更新日時 2016年01月11日
交通科学博物館は、かつて大阪府大阪市港区波除3丁目11番10号にあった交通・科学に関する博物館である。平成26年4月6日閉館。大阪環状線弁天町駅の高架下にあり、西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有し、公益財団法人交通文化振興財団が運営していた。昭和30年代初頭、日本国内の交通関係の博物館は東京の神田須田町にあった交通博物館が唯一のものであった。博物館を所有していた日本国有鉄道は1957年頃、大阪地区に交通博物館の分館を設置することを検討したが、その後、交通博物館の分館としてではなく、交通博物館とはコンセプトの異なる現代・未来の交通に関する展示を中心とした博物館として、設置することになった。大阪環状線全通記念事業として開館が具体化し、弁天町駅隣に「交通科学館」として設置されることになり、1961年10月14日(鉄道記念日〈現・鉄道の日〉)の開館に向けて準備が進められた。しかし、同年9月の第2室戸台風により工事が遅れて開館は延期、翌1962年1月21日に開館した。当初は「科学館」の名称であったが、1964年3月に博物館法29条に定める「博物館相当施設」の指定を受けている。上記のような経緯から、開館当初は鉄道に関する歴史的な展示は抑えられ、実物の鉄道車両の保存展示も蒸気機関車1両と客車3両のみであった。その後は鉄道車両の他に歴史的な展示物も順次追加されており、2006年に交通博物館が閉館した後は、後継となった鉄道博物館(さいたま市)がその名の通り鉄道分野に特化した展示構成となったことから、鉄道以外の交通分野に関する一部の収蔵品が当館に移動している。開館当初の運営は国鉄から財団法人日本交通公社に委託されていたが、1970年に国鉄の外郭団体として発足した交通文化振興財団に変更された。国鉄分割民営化後、財団はJR西日本と東日本旅客鉄道(JR東日本)が共同で引き継いだが、交通博物館閉館後の2009年8月1日付で本部を当館内に移し、JR西日本が単独で管掌する関連組織として再出発した。しかし、施設・設備の老朽化や手狭になったこともあり、2016年をめどに、京都市下京区にある梅小路蒸気機関車館を拡張する形で新たな鉄道博物館を建設し(2013年12月に「京都鉄道博物館」に名称決定)、2014年4月6日に交通科学博物館を閉館することになった。同館の収蔵資料は新博物館に移設するが、閉館後の今後の利用法については、「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として施設の開発が進められる予定となっている。2015年になって、展示車両の一部(D51形蒸気機関車、DD13形ディーゼル機関車、DF50形ディーゼル機関車)については、京都鉄道博物館ではなく、岡山県津山市の津山扇形機関車庫に移設されることが発表された。 | |
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交通科学博物館屋外展示場。 | 交通科学博物館屋内展示場。 |
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リニアモーターカー・マグレブは磁気の力で浮いて走る、騒音や振動の少ない超高速鉄道です。当館に展示してある「ML500」は1979(昭和54)年に宮崎浮上鉄道実験センターで時速517kmを記録し、未来の超高速鉄道の実用化にめどを付けました。その後、「MLU001」がつくられ、有人走行実験が行われるなど、現在でも実用化にむけて研究が続けられています。 | |
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リニアモーターカーマグレブML500。 | リニアモーターカーマグレブML300。 |
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MLU001。 | リニアモーターカーマグレブML500。 |
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リニアモーターカーの心臓(ML-500用)超電導磁石。 | |
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0系新幹線電車:1964(昭和39)年に世界の鉄道界に衝撃を与えた東海道新幹線が開業し、0系新幹線電車が登場しました。当館にはこの新幹線電車の第1号車4両(先頭車2両・ビュフェ車・グリーン車)を保存展示しています。2007(平成19)年に機械遺産に認定され、2008(平成20)年には鉄道記念物に指定されました。 | |
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0系新幹線電車:内部はシアターに成っている。 | |
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こだま先頭車両及び運転台。 | |
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1800形蒸気機関車:1880(明治13)年に開通した京都−大津間の勾配区間用にイギリスから輸入した機関車です。当時の汽車監察方R.F.トレビシックの設計による機関車で、長浜−敦賀・大垣間でも使用されました。 | |
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客車。 | |
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大阪環状線で使われていた電車。 | サンフランシスコ・ケーブルカー:坂の多いサンフランシスコの市内交通として活躍したケーブルカーです。1959(昭和34)年にサンフランシスコ市より大阪市へ親善のために贈られた車両で、1962(昭和37)年より大阪市から当館へ寄託展示されています。 |
