更新日時 2010年11月24日

 千葉県立関宿城博物館は、千葉県の最北端で利根川と江戸川の分流点のスーパー堤防上にあり、平成7年11月に開館しました。建物のうち、天守閣部分はかつての関宿城を古い記録に基づいて再現したものです。 この博物館のある野田市関宿は、近世から近代にかけて利根川水運の中継地として栄え、高瀬船や通運丸が往来して賑わいました。また、徳川家康の異父弟松平康元を藩祖とする関宿藩には幕府の要職にある譜代大名が配置されました。 そこで、この博物館は「河川とそれにかかわる産業」をテーマに河川改修や水運の歴史を紹介しながら、流域の人々と川との関わりについての資料を展示しています。また、関宿城や関宿藩の歴史についても併せて展示・紹介しています。 なお、展示には多くの模型や映像資料を用い、ビジュアルに展開しています。ゲーム・コーナーもあるのでご家族皆様で楽しく学ぶことができます。
千葉県立関宿城博物館。
 蛇籠:河川の護岸工事の際、籠の中に玉石や割石を詰めて、水の流れを抑えるために用いた物です。多くは応急工事、暫定工事に使われました。蛇籠の並べ方は、「立て籠」が一般的ですが、まれに「複籠」として並べることもあります。蛇籠に利用された素材としては、竹の他、柳、そだ、鉄線などもあります。
利根川・江戸川の船。 関宿町(千葉県野田市)のマンホール
関宿周辺の昔の地形図模型。
水塚(関宿周辺の住宅)
 水塚の1階には穀類・味噌などが、2階にはたんす・長持ちなどが収納され、洪水時には仏壇なども避難させたようです。しかし、土盛りで高く築かれた水塚でも、大洪水の時には1階の米俵が水に浸ったと伝えられています。
 展示室:江戸時代から明治中期にかけて、大量の物資を長距離輸送する主役は水運でした。オランダ人技師ムルデルの設計により、1890年(明治23年)利根川・江戸川間に完成した利根運河は、航行の短縮にも成り翌年約3万7千艘もの船が通過し、まさにこの時代の花形でした。
利根川付近地図。 利根川の洪水絵巻。
安政風聞集。 臨時増刊風俗画報百二十四号洪水地震被害録。
大正6年・明治43年洪水絵はがき。 利根川改修工事平面図。
 築堤工事:明治時代に入り、軽便鉄道が築堤工事にも利用されて、作業能率は大幅にあがりました。しかし、築堤用の土は川底からさらってきた土砂で有ったため、水分が多く、竹製の籠で一度水分を抜くなど相変わらず手作業も必要でした。
大正3年蒸気機関車による土運搬作業の様子。 昭和11年利根川堤防土羽打作業の様子。
利根川周辺の模型。  関宿棒出しの石:昭和2年に関宿水閘門が設置されると、関宿棒出しはその役目を終え、昭和4年に撤去されました。この石は、棒出しの護岸に用いられたものです。
堤・浚・疏 空飛ぶ蛇籠(笑)
中下流における護岸水制工事。 上流における護岸水制工事。
土木工事に寄与した人々。 伊奈忠次・伊奈忠治
田沼意次 水野忠邦
デ・レーケ ファン・ドールン
高瀬舟。 ???
