更新日時 2015年04月27日

 名鉄三河線山線:2004年4月1日に西中金駅 - 猿投駅間が廃止された。これらの区間は閑散区間で、西中金駅 - 猿投駅間は1985年から合理化のため電気運転を廃止し、小型のディーゼルカーであるレールバスによる運転に切り替えていた。しかし乗客の減少は続き、名鉄は2000年に末端区間の廃止届を同年秋に提出することを表明した。沿線自治体による年間2億円の赤字補填で鉄道の延命が図られたものの、このまま赤字補填を続けても、近い将来、三河旭駅 - 中畑駅間の矢作川橋梁の架け替えに莫大な費用が掛かるとの懸念から、一部自治体が存続を断念する表明をしたことで海線側の廃止が決まり、山線側も追随する結果となった。廃止前の運行本数は一部時間帯を除いて毎時1本程度の設定で、全列車ワンマン運転であった。多客期には増結が行われ、最大で3両(キハ10形の場合。キハ20形・キハ30形では2両)での運転も見られた。山線廃止区間は山間部ゆえに放置されたレールが落ち葉に埋もれるなど自然に還りつつある部分もあるが、枝下駅や三河広瀬駅などのように駅が広場として一部整備された以外は駅舎・ホーム・レール・鉄橋(矢作川橋梁など)はほとんど撤去されずに廃線当時のままの姿が残っている(踏切部分は撤去)。一方、海線廃止区間は前述の矢作川橋梁を含むレールや鉄橋などがほとんど撤去され、駅も三河一色駅のように駅舎が解体されたり、中畑駅のように駅そのものが更地化されるなど、往時の面影を偲ばせるものは少なくなっている。
名古屋鉄道 三河線 2004年廃止区間
西中金駅 - 三河広瀬駅 - 枝下駅 - 三河御船駅 - 猿投駅
@猿投駅(さなげえき)は愛知県豊田市井上町にある、名古屋鉄道三河線の起点駅である。
 @猿投駅構造は島式1面2線の地上駅である。終日有人駅。駅舎とホームは構内踏切で繋がっている。構内踏切からはスロープでつながっているため段差はない。駅舎側が1番線である。 猿投検車区があり、三河線と豊田線の車両を収容する。収容数に余裕があるため、新製車両や廃車予定の車両が留置されていることもある。 西中金 - 当駅間の廃止後、駅北側の踏切1ヶ所は、列車の入れ替えに必要なため、営業列車が走らなくなった現在も、6両編成までの電車が一時的に停車できる線路と共に残され、引き続き使用されている。西中金方面が現役の頃は、レールバスの停泊と給油をここで行っていた。
A名鉄三河線山線の三河御船駅 - 猿投駅間の猿投1号踏切より撮影。
B名鉄三河線山線の三河御船駅 - 猿投駅間の廃線跡。レールはここで切断されている。
C名鉄三河線山線の三河御船駅 - 猿投駅間の廃線跡。レールが残る。
D名鉄三河線山線の三河御船駅 - 猿投駅間の廃線跡。レールが残る。
 E三河御船駅(みかわみふねえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道三河線の駅(廃駅)である。駅構造はホーム1面1線の無人駅。山線の廃止区間の中では最も早く無人化されている。かつては豊田市運動公園の最寄り駅で、豊田マラソンなどのイベント開催時には賑わいを見せることもあった。その際は駅員が臨時に出張し、出札業務を行っていた。ただし、駅舎はないので机を持ち込んでの出札業務であった。現在は駅前が広場となっている。
F名鉄三河線山線の枝下駅 - 三河御船駅間の廃線跡。レールが残る。
G名鉄三河線山線の枝下駅 - 三河御船駅間の廃線跡。レールが残る。
H名鉄三河線山線の枝下駅 - 三河御船駅間の廃線跡。レールが残る。
I名鉄三河線山線の枝下駅 - 三河御船駅間の廃線跡。レールが残る。
J名鉄三河線山線の枝下駅 - 三河御船駅間の廃線跡。レールが残る。
K名鉄三河線山線の枝下駅 - 三河御船駅間の廃線跡。大釜橋より撮影。
L名鉄三河線山線の枝下駅 - 三河御船駅間の廃線跡。レールが残る。
M枝下駅(しだれえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道三河線の駅(廃駅)である。
 M枝下駅構造はプラットホーム1面1線の無人駅。難読駅名としても有名であった。廃駅となった現在も、ホームやレールは撤去されずに残っている。わくわく広場という愛称がつけられ、駅名標も復元された(但し表記は現役時と異なる)。駅前にはとよたおいでんバス さなげ・足助線の停留所が設けられている。
N名鉄三河線山線の三河広瀬駅 - 枝下駅間の廃線跡。レールが残る。
O名鉄三河線山線の三河広瀬駅 - 枝下駅間の廃線跡。鉄橋とレールが残る。
P名鉄三河線山線の三河広瀬駅 - 枝下駅間の廃線跡。勾配標とレールが残る。
Q名鉄三河線山線の三河広瀬駅 - 枝下駅間の廃線跡。レールが残る。
R名鉄三河線山線の三河広瀬駅 - 枝下駅間の廃線跡。レールが残る。
 S三河広瀬駅(みかわひろせえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道三河線の駅(廃駅)である。
 S三河広瀬駅構造は廃止区間の駅の中では数少ない駅舎のある駅。ホームは1面1線だが、有効長は長く取られていた。これはかつて貨物取扱があり、この駅から陶器などが輸送されていたためである。開業当時は終着駅だったが、西中金駅まで開通したことにより中間駅となった。2007年には終着駅の西中金駅と共に駅舎とホームが国の登録有形文化財に登録された(所有者は名鉄のままである)。
@名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
A名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
B名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
C名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
D名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
E名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
F名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
G名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
H名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
I名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
J名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。隧道及びレールが残る。
J名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。隧道及びレールが残る。
K名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。隧道及びレールが残る。
K名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。qポスト及びレールが残る。
L名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。橋台が残る。
M名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
N名鉄三河線山線の西中金駅 - 三河広瀬駅間の廃線跡。レールが残る。
 O西中金駅(にしなかがねえき)は、かつて愛知県豊田市中金町にあった名古屋鉄道三河線の駅(廃駅)である。三河鉄道時代には紅葉で有名な香嵐渓のある足助町(現豊田市)まで延伸する予定だった。だが、世界恐慌による資金不足や戦争などの影響で当駅以降は延伸が進まず、名古屋鉄道合併後も事業免許は得ていたものの、最終的には断念して事業免許を返却した。現在も西中金駅の駅舎はバス停留所として使われていて、その先の足助方面への延伸のために用地買収された後の土地は道路として残っている。
 O西中金駅の構造はホーム1本のみの棒線駅で、開業から遅れて1930年(昭和5年)に木造平屋の駅舎が建てられた。この終着駅らしくない構造は、本来足助方面への延長までの暫定的な終着駅とされていたためである。また、駅名標には足助方面への延長を予定していたためか、名鉄バスによる先行措置により「足助方面自動車連絡」と書かれていた。廃止後の2007年(平成19年)に駅舎とホームが国の登録有形文化財に登録された(所有者は名鉄のままである)。
P西中金駅より先の足助方面への延伸のために用地。
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