小樽市総合博物館(旧手宮駅廃線跡)

更新日時 2009年12月31日

 小樽市総合博物館(おたるしそうごうはくぶつかん)は、北海道小樽市手宮1丁目にある北海道の歴史や自然、鉄道をはじめとした交通、科学などに関する展示を行う博物館である。2007年(平成19年)7月14日、色内(いろない)にあった小樽市博物館(おたるしはくぶつかん)とと緑にあった小樽市青少年科学技術館(2006年12月閉館)の機能を統合し、手宮駅にあった第三セクター運営の小樽交通記念館(おたるこうつうきねんかん。2006年3月閉館)の施設を活用する形で発足したもので、旧小樽交通記念館の施設に事務機能を集約し、本館とした。なお、旧・小樽市博物館は運河館と改称された。小樽市総合博物館は、1956年(昭和31年)、色内にある旧日本郵船小樽支店を利用し設立された博物館である。設立当初は美術を含む人文・自然を対象とした博物館であった。その後1963年(昭和38年)に、日本の鉄道開業85周年を記念して当時の日本国有鉄道が設置した北海道鉄道記念館を分館として運営を行った。その後、鉄道記念館は1992年(平成4年)11月から一時閉館し、小樽市を事業主体として改装のうえ、1996年(平成8年)に展示範囲を海運や陸運にまで拡大して総合的な交通博物館として再オープン、小樽交通記念館に改称した。第三セクターの株式会社小樽交通記念館により運営されていたが、利用者の減少などのため2006年(平成18年)3月で閉館した。小樽市博物館は2007年(平成19年)7月14日に、小樽市青少年科学技術館との機能統合にともない旧小樽交通記念館跡地に移転のうえ小樽市総合博物館と改称しオープンした。同年9月にはツール・ド・北海道2007の出発点となったほか、この年より小樽クラシックカー博覧会 in 小樽市総合博物館が開催されている。施設は、北海道の鉄道発祥の地である旧手宮線・手宮駅の構内敷地5.8haを利用して設置されており、鉄道・科学・歴史館、蒸気機関車記念館、鉄道車輌保存館の3つの屋内施設の他、屋外展示場があり貴重な鉄道車両などが保存展示されている。現存する日本最古の機関庫で鉄道記念物である鉄道車輌保存館をはじめとして、道内に存在する準鉄道記念物8件のうち12件が、当館の所蔵である。
小樽市総合博物館 手宮口ゲート
小樽市総合博物館敷地図 転車台
転車台 転車台
手宮口からの風景 C126機関車
冬期間(11月5日〜4月28日)は展示車両の内部は見学が出来ず、展示車両もカバーが掛けられている。
小樽市総合博物館敷地内 北海道鐵道開通起点
DD1617 敷地内より手宮口方面を見る
機関車庫1号 冬期期間は展示車両はカバーが・・・
 機関車庫1号左側、右側の足場が掛かっているのが、機関車庫3号。機関車庫3号は明治18年(1885年)竣工のレンガ造り建築。国内に現存する機関車この中では最古です。隣接する機関車庫1号、危険品庫、貯水槽、擁壁、転車台とともに国の重要文化財に指定されています。
ラッセル車
ラッセル車 蒸気機関車資料館 開いてない・・・
鉄道・科学・歴史館 明治13年から明治22年の間にアメリカで製造し輸入された蒸気機関車8輌のうち名称のついた6輌の製造銘板
しずか号 信広号
光圀号 比羅夫号
弁慶号 義経号
一等客車 い1号 しづか号
 開拓使号:1880年(明治13年)、第1号機関車「義経号」、第2号「弁慶号」とともにアメリカから輸入された最上等客車で、当時は「1号客車」と呼ばれていました。内部には飲水器、水洗トイレ、ストーブ、ランプなどが備えられ、中央の両側には鏡がかけられていました。おもに開拓使や明治政府の高官、皇族などの専用車両として使用されました。
 現在、埼玉県の鉄道博物館に保存されています。  鉄道博物館リンク
 手宮高架桟橋:北海道の石炭を本州各地に輸送するための船積み作業は人力に頼っていました。それを能率的に進めるため、新桟橋の建設が検討され、1911年(明治44年)に石炭を満載した石炭車を高い桟橋上まで運び、そこから下に停泊する船舶に直接落とし込む、画期的な桟橋が完成しました。