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EF52形電気機関車:1928(昭和3)年に当時の鉄道省と4つの民間会社の協力で誕生した最初の国産大型電気機関車で、東海道線の急行列車などに使われました。 | |
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DD13形ディーゼル機関車:1958(昭和33)年に登場し、10年間で416両もつくられました。主に操車場での入れ換え作業に使われており、前にも後ろにも走れるように、運転席が横向きに付けられているのが特徴的です。この車両の登場で、都市部の操車場の煙公害が緩和されました。 | |
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DF50形ディーゼル機関車:1957(昭和32)年、蒸気機関車の廃止を進めるため、エンジンなどに外国の技術を取り入れて作られた最初の量産形ディーゼル機関車です。DF50形は、エンジンで発電機を回し、モーターで走る電気式ディーゼルカーです。 | |
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DD54形ディーゼル機関車は1971(昭和46)年につくられた中型機関車で、主に山陰、福知山線で活躍しました。当時、すでに大型・小型機関車ともに、国産化していましたが、さらに外国の良い技術を取り入れようという試みでつくられ、他の機関車と異なる技術が多く使用されました。 | |
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DD54形ディーゼル機関車:運転台及び機関。 | |
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7100形蒸気機関車「義経号」北海道で最初に走った蒸気機関車で、1880(明治13)年にアメリカから輸入されました。1952(昭和27)年に鷹取工場で動態保存機として復元され、1991(平成3)年より当館で保存展示されています。動態保存機のため、通常は屋外展示場の専用車庫で展示しています。 | |
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7100形蒸気機関車「義経号」 | |
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屋外展示場:旧京都駅1番ホーム上屋。この上屋は1914年(大正3年)に完成した二代目京都駅舎の一番ホーム上屋の鉄骨を一部使用して建設を行った。旧京都駅二代目駅舎は、1950年(昭和25年)に全焼したが、上屋の鉄骨は焼け残り、1994年(平成6年)に現在の駅舎に建て替えられるまで約80年間使用された。復元にあたっては、旧京都駅ホーム上屋のトラス構造部を活用し、当時の雰囲気を可能な限り再現することに務めたが、建物の強度を保つため柱などは新規の物と取り替えた。 | |
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キハ81形ディーゼルカー:1960(昭和35)年に東北線の特急「はつかり」としてデビューした、日本最初の特急ディーゼル動車。これにより全国特急網が形成された記念すべき車両です。 | C62形蒸気機関車:D52形蒸気機関車のボイラーなどを活用した超大型の旅客用機関車で、1948年から1949(昭和23〜24)年までに49両がつくられました。1950(昭和25)年の特急「つばめ」から1967(昭和25〜42)年の特急「ゆうづる」まで17年間にわたり特急列車を牽引しました。 |
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マロネフ59形寝台車:1938(昭和13)年に皇族、貴賓専用車としてマイロネフ37290形が3両製造されました。3年後の1941(昭和16)年に、称号改正でマイロネフ38形となり、戦後には米軍に接収されました。返還後はスイロネ37形の3号機として当時の皇太子殿下の非公式用として使用されました。現在の形式であるマロネフ59形になったのは1955(昭和30)年のことです。 | |
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80系電車:旧国鉄初の本格的な長距離電車として登場し、今日の電車時代の草分けとなった車両。今ではおなじみのオレンジ色と緑色のツートンカラーの車体は、当時の人々の注目を集め、東海道線東京〜小田原・沼津間に使われたため「湘南電車」の愛称で親しまれました。先頭車のクハ86形と中間車のモハ80形を保存・展示しています。 | |
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80系電車:車内。 | |
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D51形蒸気機関車:デゴイチの愛称で親しまれた蒸気機関車で、貨物用として1936(昭和11)年から10年間に1,115両も作られました。D51形は、近代化標準機の第一号、最多の新製両数、輸送の貢献度から日本を代表すると言える蒸気機関車です。 | |
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ナシ20形食堂車:特急列車「ブルートレイン」の食堂車として使用されました。定員は40人で、食堂車として初めて電化キッチンがつきました。当館で展示しているナシ24形は1970(昭和45)年につくられたものです。現在、平日は駅弁の販売を行い、車内でお召し上がりいただけます。土、日曜日、祝日は中がレストランとして営業しております。 | マロネフ59形寝台車:1938(昭和13)年に皇族、貴賓専用車としてマイロネフ37290形が3両製造されました。3年後の1941(昭和16)年に、称号改正でマイロネフ38形となり、戦後には米軍に接収されました。返還後はスイロネ37形の3号機として当時の皇太子殿下の非公式用として使用されました。現在の形式であるマロネフ59形になったのは1955(昭和30)年のことです。 |
