更新日時 2011年01月14日

 日産車体工機・相模石油専用線。かつての平塚駅には東西に専用線が伸びていた。ひとつは、駅構内北側を西へ出てすぐに北進し、築堤で追分へ向かう、通称第二海軍火薬廠線で、廃止後は、市内の開発により築堤は失われ、駅から旧東海道付近のみが市道・錦町1号線として再利用されている。もう一方は、構内南側から分岐し、本線南側に沿って東進、相模川の川岸で急カーブを描いて南北に分岐する線形で、南側は久領堤(くりょうづつみ)の横須賀海軍工廠造機部平塚分工場へ、北側は天沼の日本国際航空工業へ向かっていた。これらは戦後も民間利用が続き、南側は東洋工機平塚工場、北側は日産車体湘南工場をはじめ、横浜ゴム平塚製造所や、相模石油平塚油槽所へ続く専用線が途中から分岐していた。その他、駅周辺のセントラル石油瓦斯系のセントラルガス湘南営業所や日本たばこ産業平塚工場へ続く専用線もあった。これらの路線は当駅の客貨分離により相模貨物駅分岐扱いとなったが、線形は変わらなかった。日産車体・横浜ゴム線は1975年ごろ、日本たばこ産業線とセントラルガス線は1985年ごろまで、馬入ふれあい公園の北にあった平塚油槽所へ続く相模石油線は、1996年9月まで使用されていた。油槽所跡地は現在相模石油経営の「F.ドリーム平塚」というカート場になっている。
E上記写真は「PHOTO:1980年代国鉄撮影日記」より転載。DE102001+タキx7+ヨ 1983年10月25日撮影。
 @平塚駅(ひらつかえき)は、神奈川県平塚市宝町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線の駅である。
 @平塚駅構造は島式ホーム2面4線を持つ地上駅。東口と西口の橋上駅舎を有している。東口が中央口にあたり、駅ビルは北口に「ラスカ」、南口に「エキスト」がある。西口は駅舎と改札口のみ。自動改札機・自動券売機・指定席券売機・みどりの窓口(東口・営業時間 6:30〜21:00)設置の直営駅である。
A東海道線須馬踏切より撮影。錆び付いている線路は廃線。
BJRの保線場になっている。
C日産車体工機・相模石油専用線の廃線跡。
D日産車体工機・相模石油専用線の廃線跡。
D旧国鉄の境界杭だが、通常は赤色が多く見かけるが、この色の違いはなぜだろう?
E日産車体工機・相模石油専用線の廃線跡。東海道線馬入川橋梁。
F日産車体工機・相模石油専用線の廃線跡。ディーゼル機関車の煙の跡と思われる。
G日産車体工機・相模石油専用線の廃線跡。日産車体工機と相模石油の分岐点。
H日産車体工機専用線の廃線跡。
I日産車体工機専用線の廃線跡。
J日産車体工機専用線の廃線跡。
K日産車体工機専用線の廃線跡。
L日産車体工機専用線の廃線跡。
M日産車体工機専用線の廃線跡。
 マウスを置くと1946年と1952年当時の航空写真と入れ替わります。1946年当時はまだ、日産車体工機専用線はまだ出来ていなかった。
N相模石油専用線の廃線跡。
O相模石油専用線の廃線跡。
 O馬入の渡し跡:江戸時代、幕府は大きな河川に橋を架けることを禁止しました。その為、相模川(馬入川)や多摩川(六郷川)は「渡し船」、酒匂川は「徒歩渡し」などで渡っていました。相模川には60以上の渡し場がありました。大動脈である東海道は「馬入の渡し」と呼ばれ、幕府が管理し、周辺村々の負担によって成り立っていました。当初、船は須賀村だけで用意していたようですが、元禄5年(1692年)に対岸の柳島村が加わりました。また、渡船賃の徴収などを扱う「川会所」の運営や船頭の確保は、馬入村など五か村が務めました。川会所や、船頭額などの情報を掲示する「川高札」は馬入村にありました。渡し船には「小舟」と「馬船」がありました。小舟は人を乗せる船で定員20人ほど、馬船は大型で馬が荷物を積んだまま横向きに乗ることができる船です。このほかに、将軍や大名用の「御召船」などが常時用意されていました。また、将軍の上洛など、特別の大通行があった場合、幕府は「船橋」を架けさせました。
P相模石油専用線の廃線跡。
Q相模石油専用線の廃線跡。
 Q上記写真は「PHOTO:1980年代国鉄撮影日記」より転載。相模石油引込線の終点 線路が3本に分かれている、右側は相模(馬入)川。1984年9月1日撮影。
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出典: 「PHOTO:1980年代国鉄撮影日記」
廃線探索 日産車体工機・相模石油専用線