 長さ313m、高さ20m、幅23mの壮大な桟橋は、使命を終える1944年(昭和19年)まで、手宮のシンボルとして親しまれました。
 幌内鉄道の開業:1880年(明治13年)11月28日、幌内鉄道(手宮〜幌内)のうち、手宮〜札幌間35.9Kmの開通運転式が札幌で行われました。そして1882年(明治15年)11月13日に手宮〜幌内間91.2Kmが全通し、翌1883年9月17日に札幌において盛大な幌内鉄道開業式を行いました。
 開業当時の停車場は手宮・開運町・銭函・札幌・江別・幌内太・幌内で、このほかに数カ所のフラッグステーションがありました。
 試運転:1880年(明治13年)10月24日に手宮から熊碓トンネルまで4.8Kmが建設されると、「弁慶号」によって試運転が行われました。これはその時入り船陸橋の上に停車した姿の写真をもとに再現しました。
 橋の上には日米の国旗と紅白の幕で飾られた「弁慶号」とクロフォードなど鉄道建設に関わった人々の姿が見えます。一方生まれて初めて蒸気機関車を見る周辺の人々は、驚きと不安をもちながら見上げています。
北海道開拓史当時の鉄道敷設の模型
北海道開拓史当時の鉄道敷設の模型
北海道開拓史当時の鉄道敷設の模型 北海道開拓史当時の鉄道敷設の写真
 手宮駅構内:1880年(明治13年)、トベイ号が鉄道資材をアメリカより運んできて以来、手宮の海岸には鉄道やその建設に関する車庫、倉庫などが次々に建てられました。そして、幌内からの石炭輸送だけにとどまらず開拓物資の輸送にも大きな力を発揮し、貴重な輸送基地として発展しました。このパノラマ模型は1890年代の手宮駅構内を再現した物です。
手宮駅構内パノラマ模型
手宮駅構内パノラマ模型
機関車の銘板  北海道の軽便鉄道:軽便鉄道とは、線路幅が日本の標準幅(1067mm)より狭い鉄道で、森林鉄道や北海道特有の殖民軌道(戦後は簡易軌道)を含めた小型の鉄道をいいます。例外はありますが、比較的短距離路線で地域に密着した鉄道でした。特に殖民軌道は、北海道開拓に大きく貢献しました。
恵庭森林鉄道(インクライン) 恵庭森林鉄道廃線探索リンク
開拓史の鉄道風景 簡易軌道標茶線
岩内馬車鉄道 上川馬車鉄道
士別軌道(蒸気機関車) 開拓史の鉄道風景
 機関庫から転車台に出てくる模型・・・実際にボタンを押すと各機関車が出てきます。
 北海道の蒸気機関車:1880年(明治13年)、「義経号」・「弁慶号」から始まる蒸気機関車の歴史は、1976年(昭和51年)に一線をを退くまで、北海道の歴史そのものでした。「義経号」「弁慶号」「しずか号」などの7100形や北海道炭礦鉄道の主力の7200形、9000形などはアメリカ製、北海道鉄道の7800形はイギリス製でした。鉄道の国有化以降は国産の9600形やD51形、C62形が主力となり活躍することとなりました。
美唄鉄道 簡易軌道
北海道拓殖鉄道 簡易軌道
殖民軌道 森林鉄道
寿都鉄道 森林鉄道
夕張鉄道 十勝鉄道
定山渓鉄道 北海道の私鉄(道東部)
北海道の私鉄(道北部) 北海道の私鉄(道西部)
 鉄道標識:鉄道標識(てつどうひょうしき)とは、列車に対して運転条件などを示すものの一つである。日本の「鉄道に関する技術上の基準を定める省令(以下技術基準省令とする)」では、信号・合図・標識に分類している。この省令において標識は、係員に対して、物の位置、方向、条件等を表示するものと定義している。また、この規定には当てはまらないため厳密には標識ではないが、運転上の目標や線路に関する情報が書かれたものを標ということがある。