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230形蒸気機関車:1903(明治36)年、イギリスの機関車を手本に民間会社の汽車製造合資会社が製造した蒸気機関車。機関車の国産化の発展に貢献しました。2007(平成19)年に機械遺産に認定されました。 | |
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230形蒸気機関車プレート類。 | |
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道床バラストふるい機。 | 軌道自転車。 |
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てこ集中装置。 | 携帯式レール切断機:高速レール切断機:レール穴開け機。 |
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線路標識。 | 回転変流機。 |
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水銀整流器。 | 踏切。 |
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ピントラス橋連結部。 | TBM845型トンネル掘削機。 |
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第一種電気連動装置。 | |
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第2展示場の休憩室? | 給水装置。 |
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腕木式信号機。 | ソ87(ソ87形式)操重車フック。 |
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鉄道の車輪。 | 関西鉄道の社章:この社章は、関西鉄道大仏線(通称)の黒髪山トンネル(奈良県奈良阪町)の出入口部に、取り付けられていた。 |
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交通科学博物館屋外展示場。 | 交通科学博物館屋内展示場。 |
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ヘットマーク類の展示。 | 義経号。 |
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ワット蒸気機関:J.ワット蒸気機関は、強力でそれまでの蒸気機関の1/4の石炭しか消費しない、優れた物だった。また歯車を使ったクランクにより、ピストンの動きを回転運動に変えることが出来たので、織機や工作機械など、さまざまなものに利用できる様になった。展示されているこの模型は、ロンドンの科学博物館の物を参考にしており、実物は1788年から70年間も工作機械に使われていたという。 ワットの時代では、まだ高圧蒸気を利用することは技術的に不可能であった。ワットが低圧蒸気で蒸気機関を動かした方法は次の通りである。 ピストンの一方の側で、低圧蒸気のわずかな膨張力を作用させ、反対側では、蒸気をコンデンサーで冷却・凝縮させ、真空状態を作る出している。これにより、ピストンの両側に出来る圧力差でピストンを動かした。 |
蒸気機関車「ロケット号」(模型):1829年10月、イギリスのマンチェスター・リバプール鉄道は、同鉄道を走る蒸気機関車を選ぶために、同鉄道の完成した路線で「レインヒルの機関車競争」を開催しました。この競争で優勝したのが、スティーヴンソン親子の製作した「ロケット号」です。「ロケット号」は最高時速46.6km/hで走り、その安定した走行は蒸気機関車が馬車よりも優れていることを示しました。この競争は、それまで蒸気機関車の優秀性を認めなかった人々を驚かせ、その後のイギリスの鉄道建設に大きな影響を与えました。父ジョージ・スティーヴンソンは今でも「鉄道の父」と呼ばれ尊敬されています。「レインヒルの機関車競争」の翌1930年、マンチェスター・リバプール鉄道はロケット号を使って、現在の鉄道と同じように人や荷物を運ぶ営業を開始しました。それまで馬などに頼っていた陸上輸送方法が大きく変わった瞬間でした。そしてその便利さから、イギリスに続いてフランス・アメリカ・ベルギーと欧米諸国に次々と鉄道が建設されてゆくことになります。この模型は、イギリスのヨークにある国立鉄道博物館で復元された「ロケット号」と、同館に残る図面をもとにつくったものです。 |
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ロコモーション号。 | 0qポスト。旧新橋駅プラットホーム石組。 |
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阪神間を開業時に走った5000形蒸気機関車。 | 神戸大阪間鉄道線路 平面略図(扇子) |
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鐘の前に近づくと鐘が鳴ります。 | 旧逢坂山隧道石額。 |
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昭和初期の一般的な駅を再現しています。改札の上にある運賃・時刻表や、切符を購入する窓口の奥にも注目!さらに改札を抜けたホームには1881(明治14)年に京都―大津間の急勾配用に製造された1800形蒸気機関車を展示しています。 | |
