更新日時 2014年07月15日

 米原蒸気機関車避難壕:ここに存在する2つの洞窟(左側は奥行52m止め、右側は130mで貫通)は、太平洋戦争末期に、日本の輸送の大動脈である東海道線及び北陸線の列車を引っ張る蒸気機関車を連合国軍の空爆から守るために掘られた防空壕跡です。この岩脇山は岩盤が固くその上当時は物量が乏しく、火薬、スコップ、ツルハシ、トロッコなどの手作業のため難工事であったことがうかがえます。しかしながら、完成することなく終戦となったが、作業に従事した人たちの汗と涙の結晶である防空壕跡が、長い間ゴミ捨て場として放置されたままになっていました。そこで「岩脇まちづくり委員会」では戦争の悲劇を風化させないために戦争の遺跡として保存するため整備した。
@東海道本線から分岐していた。下の地図にマウスを重ねると当時の地図が現れて痕跡が解ります。
@左側の壕です。小屋の先に路盤があった。
@左側の壕は完成していないため、機関車が入るのには小さいですね。
@左側の壕は52mで行き止まりです。内部には照明が完備されています。
@右側の壕です。貫通していて130mの長さがあります。
@こちらの内部にも照明が完備されています。
 B右側の壕の反対側です。こちらから壕内に入れます。ヘルメットは自由に利用してくださいと書いてありましたが、ヘルメットは置いてありませんでした。
A右側の壕の内部です。歩くための敷板が敷いてあります。
A右側の壕の内部です。歩くための敷板が敷いてあります。
A右側の壕の内部です。ここから先は敷板がありません。
A右側の壕の内部です。壁が崩れています。
B左側の壕の反対側です。両方側から掘り進めたみたいですね。
B左側の壕の反対側は照明が完備されていません。
A左側の壕の反対側は照明が完備されていません。中は泥だらけで靴が泥だらけになってしまいました。
A左側の壕の反対側です。非貫通のため、奥に行くと湿度が高いです。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 米原蒸気機関車避難壕