更新日時 2011年11月18日

 須賀貨物線は北王子線の東京都北区の田端信号場駅と同区の北王子駅(貨物駅)を結ぶ日本貨物鉄道(JR貨物)の東北本線の貨物支線で、途中から須賀線が分岐していた。1927年(昭和2年)に北王子線・須賀線は開業した。王子 - 下十条(現在の北王子駅)間の王子線は、国鉄線として開業する以前から王子製紙の専用鉄道として存在していた。専用鉄道が敷設された時期は不詳だが、下十条駅にあった同社の十條工場は1910年(明治43年)5月に印刷局の工場として開業し、1916年(大正5年)7月に王子製紙に払い下げられた。須賀線(王子 - 須賀間)は、1926年(大正15年)9月に大日本人造肥料(現・日産化学工業)の専用鉄道として認可されたのを編入したものである。北王子線の本線だった須賀線は、日産化学工業王子工場(豊島5丁目にあった)へ向かう貨物線であり、火を使う蒸気機関車では危険ということで、AB10形という蓄電池機関車が走っていた。これは後に須賀線のみ電化されたときにEB10形電気機関車に改造されている。 須賀線からは、日産化学工業への専用鉄道の他、東京セロファン紙(現・東セロ)東京工場や、旭電化工業(現・ADEKA)尾久工場への専用線もあった。その後、北王子線・須賀線沿線の4工場はすべて閉鎖・移転した。倉庫として使用され続けた十條製紙(旧・王子製紙、現・日本製紙)十條工場へ向かう北王子線のみ残り、須賀線は廃止された。
@北王子線の第二宮江町踏切の先から須賀線は分岐していた。第二宮江町踏切より撮影。
@第二宮江町踏切を過ぎると右に緩やかにカーブし王子四丁目公園が須賀線の廃線跡だ。
A王子四丁目公園が終わり、東へ向かう道路が須賀線の廃線跡。
B須賀線の廃線跡。
 C須賀線の廃線跡は北本通り(きたほんどおり)と交差するのですが、かつては北本通りには都電の路線が走っていて、都電と平面交差していました。この都電は、三ノ輪橋、荒川車庫前、王子駅前、赤羽を結ぶ27系統でした。
D須賀線の廃線跡。
E須賀線の廃線跡。須賀線は現在の東京成徳大学(旧陸軍火薬製造工場跡地)方向へ分岐していた。
F須賀線の廃線跡。
G須賀線の廃線跡。
H須賀線の廃線跡。
I須賀線の廃線跡。
J須賀線の廃線跡。
K日産化学の工場が有った場所あたりの隅田川。
 府中市郷土の森公園に保存しているEB10形電気機関車は1931年(昭和6年)に日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が改造により製作した直流電気機関車である。1927年(昭和2年)に2両製造された国鉄唯一の蓄電池機関車であるAB10形を改造した。AB10形は1927年(昭和2年)に2両製造された蓄電池機関車である。同年に東北本線の貨物支線(通称、須賀線)として開業した王子 - 須賀間2.5km、および王子 - 下十条(現在の北王子)間1.2kmで使用するために製造された。須賀線は全線が東京市王子区(現在の東京都北区)にあり、須賀駅で大日本人造肥料(後の日産化学工業)などの側線と接続していたが、途中には陸軍の火薬製造工場があり、その側線も接続していた。蓄電池機関車を導入した理由としては、架線と集電装置の間に生じたスパークによる引火の危険性を考慮したことや、線路が王子電気軌道(のちの東京都電)と平面交差していたためといわれるが、結局、須賀線は1931年(昭和6年)には電化され、AB10形も電気機関車に改造された。製造当時は10形(10・11)と称したが、翌1928年(昭和3年)に実施された車両称号規程の改正により形式がAB10形となり、10→AB101、11→AB102に改番されている。製造は機械部分を汽車製造、電気部分を芝浦製作所が担当している。蓄電池は湯浅製作所製造のものを使用した。また充電のため田端機関区構内に安川電機製の電動発電機を設置している。AB10形は1931年、須賀線の電化にともない、芝浦製作所で架線から集電する電気機関車に改造され、形式がEB10形に改められた。蓄電池の代わりに抵抗器などの機器を搭載して機械室部上面に通風口を新設し、運転室屋根上にはパンタグラフを設置した。これにより前照灯は庇の下に移設している。制御方式は主電動機2個永久直列接続、抵抗制御のみとなった。
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廃線探索 須賀貨物線