更新日時 2011年02月13日

 鶴見臨港鉄道株式会社(つるみりんこうてつどう)は、かつて神奈川県にて鉄道事業・軌道事業を営んでいた会社である。現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)鶴見線にあたる鉄道路線を建設・運営していたが、1943年に戦時買収により国有化された。県営による埋立地として造成された末広町に、鶴見線を建設した私鉄である鶴見臨港鉄道が1935年(昭和10年)12月1日に貨物支線を延ばしたことにより、鶴見川口駅が開業した。当初は弁天橋駅から分岐していた貨物支線であった。しかし当時は周辺に工場の進出はなく、将来的な需要を見越しての建設であったと思われる。1943年(昭和18年)7月1日に鶴見臨港鉄道の鉄道事業が国有化され、鉄道省(国鉄)の鶴見線の駅となった。またこのときに、貨物支線の分岐点は浅野駅に変更された。その後時期は不明であるが、浅野駅からまっすぐ鶴見川口駅へ進入する配線であったのが、一旦鶴見小野駅付近まで進んで、そこで折り返して鶴見川口駅へ進入する形態に変更された。1943年(昭和18年)鶴見川口駅から分岐する初めての専用線として、東京瓦斯化学工業横浜工場への線が開通した。同社は1945年(昭和20年)に東京瓦斯と合併し東京瓦斯横浜工場となった。当初は缶入りでベンゾール・トルオールなどを出荷しており、1958年(昭和33年)頃からは系列会社の関東タール製品が所有するタンク車による輸送となった。1973年(昭和48年)からは、東京瓦斯所有のタム9600形液化天然ガス (LNG) 専用タンク車が、輸入されたLNGを当駅から日立市まで輸送するようになった。これは、輸入したLNGをタンカーから根岸に陸揚げし、そこからタンクローリーで当駅構内に運び込んで、さらにタンク車に中継する輸送であった。1975年(昭和50年)頃にはベンゼンなどの輸送は終了したが、LNG輸送は1986年(昭和61年)頃まで継続された。2番目の専用線として、鶴見曹達の工場への専用線が1956年(昭和31年)頃に開通した。この専用線では苛性ソーダや液化塩素などの化学薬品類を、自社所有の私有タンク車により受け入れ、あるいは出荷していた。また1965年(昭和40年)頃にはこの専用線の途中から分岐して東芝のタービン工場への専用線が使用されていたが、短期間で終了した。鶴見曹達専用線も廃止頃まで使用されていた。1971年(昭和46年)には旭硝子京浜工場への専用線が開通した。これは原料のドロマイトを東武鉄道会沢線の第三会沢駅からタキ21000形で搬入するものであった。1986年(昭和61年)11月1日に廃止となった。
廃止区間
浅野駅 (0.0km) - 鶴見川口駅 (2.4km)
@浅野駅からの貨物支線跡。 A弁天橋駅周辺の貨物支線廃線跡。
 A弁天橋駅(べんてんばしえき)は、神奈川県横浜市鶴見区弁天町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)鶴見線の駅である。1943年(昭和18年)7月1日 - 鶴見臨港鉄道線の国有化により国鉄鶴見線の駅となる。同時に貨物取扱廃止、貨物支線の起点を浅野駅に変更。
B旭ガラス踏切より撮影。木がある方が貨物支線の廃線跡。
C木がある方が貨物支線の廃線跡。 DJFEトンボみち。貨物支線の廃線跡。
D鶴見線、鶴見小野駅 - 弁天橋駅間の河口踏切より撮影。
 E鶴見小野駅西隣でスイッチバックを行い、弁天橋駅南隣を通った後、浅野駅西にある仕分線(操車場)へ進入する線形となっていた。
F鶴見小野駅からスイッチバックし鶴見川口支線へ南下し首都高と交差する部分。
G鶴見線から離れて、鶴見川口支線へ南下。
H日本鋼管専用鉄道と平面交差していた周辺。平面交差の痕跡は見当たらない。
I末広町のメイン道路の脇を廃線跡が通っていた。
I鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)旧国鉄の境界杭が残る。
J鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)旧国鉄の境界杭が残る。
K鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)旧国鉄の境界杭が残る。
L鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)の廃線跡。
M鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)の廃線跡。理化学研究所。
M鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)の廃線跡。理化学研究所。
N鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)の廃線跡。
O鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)の廃線跡。環境エネルギー館。
 O環境エネルギー館(かんきょうエネルギーかん)とは、東京ガスが運営する環境・エネルギー学習施設。神奈川県横浜市鶴見区にある。 インタープリターと呼ばれる職員が、展示開設やソフトプログラムの企画・運営を行っている。 同館インタープリターを経て、環境教育業界で活躍する人材が多いことで有名。1998年に開館。
O環境エネルギー館。建物の大きさの割には内容がいまいちですね。
O環境エネルギー館の屋上ビオトープより東京瓦斯化学工業横浜工場への廃線跡を見る。
P鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)の廃線跡。過去の航空写真を見るとこの辺で道路の反対側へ。
Q鶴見曹達入口付近。
Q鶴見曹達の駐車場の角度がビミョーにずれているのは、ここで引き込み線が入り込んでいた。
 R1965年(昭和40年)頃にはこの専用線の途中から分岐して東芝のタービン工場への専用線が使用されていたが、短期間で終了した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 鶴見臨港鉄道(鶴見川口支線)