更新日時 2012年10月06日

廃線探索 横川アプトの道
 横川アプトの道は、群馬県安中市にある鉄道の廃線跡を利用した遊歩道である。1963年(昭和38年)に廃止された旧国鉄信越線の横川駅 - 軽井沢駅間の旧線跡において、1996年(平成8年)より横川駅 - 碓氷第三橋梁(通称・めがね橋)間の全長4.7kmの廃線跡に遊歩道としての整備工事が行われ、2001年(平成13年)に完成した。2008年(平成20年)には、碓氷第三橋梁 - 旧熊ノ平信号場間(1.2km)の延長工事に着手。当初は碓氷第三橋梁の横川方の第五随道内の照明用のため、旧国道18号線沿いに電柱を立てる予定だったが、随道から軽井沢方面は上信越高原国立公園内となっているため国から許可が下りず、碓氷第三橋梁から電線を敷設することになった。そのため工事が一時休止し、予定の2012年(平成24年)4月完成が危ぶまれたが、無事に横川駅 - 旧熊ノ平信号場間の全長5.9kmが2012年(平成24年)3月末に完成し開通した。旧熊ノ平信号場からは階段があり、旧国道18号線につながっている。また、付近には普通自動車22台・大型車4台の駐車場も設置されている。横川駅から峠の湯までは旧上り本線をアスファルトで舗装しているが、急勾配のレールの重さによるずれにより、所々にアスファルトにひびが入っている。
信越本線(廃止区間)
横川駅 - (丸山信号場) - (熊ノ平信号場)
過去の探索履歴リンク
2008年05月吉日探索の旧信越線軽井沢駅−横川駅間新線下り線-1
2008年05月吉日探索の旧信越線旧線 めがね橋−熊ノ平間(遊歩道整備前)
2008年06月吉日探索の旧信越線軽井沢駅−横川駅間新線上り線
2009年04月吉日探索の旧信越線軽井沢駅−横川駅間新線下り線-2
2009年04月吉日探索の駅からハイキング 横川駅−めがね橋間(アプトの道)
2009年12月吉日探索の旧信越線旧線 横川駅−めがね橋間(アプトの道)
2011年04月吉日探索の旧信越線旧線 めがね橋−熊ノ平間(アプトの道)(遊歩道整備中)
2012年08月吉日探索の旧信越線旧線 横川駅−熊ノ平間(アプトの道)
2015年07月吉日探索の旧信越線旧線 坂城駅 - 戸倉駅間
アプト式蒸気機関車。 碓氷線の電気機関車。
 @横川駅(よこかわえき)は、群馬県安中市松井田町横川にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。長野新幹線が開業した1997年10月以降、信越本線の高崎方面からの終着駅となっている。1 - 3番線の線路は構内のはずれにコンクリート製の車止めが設置され途切れているが、かつては碓氷峠を越えて軽井沢駅へ複線電化の線路がつながっており、碓氷峠越えの拠点となった駅であった。碓氷峠には66.7‰という国鉄・JRで最も急な勾配があり、列車が上り・下りするためには補機であるEF63を連結・解結する必要があったため、全ての列車が長時間停車した。その時間を利用して乗客が購入していたのが「峠の釜めし」で、製造販売している「おぎのや」は駅前にある。
 @横川駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、中線を1線持つ構造である。以前は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線が中線を挟む構造であり、側線も多数ある広大な構内だったが、横川 - 軽井沢間の廃止後にほとんどが撤去された。また、構内には碓氷峠越えのための補助機関車の拠点として横川運転区が置かれていたがこちらも廃止され、現在は碓氷峠鉄道文化むらとなっている(夜間滞泊運用はある)。安中駅が管理する直営駅である。駅舎内部にはタッチパネル式自動券売機が1台設置されている。Suica対応自動改札機(入出場兼用計2通路)の設置駅である。駅舎は木造の古くからのものである。2011年の群馬デステネーションキャンペーンに合わせて、駅舎のリニューアルを施行すると同時にホームの軽井沢側に渡り通路を作り、跨線橋を使わずに移動が出来るようになった。
@アプトのラックギアが排水溝の蓋に転用されている。EF63-3電気機関車の動輪。
A旧国鉄信越線の横川駅 - 丸山信号所間の廃線跡。碓氷峠鉄道文化村へ続くレール。
B碓氷峠鉄道文化村の保存車両。
B旧国鉄信越線の横川駅 - 丸山信号場間の廃線跡。ラックギアが排水溝の蓋に転用されている。
C旧国鉄信越線の横川駅 - 丸山信号場間の下り線廃線跡。
D旧国鉄信越線の横川駅 - 丸山信号場間の下り線廃線跡。
E旧国鉄信越線の横川駅 - 丸山信号場間の上り線廃線跡。
F旧国鉄信越線の横川駅 - 丸山信号場間の上り線廃線跡。
 G丸山変電所:明治45年、横川から軽井沢間の電化に伴い建設された施設で、横川側の建物は蓄電室、軽井沢側が機械室の2棟の建物になっています。昭和38年の新線開通とともに役目を終えましたが、平成6年に復元工事が実施されました。蓄電池室では、機関車が峠にかかる時に必要な電力を補うために312個の蓄電池が並んでいました。充電中は室内に水素と有害物質の硫酸雲霧が大量発生する為、窓・引き戸などは通風に適するよう工夫されていました。機械室では発電所から送られてきた交流電気を直流電気に変えて、蓄電池室内の蓄電池と機関車へ送電しました。
