更新日時 2014年05月07日

廃線探索 羽黒軌道
 羽黒軌道:「羽黒は石を打つノミの音で夜が明ける」 岩瀬町の石の歴史は江戸時代からあるが、全国屈指の採石場を誇る西茨城郡稲田地区がこの県の先駆者鍋島彦七郎氏により組織的に開発されたのは明治30年と 称されている。岩瀬地区(旧北那珂地区)はその数年後、即ち明治35年本格的に企業化されたのである。稲田石では、昭和の初め頃羽黒駅から(地名で)稲・池亀迄レールがひかれ、山で採掘された石を羽黒駅まで無蓋車であるトロッコで運ばれた。その当時トロッコは最も進んだ輸送手段であった。 駅からは馬そりで各作業場に運ばるが搬送中に橋の一部がその重さに耐えきれず破損し一時通行止めになった一波乱もあったそうである。岩瀬地区は栃木、茨城両県境を南下する阿武隈山脈の中間にあります。採掘される花崗岩(青糠目石、稲田みかげ石、坂戸石) 岩瀬地区は大貫亀吉、瀬尾藤吾、飯島善松真家明により明治35年頃本格的に花崗岩採掘が開始された。明治37年4月に花崗岩の輸送のため貨物取扱駅として羽黒駅が誕生したことにより盛期を向かえた。また、花崗岩の最高級品と称される青糠目石もこのころより採掘される。明治44年羽黒石材同業組合設立。戦前までの水戸線羽黒駅周辺は「ノミ」の音に明け、「ノミ」の音で日が暮れると称されるほど活気あふれるものであったといわれている。県内の石材運搬軌道としては稲田地図に次ぐ規模の路線網を形成していった。戦後になると道路が徐々に整備され、大型自動車が自由に通れるようになると、敷設した軌道の撤去が始まり、昭和30年ごろには全廃したようである。
 @羽黒駅(はぐろえき)は、茨城県桜川市友部にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)水戸線の駅である。駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。駅舎とホームの間に跨線橋がある。簡易Suica改札機設置駅。業務委託駅(JR水戸鉄道サービス委託)である。
@羽黒駅前は石の町だけあって、石材のモニュメントが多く有る。
 A羽黒駅横の駐車場に成っている部分は石材の積み替えに使われていたのであろう。その奥に羽黒石材商工業協同組合の事務所がある。
B羽黒石材工業(株)この辺が羽黒軌道の終点辺りと思われる。
B羽黒石材工業(株)本社前の道が羽黒軌道跡と思われる。
C羽黒軌道跡と思われる場所と国道50号線がクロスする場所。
D羽黒軌道跡と思われる場所。
Eここまでは圃場整備により、羽黒軌道の痕跡は一切無かったが、ここから羽黒軌道跡と思われる場所。
E羽黒軌道跡と思われる場所。
F羽黒軌道跡?道路に転用されている。
G県道257号線から右へ入る細い道が羽黒軌道跡と思われる場所。
H羽黒軌道跡と思われる場所。
I羽黒軌道跡と思われる場所。
I羽黒軌道跡と思われる場所。
J堀石材工業の前辺りが羽黒軌道跡と思われる場所。
K羽黒軌道跡と思われる場所。
L羽黒軌道跡と思われる場所。
M羽黒軌道跡と思われる場所。
N羽黒軌道跡と思われる場所。
 N五大力堂は平安時代、平将門の乱の際、俵藤太藤原秀郷が霊像5体を安置して将門討伐を祈ったが、討伐後は将門の善心を知りその霊を慰めたと言われています。国を守護する大力のある金剛吼、龍王吼、無畏十力吼、雷電吼、無量力吼の五大力像はヒノキ材の寄木造りとなっています。また当時の恋情を歌ったかがいの歌も発見されています。五大力とは、国を守護する菩薩のことで、本像は、ヒノキ材一木造、内刳り、彫眼、体部衣文は簡素化されているが、裳の刻線が美しい。光背は中央座像のみ残っているが、持物等は五躯ともみられない。面相は、見開いた両眼、怒号するかにみいる口の開き(忿怒相)をあらわにし、両手を振り上げ、両足は山野を跋渉するような、力強い姿態はすばらしいい。像全体の作風は素朴で単調であるが、この種菩薩像は類が少なく貴重な文化財である。
O羽黒軌道跡と思われる場所。
P羽黒軌道跡と思われる場所。
Q羽黒軌道支線跡と思われる場所。
R羽黒軌道支線跡と思われる場所。
S羽黒軌道支線跡と思われる場所。
@羽黒軌道支線跡と思われる場所。
A羽黒軌道支線跡と思われる場所。(株)昭和石材社砕石場入口。
B羽黒軌道支線跡と思われる場所。(株)昭和石材社砕石場。
C羽黒軌道支線跡と思われる場所。(株)昭和石材社砕石場。
D羽黒軌道支線跡と思われる場所。(株)昭和石材社砕石場。この辺が終点か?
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出典:羽黒石材商工業協同組合
出典:羽黒石材工業(株)