廃線探索 東濃鉄道笠原線

更新日時 2011年08月17日

 東濃鉄道笠原線とは、かつて岐阜県多治見市の多治見駅から土岐郡笠原町(現・多治見市)の笠原駅までを結んでいた東濃鉄道の鉄道路線である。沿線の主産業である陶磁器原料および製品を運搬する目的で敷設され、旅客営業も行っていたが、晩年はモータリゼーションの煽りを受けて旅客営業、貨物営業の順に廃止される。なお、同鉄道は鉄道事業廃止後も社名を変更せずに、継続してバス運行事業を行っている。廃線となった翌年の1979年(昭和54年)、多治見市は線路跡を自転車専用道路・歩行者専用道路として整備することを決定し、平和町 - 滝呂町の整備を行い1998年(平成10年)完成した。2006年(平成18年)多治見市は笠原町と合併したことから、合併記念事業として滝呂町 - 笠原町の延長整備が行われている。この専用道路は「陶彩の径」と名付けられ、沿道には桜が植栽されたことから桜の名所となっている。
駅一覧
多治見駅 - 新多治見駅 - 本多治見駅 - 市之倉口駅 - 下滝呂駅 - 滝呂駅 - 笠原駅
 @多治見駅(たじみえき)は、岐阜県多治見市音羽町二丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。当駅の所属線である中央本線と、当駅を起点とする太多線との接続駅となっている。両路線ともJR東海が第一種鉄道事業者として旅客営業を行い、中央本線はJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。特急「(ワイドビュー)しなの」を含めた全旅客営業列車が停車する。中津川方面へ向かう「セントラルライナー」と快速は当駅から終点まで各駅に停車する。
 @多治見駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線を持つ地上駅で橋上駅舎を有する。駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、中央本線の古虎渓 - 釜戸間の各駅および太多線の小泉駅・根本駅・姫駅の3駅を管理している。みどりの窓口がある。中央本線は1番線が上り本線、3番線が下り本線であり、特急「しなの」もこれらのホームを使用する。1・2番線の間にはホームのない副本線が存在する。2番線は、愛知万博輸送関連で留置(滞泊)線としても利用されていた。5番線は太多線専用ホームであるため駅名標の隣の駅は小泉のみである。反対側は引き上げ線として使われている。一応架線は張られている。ステップ付きの気動車が入線するため4・5番線はホームのかさ上げが行われていない。夜間滞泊は設定されていない。
A東濃鉄道笠原線のJR(旧国鉄)との貨物用連絡線跡。(東濃鉄道の乗用車が止まっている)
B東濃鉄道笠原線のJR(旧国鉄)との貨物用連絡線跡。
 B新多治見駅(しんたじみえき)は、かつて岐阜県多治見市に存在した駅。中央本線多治見駅の近くに存在した。1928年(昭和3年)開業の笠原鉄道(後の東濃鉄道(2代)新多治見駅)新多治見駅施設は2面2線のホームを有していた。沿線の主産業である陶磁器製品を運搬するため、国鉄と連帯運輸契約を結んでおり、多治見駅との間に貨物用連絡線が存在していた。駅構内には側線も存在していたという。貨物用連絡線があり、線路は繋がっていたが、旅客は多治見駅と新多治見駅との間で徒歩連絡していた。新多治見駅は多治見駅の南に存在していた。跡地は有料駐車場となっている。
C東濃鉄道笠原線の新多治見駅 - 本多治見駅間の廃線跡。
C東濃鉄道笠原線の新多治見駅 - 本多治見駅間の廃線跡。東濃鉄道の建物が建っている。
D東濃鉄道笠原線の新多治見駅 - 本多治見駅間の廃線跡。東濃鉄道のバス車庫が廃線跡。
 D東濃鉄道笠原線の新多治見駅 - 本多治見駅間の廃線跡。土岐川を渡る部分にかつては橋梁が架かっていた。
E東濃鉄道笠原線の新多治見駅 - 本多治見駅間の廃線跡。
 E東濃鉄道笠原線の新多治見駅 - 本多治見駅間の廃線跡。笠原鉄道はJR多治見駅と笠原町を結ぶ全長4.6qの私鉄(現東濃鉄道株式会社)で、太多線開通より3ヶ月早い昭和3年7月10日に開通しました。多治見駅から新多治見駅・本多治見駅・市之倉口・下滝呂・滝呂・笠原の各駅が設置され、今では懐かしい蒸気機関車が通勤通学などの旅客と、地場産業のタイルや耐火煉瓦などの貨物を輸送していました。貨物輸送に加え鉄道利用者は非常に多く、昭和20年には1日に利用客が4,100人という記録も残っています。昭和27年」には経費の節減等から蒸気機関車からディーゼル機関車に替わり、同時に貨物と旅客輸送が分離運転になりました。その後定期路線バスが運行され、またトラック輸送も進み、徐々に利用者が減少し昭和46年に旅客輸送が廃止となり、昭和53年には貨物輸送も廃止され50年の歴史を閉じました。この道は笠原鉄道の廃線敷を利用し、自転車歩行者専用道として整備したものです。昭和54年に事業に着手し幅4.0m、延長3.2qの道が平成10年3月に開通しました。
E東濃鉄道笠原線の新多治見駅 - 本多治見駅間の廃線跡。
 F本多治見駅(ほんたじみえき)は、かつて岐阜県多治見市に存在した東濃鉄道笠原線の駅である。土岐川の左岸にあり、新多治見駅とは土岐川の対岸にある。多治見市の中心部に近かった。駅構造は2面2線の島式ホーム。駅舎も設置されていた。線路跡は自転車専用道路・歩行者専用道路として整備されている。本多治見駅の駅跡地は東濃鉄道の関連会社(東鉄商事)の建物となっている。
G東濃鉄道笠原線の本多治見駅 - 市之倉口駅間の廃線跡。
