更新日時 2014年12月05日

 第1海軍燃料廠専用線:第1海軍燃料廠は、かつて神奈川県鎌倉郡本郷村にあった大日本帝国海軍の工廠(海軍工廠)である。海軍で使用する燃料・潤滑油等、石油製品関係の研究・実験を行う施設として、1938年(昭和13年)に建設された。建設決定は1937年(昭和12年)であり、短期間に建設された。用地買収は半強制的に行われたといわれている。海軍の重要拠点である横須賀港に近く、海軍の要請により建設された横須賀線があったことからこの地が選ばれた。燃料廠の周辺には、大船海軍共済組合病院(現在の横浜栄共済病院)をはじめとする関連施設が設置され、燃料廠から大船駅にかけて専用鉄道や、鉄道に並行する道路や水道、電力なども整備された。1950年(昭和25年)12月25日大船PX(旧第1海軍燃料廠)専用線使用開始。
第1海軍燃料廠専用線
大船駅 - 第1海軍燃料廠駅
 @大船駅(おおふなえき)は、神奈川県鎌倉市大船一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・湘南モノレールの駅である。JRホームの北半分及び笠間口は横浜市栄区笠間一丁目に位置する。鎌倉市と横浜市の境界上に位置し、両市の中心市街地とは離れているものの、鉄道を中心とした交通の要衝となっており、東口側を中心に駅前市街地が形成されている。
 @大船駅構造は島式ホーム5面10線を有する地上駅。駅の藤沢寄りと戸塚寄りにそれぞれ橋上駅舎が置かれ、改札内の通路で結ばれている。2つの駅舎の間を流れる砂押川に市境があり、駅舎の所在地は藤沢寄りが鎌倉市、戸塚寄りが横浜市栄区となるが、駅長室が従来からの鎌倉市側の駅舎に存在するために鎌倉市の駅となっており、特定都区市内の「横浜市内」には含まれない。
A第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。小川に橋台が残る。唯一の遺構。
A第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。小川に橋台が残る。唯一の遺構。
B第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。道路北側の1本入った場所が廃線跡。
C第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。道路北側の1本入った場所が廃線跡。
D第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。ここから先廃線跡は道路と平行。
E第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。道路と建物の間が廃線跡。
F第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。道路と建物の間が廃線跡。
G第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。歩道部分が廃線跡。
H第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。歩道部分が廃線跡。
I第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。歩道部分が廃線跡。
J第1海軍燃料廠専用線の大船駅 - 第1海軍燃料廠駅間の廃線跡。この先は警察学校内。
K第1海軍燃料廠専用線の第1海軍燃料廠跡。第1海軍燃料廠敷地内の支線跡。
L第1海軍燃料廠専用線の第1海軍燃料廠跡。。第1海軍燃料廠敷地内の支線跡。
M第1海軍燃料廠専用線の第1海軍燃料廠跡。。第1海軍燃料廠敷地内の支線跡。
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廃線探索 第1海軍燃料廠専用線