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ヘッドマーク類。 | |
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ヘッドマーク類。 | |
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ヘッドマーク類。 | |
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ヘッドマーク類。 | |
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ヘッドマーク類。 | 大阪鉄道管理局看板、車両銘板。 |
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記念コイン、切符類。 | 山陽新幹線電化第1号柱。 |
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東海道新幹線竣工記念金ボルト。 | 機械? |
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「きっぷ」ってどういうものでしょうか?映画館やテーマパーク、野球場e.t.c.…いろいろな場面で使われる言葉ですが、鉄道では乗車券のことをさします。「旅客運送における、旅客の乗車請求権を表す有価証券」というのが、鉄道の「きっぷ」の正体です。むかしは「切手」「手形」などと呼ばれたこともありました。乗車券にはいろいろなものがありますが、世界的に有名なのはエドモンソン型といわれるものです。これは発着駅名、運賃と通し番号を表記した21/4× 13/16インチ(JR規格5.75×3cm)のボール紙の乗車券で、日本では「硬券」と呼ばれ、鉄道の開業からごく最近まで使われていました。現在は自動改札機が普及したため、磁気を利用した乗車券が一般的になってきました。また、乗車券を持たずに乗車できるシステムが、主要都市を中心に運用され始めています。これからの「きっぷ」は、より便利なかたちに姿を変えてゆくことでしょう。ここにあげた「きっぷ」は鉄道のものばかりではありませんが、ユニークな形態のものを集めてみました。これらは「記念切符」といわれるものにあたります。もちろん乗車・乗船もでき、同時に旅の記念にもなる「きっぷ」たちです。 | |
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鉄道関連グッズ。 | タンク車模型。 |
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鉄道模型。 | |
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銘板類。 | |
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ディーゼルカーの動力装置:1953年(昭和28年)から5年間わたって量産され、普通列車から急行列車にまで使われていた。この動力装置は、当時の代表的なものであり、現在でもエンジンを横型に改良するなどして使われている。ディーゼルカーはエンジンの回転力を変速機・プロペラシャフト・逆転機へと伝え、車輪を廻している。 | |
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運転士の訓練用に使われていたシミュレータ装置です。マスコンとブレーキハンドルを操作すると、実際に車両が走っているような体験ができ大人も大興奮! | 台車類。 |
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ジーメンスの電気機関車。 | 集電装置の役割と仕組み。 |
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ポイント切り換え装置。 | 閉塞の方式。 |
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信号機類。 | 線路を守る人々の仕事。 |
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銘板類。 | 積雪との戦い。 |
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橋の工法。 | トンネルの工法。 |
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・・・ | 自動改札機。 |
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列車制御装置。 | レールの色々。 |
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保線工具類。 | 磁石式電話交換機。 |
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架線の金具類。 | 保線車両。 |
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線路を守る人々の仕事。 | 客車。 |
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鉄道模型の線路の規格。 | |
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鉄道模型。 | |
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乗車券印刷機。 | 東海道新幹線開業20周年記念。 |
