岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
D岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
E岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
F岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
G岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
H岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
I岩村電気軌道の大井停留所 - 東野口(向島)停留所間の廃線跡。
J岩村電気軌道の東野口(向島)停留所跡。
J岩村電気軌道の東野口(向島)停留所跡。
K岩村電気軌道の東野口(向島)停留所 -小沢停留所(6.1q)間の廃線跡。
L岩村電気軌道の東野口(向島)停留所 -小沢停留所(6.1q)間の廃線跡。
 L西行ゆかりの水(杉山の水の由来)この名水は歌人西行法師がこの地にこられ左上の小山に南無阿弥陀仏を安置する様村人に傳へし折り西行法師この水を飲みて誠に甘露かなと賞味されたと云う不思議な霊泉であり渇水の時と伝え共減らず大両の時と伝え共濁ることなく阿弥陀仏参拝の手洗水となり又この水を汲みて阿弥陀仏にお供えし病人の末期の水として与えれば静かに成仏する事が出来ると言い傳えられ居ります。
M岩村電気軌道の東野口(向島)停留所 -小沢停留所(6.1q)間の廃線跡。
N岩村電気軌道の東野口(向島)停留所 -小沢停留所(6.1q)間の廃線跡。
 O阿木川ダムによって形成された人造湖は阿木川湖と呼ばれている。こぶし公園の浮き島。前面に広がる公園は、20数年の歳月を費やし完成した阿木川ダムの湖底に沈んだ村(小沢)の鎮守の森で、村人が色々な願いを祈った神聖な場所でした。この湖底にはかつて全国で13番目に開通(明治39年)した「岩村電気軌道」が清流に映える新緑や紅葉の小沢渓谷を縫い、ゆっくりと走っていました。そして沈んでしまった「鹿の湯」温泉は湯治客で賑わい、そして多くの人々がここを行き交いました。そんな村の永い歴史と村人の生活を忘れないため、「こぶし公園(望郷公園・浮き島{別名亀島)」として整備されました。特に浮き島には「願いの鐘」を設置し、今も変わらぬ祈りの場を設けました。
Oこぶし公園の浮き島から岩村電気軌道の湖底に沈んだ廃線跡を見る。
P阿木川湖公園から岩村電気軌道の湖底に沈んだ廃線跡を見る。
Q虹の中橋。
Q虹の中橋から見る岩村電気軌道の小沢停留所(6.1q) - 山王下停留所間の廃線跡。
R岩村電気軌道の小沢停留所(6.1q) - 山王下停留所間の廃線跡。
S岩村電気軌道の小沢停留所(6.1q) - 山王下停留所間の廃線跡。
@岩村電気軌道の小沢停留所(6.1q) - 山王下停留所間の廃線跡。
A岩村電気軌道の小沢停留所(6.1q) - 山王下停留所間の廃線跡。
 Aこの石像は岩村川のほとりとリナタ渕をながめる大岩に刻み込まれていたものであったが阿木川ダム築造による国道257号線の付け替えにより移転の止むなきに至ったものである。その昔徳外其降禅師の遺徳により万病平癒大願成就し給う川下の竜権様祈願に行き交う人々が多年の病いも平癒し互いに喜び合い今後家族親族の諸人に諸々の禍事罪穢れあらひことを願い清楽寺地蔵講中が末世の人の為にと尊くも薬師如来の石像を造営することにし明治23年3月吉日建立したものである。その後明治36年6月浅見与一右衛門氏が岩村電気軌道株式会社を設立して電車道を新設し明治39年12月より大井岩村間の運転開始となったが、この石像は現在に至るまでその道下になっていたがこの度の国道付け替えにより下切氏予が代表となり区民一同参加のもとにこの地に移転鎮座したものである。
B岩村電気軌道の 山王下停留所跡。
B岩村電気軌道の 山王下停留所跡。
C岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
D岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
E岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
E岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
F岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
G岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
H岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
I岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
J岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
J岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
K岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
L岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
M岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
N岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
O岩村電気軌道の 山王下停留所 - 岩村停留所間の廃線跡。
 O岩村駅(いわむらえき)は、岐阜県恵那市岩村町にある明知鉄道明知線の駅である。同町には恵那南高校岩村校舎があるため、朝夕は通学客で賑わう。2004年3月29日まで、腕木式信号機が稼働していたが、2006年4月11日に構内にて腕木式信号機を「産業遺産」として復活させ、駅員の指導の下で見学者が実際に動かせるモニュメントとした。
 O岩村駅構造は上り線と下り線が斜交いに向き合う2面2線の相対式(千鳥式)ホームを持つ地上駅。明知線内唯一の列車交換(行違い)可能駅となっている。有人駅である。駅舎内には「御用承り処」と称する観光案内所がある
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