旧横川発電所。 旧丸山変電所。
 G丸山信号場(まるやましんごうじょう)は、かつて群馬県安中市横川に存在した、日本国有鉄道(国鉄)信越本線の信号場である。当信号場より熊ノ平駅を経て矢ヶ崎信号場に至る区間は、かつて国鉄・JRを通じての最急勾配区間である66.7‰の勾配区間であり、1893年(明治26年)4月1日より1963年(昭和38年)9月30日まで国鉄唯一のアプト式鉄道にて運行されていた。当信号場は66.7‰の勾配区間の起点に位置しており、ラックレールのエントランス(開始地点)が設けられ、横川 - 軽井沢間の電化後には集電用の第三軌条が設けられた。また、熊ノ平駅までの単線区間の閉塞境界としての役割も担っていた。1963年(昭和38年)7月15日に同区間をより直線的に結ぶ新線が開通し、1966年(昭和41年)7月2日に廃止された。
H旧国鉄信越線の丸山信号場 - 熊ノ平信号場間の上り線廃線跡。
I旧国鉄信越線の丸山信号場 - 熊ノ平信号場間の上り線廃線跡。
J旧国鉄信越線の丸山信号場 - 熊ノ平信号場間の上り線廃線跡。霧積川橋梁。
K旧国鉄信越線の丸山信号場 - 熊ノ平信号場間の上り線廃線跡。
L旧国鉄信越線の丸山信号場 - 熊ノ平信号場間の上り線廃線跡。
L上り線のコンクリート橋梁。 L下り線の王子久保橋梁。
L旧国鉄信越線の丸山信号場 - 熊ノ平信号場間の下り線廃線跡。
 L国鉄EF63形電気機関車:EF63-22:個人所有で「碓氷峠の森公園交流館 峠の湯」に静態保存。1974年・1976年に製造されたグループ。 ナンバープレートをブロック式に、尾灯を外ハメ式に変更。水切り形状も再度変更された。気動車用ジャンパ連結器は未装備である。24・25は、1975年に5・9が脱線大破事故で廃車となったため、補充代替として1976年に急遽製造された。22・23の主電動機送風機は20と同じ試作型送風機、24・25は21と同じ音域の低い送風機が装備されている。
 L峠の湯駅:トロッコ列車「シェルパくん」は、旧碓氷線の下り線を使って「鉄道文化むら」と碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」(約2.6km)を結んでいます。
Lここから旧国鉄信越線旧線のアプトの道。
M旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。跨線橋。
N旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第1号トンネル(横川側)
N旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第1号トンネル(軽井沢側)
O旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。碓氷第2橋梁。
P旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第2号トンネル(横川側)
P旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第2号トンネル(軽井沢側)
Q旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。
Q旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。
R旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。跨線橋。
S旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第3号トンネル(横川側)
S旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第3号トンネル(軽井沢側)
@旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第4号トンネル(横川側)
@旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第4号トンネル(軽井沢側)
A旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第5号トンネル(横川側)
B旧国鉄信越線旧線(アプトの道)峠の湯−めがね橋間の廃線跡。第5号トンネル(軽井沢側)
B旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋(第三橋梁)廃線跡。
B旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第6号トンネル(横川側)
C旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第6号トンネル内。
D旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第6号トンネル(軽井沢側)
D旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。碓氷第四橋梁。
D旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。碓氷第五橋梁。
D旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第7号トンネル(横川側)
E旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第7号トンネル(軽井沢側)
E旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第8号トンネル(横川側)
F旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第8号トンネル(軽井沢側)
F旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。碓氷第六橋梁。
F旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第9号トンネル(横川側)
G旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第9号トンネル(軽井沢側)
G旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第11カルバート。
G旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第10号トンネル(横川側)
H旧国鉄信越線旧線(アプトの道)めがね橋−熊ノ平信号場間の廃線跡。第10号トンネル(軽井沢側)
H熊ノ平駅の新線のトンネル。 H第10号トンネルと突っ込み線のトンネル。
 Hこの殉難碑は昭和25年6月9日早朝突如として山崩れが起こり一瞬にして埋め去られた職員と家族50人のみたまを末長くまつるため、全国の国鉄職員から寄せられた浄財で設立されたものであります。設立当時は線路の反対側にありましたので、参拝するためには線路を横断しなければならず危険かつ不便なので、昭和43年12月現在地に移設しました。しかしながら現在のみたまは雨雪にさらされ誠に忍びない状態にありますので、今回ささやかながら霊堂を建立して、みたまをおなぐさめ申し上げることにした次第であります。高崎鉄道管理局 (熊ノ平駅の看板より)
 I熊ノ平駅(くまのたいらえき)は、かつて群馬県碓氷郡松井田町(現・安中市)にあった、日本国有鉄道(国鉄)信越本線の駅である。駅から信号場に降格したという歴史を持つ。現在もトンネルやホームなどの遺構が残っている。信号場時代は熊ノ平信号場(くまのたいらしんごうじょう)として、国鉄と国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)が管轄していた。
 I熊ノ平駅は相対式ホーム2面2線(信号場降格時にホームは使用停止)の地上駅。大正時代には上下線の間に通過線が敷設されたが、第二次世界大戦後に撤去されている。トンネルに挟まれ有効長を十分に確保できないため、アプト式鉄道時代の列車は突込線によって一旦トンネルに突っ込んでから本線脇の引上線に後退して停車する、一種のスイッチバック駅だった。信号場としての末期は複線だったため、閉塞境界としての機能だった。
 I熊ノ平駅は1950年(昭和25年)6月は碓氷峠周辺で降雨が続き、上旬だけで軽井沢測候所で150ミリメートルもの雨量が観測された。そのような中、6月8日の午後8時半頃に熊ノ平駅構内の第10号トンネルで約3,000立方メートルの土砂が崩壊して本線・突込線が埋没した。この時点で人的被害はなかったが、含水量が多いことなどから作業が難航した上、翌6月9日午前6時6分頃にその上方で7,000立方メートルほどの崩落が発生し、作業中の人員や宿舎4棟・8戸が埋まった。その後、手作業での救出作業が行なわれたが、6月11日午後11時半頃に3回目、6月12日午前7時24分に4回目の崩落がそれぞれ起きた。最終的にこの事故による死者は50名、重軽傷者は21名に上り、線路は延長70メートルにわたって幅60メートル、深さ2メートルの土砂が堆積した。遺体は6月22日までに全てが回収され、信越本線は6月20日に開通、6月23日に完全復旧した。一周忌にあたる1951年(昭和26年)6月9日におよび同職員寄付で「熊ノ平殉難碑」が建立された。
J熊ノ平駅構内。
J熊ノ平駅から国道に降りる階段が整備された。
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