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ダイハツミゼットMPA:1957(昭和32)年、小口運搬のために誕生した軽三輪トラック。それまでの小口運搬の主役は二輪車でしたが、ミゼットはより多くの荷物も積め、運搬も楽になり、大ヒットしました。このMPAは米国輸出向けにつくられたものです。 | ダットサン16型セダン:ダット自動車製造株式会社(昭和9年に現在の日産自動車に改称)から1932(昭和7)年に「ダットサン」というブランドが誕生しました。この丸味があって可愛らしいスタイルの16型セダンは1937(昭和12)年に製造され、小型タクシーなどにも使用されました。 |
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ダットサン13型ロードスター:ダット自動車製造株式会社(昭和9年に現在の日産自動車に改称)から1932(昭和7)年に「ダットサン」というブランドが誕生しました。この13型ロードスターは1934(昭和9)年に製造された二人乗りの小型車です。残念ながら13型の特徴だったハート形のラジエーターカバーは、取り換えられているようです。 | ヒルマン・ミンクス:ヒルマンは1953(昭和28)年から「いすゞ」がイギリスのルーツ社より部品の供給を受けて生産を始めた車で、1957(昭和32)年には全ての部品を国産化するまでになりました。これまでトラック、バスの専門メーカーだった「いすゞ」はこのヒルマン・ミンクスの生産を開始することで、乗用車メーカーの仲間入りをすることになりました。 |
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スバル360DX:1958(昭和33)年、日本で初めて登場した本格的軽乗用車です。航空機の胴体と同じモノコック方式を採用して車体を軽くするなどの工夫が見られます。この車を機に、日本では世界に例をみない軽自動車時代をむかえました。 | 三菱500は、1960(昭和35)年に戦後、三菱初の乗用車として登場し、我が国のモータリゼーションの先駆けとなりました。この車は1961(昭和36)年に発売されたA11型スーパーデラックスで、排気量をアップし、定員を5名にするなどの改善がなされました。 |
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エアロ・コマンダー680F型小型機:1960(昭和35)年に、双発ビジネス機で有名なアメリカのエアロ・コマンダー社が発表した、高性能双発プロペラ機です。翼が機体の高い位置に付けられているので、撮影がしやすく、航空写真や測量、新聞社の取材に使われました。当館に展示してあるのは、朝日新聞社機「東風(こちかぜ)」として活躍したものです。 | 東名高速バス:名神、東名高速線を走る高速夜行バス「ドリーム号」として1969(昭和44)年に登場しました。東京-大阪間の移動としては、当時の夜行列車より速く、長時間の移動に備えてトイレが付くなど、サービスが充実していました。また、値段が安いこともあり、大変人気がありました。 |
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マイバッハHSLu型エンジン。飛行機用。 | イスパノスイザエンジン 10式艦上偵察機。 |
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コンチネンタルO-470-11型エンジン。 | ル・ローンC型エンジン。 |
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ロールスロイス・ダーウエント5型。 ターボジェットエンジン。 |
ハ-45型(誉)エンジン。 4式戦闘機 「疾風」 |
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ピストンエンジンの移り変わり。 | ジェット機のエンジン。 |
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JO-1型ターボジェットエンジン。 戦後初めての国産ジェットエンジン。 |
ベルX−1のロケットエンジンです。昔は、音速を超えようとすると激しい振動を起こし、猛烈な空気抵抗にぶつかり、それ以上はスピードを上げるのは難しいとされてきましたが、1946(昭和21)年、アメリカは有人実験機ベルX−1で人類最初の超音速のスピードを記録しました。X−1は超音速用の実験機ということで、エネルギーを費やす離陸と上昇の時はB29の腹部に抱えられて、空中発進をして急加速していきました。その時のパイロットであるチャールズ・チャック・イェーガーは何度かテスト飛行を続けていましたが、1946(昭和21)10月14日、ついに時速1510kmに達しました。これにより人類は音の壁を破り、後には熱の壁も克服し、宇宙に旅立つロケット技術のスタート台に立ったのでした。 |
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自転車と人力車類。 | |
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バイク類の展示。 | 世界初のガソリン自転車。 |
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飛行機のプロペラ。 | 大型漁船のスクリュー(1000トン級)。 |
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標準客船の大錨。 | 大型船のエンジン。 |
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鉄道連絡線 讃岐丸(初代) | |
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