標識・標の様式・形状は各鉄道事業者により異なる。日本全国の標識すべてを紹介することは無理があるので、本項では特記なければ鉄道に関する技術上の基準を定める省令の解釈基準(以下技術基準省令の解釈基準とする)に定められた標識を中心に日本の国鉄・JR各社で使用されているものを中心に記述する。大手私鉄を中心に比較的よく見られる標識も解説する。系列関係にある私鉄同士(京成電鉄と京成グループ各社、阪急電鉄と能勢電鉄など)、あるいは系列でなくとも地理的に近い私鉄同士(関東鉄道と茨城交通、近畿日本鉄道と三岐鉄道など)では、同じデザインの標識を使用しているケースが見られる。
この項目で特に断りなく白色灯と書いてある場合は、厳密な白ではなく電球色を表している。
鉄道標識  勾配標:勾配標は線路の縦断勾配を示すものであり、縦断勾配の変化点に設けられる。勾配の大きさは千分率(パーミル、記号‰)をもって示し、水平に1000メートル進んだときの高低差(メートル)に相当する。小数点以下の数字は、整数の部分より一回り小さく表記される。勾配が0、すなわち水平のときは、水平を意味するLevelの頭文字Lを表記する。基本的に複線の場合は下り線の進行方向左側、単線の場合は下り列車の進行方向左側の線路際に設置されるが、複線であっても上下線が離れている場合などは上り線の進行方向右側の線路際にも設置される場合がある。
裏の黒い腕木がここまでの勾配、柱が現在地点、手前の腕木がここからの勾配を表している。例えば、裏の腕木が水平で手前の腕木が下向きならここまで水平・ここから下り勾配であり、2本の腕木が共に上向きならここまで下り勾配・ここから上り勾配である。
 速度制限標識:速度制限標識は、曲線や設備の都合上、列車の速度を制限しなければならない箇所を示す標識である。列車はこの標識がある地点までに表示された制限速度以下に速度を落とさなければならない。  曲線標:曲線標は平面線形(線路の平面的な形状)に関する情報を示しており、円曲線(円弧)と緩和曲線の境界部の線路脇に設置される。具体的には表に円曲線の半径、裏にカント量、スラック量、円曲線の長さ、緩和曲線の長さが書かれている。なおカント量はC(Cantの略)、スラック量はS(Slackの略)、円曲線の長さはCCL(Circle Curve Lengthの略)、緩和曲線の長さはTCL(Transition Curve Lengthの略)とそれぞれ表現されている。
 距離標:その路線の起点からの距離を示す。甲号・乙号・丙号の3種があり、甲号と乙号には大きさや形状等に規定があるが、丙号に大きさ等の規定は無い。基本的に複線の場合は下り線の進行方向左側、単線の場合は下り列車の進行方向左側の線路際に設置されるが、複線であっても上下線が離れている場合などは上り線の進行方向右側の線路際にも設置される場合がある。また複線の場合、青で縁取られた○の中に甲号に当たるものには距離の数字が、乙号に当たるものには0.5と書かれたものが、上下線の中央に立てられていることもある。この場合、丙号に当たるものは青で縁取られた□の中に1〜4、6〜9の数字が1つずつ書かれており、同じく上下線の中央に立てられている。
甲号距離標
1km毎に設置される。キロポストとも呼ばれる。1.2m程度の白い柱で、側面に黒い文字で距離の数字が縦に並べて書かれている。0km地点の距離標は独特の形状のものもある。
乙号距離標
0.5km単位の位置に設置される。0.9m程度の白い柱で、側面に「1/2」と大きく、柱の下方に小さくkm単位の距離の数字が書かれている。
丙号距離標
0.1km単位の位置に設置される。大きさや形状等に規定が無いため、会社や支社により形状は異なる。一般的に100mの位の数字が大きく書かれ、km単位の距離の数字は小さく書かれているか省略されている。
 車輌接触限界表:ここを超えるとほかの車両と接触する場所であることを示す。線路の分岐箇所や交差箇所で、ほかの車両と接触する箇所に設置される。一般的には甲号が設置されているが、降雪地方には乙号が設置されている。「クリアランスポイント」とも呼ぶ。
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