H東濃鉄道笠原線の本多治見駅 - 市之倉口駅間の廃線跡。
I東濃鉄道笠原線の本多治見駅 - 市之倉口駅間の廃線跡。
J東濃鉄道笠原線の本多治見駅 - 市之倉口駅間の廃線跡。
K東濃鉄道笠原線の本多治見駅 - 市之倉口駅間の廃線跡。
L東濃鉄道笠原線の本多治見駅 - 市之倉口駅間の廃線跡。大洞川を渡る新大洞橋。
 L市之倉口駅(いちのくらぐちえき)は、かつて岐阜県多治見市に存在した東濃鉄道笠原線の駅である。貨物(陶磁器、耐火煉瓦など)の取り扱いが多かった。駅施設は交換施設があった。また、貨物用ホームも存在したという。隣接する東京窯業多治見工場への専用線があり、廃止まで使用されていた。1979年(昭和54年)、多治見市は笠原線の線路跡を自転車専用道路・歩行者専用道路として整備することを決定し、平和町 - 滝呂町の整備を行い1998年完成する。市之倉口駅の跡地はこの整備で無くなっているが、東京窯業多治見工場付近にわずかに痕跡がある。
L旧市之倉口駅の看板に掲載されている写真。
L旧市之倉口駅構内。(現在の株式会社TYK(登記社名 東京窯業株式会社)の敷地)
M東濃鉄道笠原線の市之倉口駅 - 下滝呂駅間の廃線跡。
N東濃鉄道笠原線の市之倉口駅 - 下滝呂駅間の廃線跡。
O東濃鉄道笠原線の市之倉口駅 - 下滝呂駅間の廃線跡。
 O下滝呂駅(しもたきろえき)は、現在の岐阜県多治見市に存在した東濃鉄道笠原線の駅である。滝呂地区にあった駅だった。滝呂地区は、滝呂駅開業当時は土岐郡笠原町(1923年町制の旧・笠原町)であった。1951年に旧・笠原町全域が多治見市に編入されたのち、1952年に旧・笠原町が笠原村として分立したさいには多治見市に残った地区である。駅施設は1面1線のホームであった。1979年(昭和54年)、多治見市は笠原線の線路跡を自転車専用道路・歩行者専用道路として整備することを決定し、平和町〜滝呂町の整備を行い1998年完成する。駅のホームはこの整備の際に埋められている。
O旧下滝呂駅の看板に掲載されている当時の写真。
P東濃鉄道笠原線の下滝呂駅 - 滝呂駅間の廃線跡。山長谷橋。
Q東濃鉄道笠原線の下滝呂駅 - 滝呂駅間の廃線跡。
R東濃鉄道笠原線の下滝呂駅 - 滝呂駅間の廃線跡。平成滝呂橋。
 S滝呂駅(たきろえき)は、かつて岐阜県多治見市に存在した東濃鉄道笠原線の駅である。滝呂地区の中心地にあった。滝呂地区は、滝呂駅開業当時は土岐郡笠原町(1923年町制の旧・笠原町)であった。1951年に旧・笠原町全域が多治見市に編入されたのち、1952年に旧・笠原町が笠原村として分立したさいには多治見市に残った地区である。駅施設は開業当初は1面1線のホームであったが、戦後、交換可能な駅になった。在の状況。1979年(昭和54年)、多治見市は笠原線の線路跡を自転車専用道路・歩行者専用道路として整備することを決定し、平和町〜滝呂町の整備を行い1998年完成する。滝呂駅の跡地はこの整備で無くなっている。
S当時の滝呂駅 @この倉庫は滝呂駅貨物ホームか?
@東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
A東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。笠原川に架かる森前橋。
B東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
B東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
C東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
D東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
E東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。笠原川に架かる陶彩の橋。
F東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
G東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
G東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
G東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
H東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
I東濃鉄道笠原線の滝呂駅 - 笠原駅間の廃線跡。
 J笠原駅(かさはらえき)は、かつて岐阜県土岐郡笠原町(現在の多治見市笠原町)に存在した東濃鉄道笠原線の終着駅である。駅施設は旅客用の2面2線のホームを有していた。陶磁器製品を運搬するための貨物駅でもあったため、貨物用の引込み線、留置線、側線なども存在した。東濃鉄道笠原線の中心の駅であり、車両基地、運転基地、工場、貨物積込設備があり、広い構内を有していた。
J笠原駅跡地は東鉄バス笠原車庫として利用されている。
 J笠原駅跡:笠原駅は昭和2年に建築され翌昭和3年の7月には笠原鉄道が全線開通しています。笠鉄はそれ以降笠原町民の足としてまた地場産業の陶器の輸送機関として活躍してきましたが、昭和53年に全線廃線となり50年の歴史の幕をおろしました。
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