運河の模型。
鉄道の絵。 野田線の利根運河鉄橋。
鉄道建設工事。 運河鉄橋をゆく蒸気機関車。
醤油樽を搭載した貨車。野田人車鉄道 流山電鉄電車。
鉄道連隊3号機 双合形機関車。 草津軽便鉄道
 浚渫船(山王号)製造者:建設省 東京技術事務所。製造年度:昭和41年。関宿地区は、利根川と江戸川が分かれるところです。江戸川の水は約760万人もの人々の飲み水として利用されています。江戸川の分流地点では上流から流れてくる砂がたまりやすいので、水の流れを確保するために土砂を取り除く浚渫作業を行う必要があります。その為に、また硬い川底も掘ることが出来る最新鋭の作業船として昭和42年頃から平成元年頃まで活躍していました。現在は、新山王号が作業を実施しています。
 水路浚渫機。製造者:日立建機株式会社。製造年度:昭和51年。この機械は、昭和51年頃から平成5年頃まで浚渫作業で使われた物です。関宿水閘門に堆積した土砂を取り除く作業の他に、利根川と江戸川を結んでいる利根運河の浚渫や中川の堤防工事のための浚渫作業に活躍してきました。川の中だけでなく陸上も走行できます。また、浚渫船では作業できない浅いところでも、浚渫出来るという特徴があります。
ポンプ式浚渫船。新山王号。
 関宿城博物館から中之島公園へ渡る管理橋。途中継ぎ足したような橋です(笑)この橋は銘板を見ると関宿水門橋で1981年3月竣工。発注者:関東地方建設局 製作:桜井鐵工株式会社。
 よみがえる江戸川橋梁:この橋は、1907年(明治40年)に総武鉄道の小岩〜市川間で横断する江戸川に、3連の100フィート・ポニー形ワーレン・トラス橋として架設されていた江戸川橋梁です。その後、1926年(大正15年)に江戸川から撤去され、1928年(昭和3年)に3連のうち2連が横浜市の生糸検査所引き込み線で大岡川橋梁として使用されました。日本の鉄道橋梁の歴史において貴重な土木遺産である本橋は、1994年(平成6年)に大岡川からも撤去されましたが、1999年(平成11年)ふるさとの江戸川に人道橋として復元した物で、イギリス系トラス橋の遺構として貴重な物です。この復元工事では、橋長を100フィート(30.2m)から、1/3の33フィート(10.1m)と縮め、当時の原材料を利用しています。また、明治時代と同じ趣に配慮し、リベット締め工法を採用し、当時の姿をそのままに蘇らせたものです。
 トロッコレールでつくられた藤棚:本格的な利根川の高水工事(治水)は、明治33年(1900年)に河口から始まり、昭和5年(1930年)に第一段階での改修を終えました。この時の工事は、河道の浚渫と掘削が中心でした。これは利根川に湾曲した箇所が多かったため、新たに直線的な河道開削する必要があったからです。浚渫や掘削に伴う拝土は、近くの築堤や埋め立てに使われ大正初期までは、人や馬によるトロッコによって運んでいました。この藤棚は、当時使われていた、トロッコレールを利用して作られています。なお、利根川水系で蒸気機関車が使われるようになったのは、大正6年(1917年)に小貝川の改修工事が始まってからのことです。
エコリサイクルトイレ。 関宿水門上水位観測所。
大型掘削機のバケット:河川改修の際に、高水敷の掘削で使用された大型掘削機のバケットです。
 棒出しの石:この石は、棒出しに使われた石です。棒出しとは、権現堂川と逆川から江戸川が分かれる流頭部に、川の両岸から丸太棒を数千本打って川幅を狭め、権現堂川から流れてくる洪水を江戸川へ入りにくくしたもので、関宿川は東棒出し、幸手側は西棒出しと呼ばれていました。棒出しが造られたのは天保年間(1830年〜43年)で、松伏村の豪農石川民部が農民より金銭を集め、幕府に差し出して工事をしてもらったと言われています。棒出しが造られたことによって、江戸川沿いは洪水から守られた反面、逆側沿いの関宿周辺やその下流の利根川沿川では水害を被ることになりました。明治8年(1975年)と明治17年(1884年)に棒出しは玉石積みに改築されたが洪水で破壊された為、明治18年(1885年)角石積みに改良されました。その後、明治31年(1898年)にセメントを使った角石張りに改築され、棒出しの間隔は幅9間強、約17mまで狭められました。明治43年(1910年)の大洪水を契機に行われた利根川、江戸川の本格的な改修工事によって、江戸川の流頭部が約1q上流に付け替えられ、権現堂側も締め切られました。また、昭和2年(1927年)に関宿水堰及び閘門(通称関宿水閘門)も建設されました。棒出しは、これらの工事により昭和4年(1929年)に撤去されました。棒出しに使われた角石は、文献及び岩質から判断して栃木県の岩舟山で切り出されたものが、渡良瀬川を船で下って運ばれたものと思われます。岩舟山周辺で切り出された石は岩舟石と呼ばれ、岩質は火成岩(安山岩質角礫凝灰岩)で、加工しやすく耐候性に優れています。このため、古くから石垣や土留め用のけんち石及び土台用の切り出し石として利用されており、明治44年からの利根川の改修工事では、渡良瀬川を中心に大量に使用されました。棒出しが撤去された後の角石は、江戸川中之島公園と関宿城博物館に展示してあるほか、五霞町の善照時鐘付堂石垣や関宿町の旧関宿小学校石垣などに使われています。
 関宿水閘門:利根川改修事業のシンボル的存在で数少ない現役の大型水門(八門)と船の航行のための閘門であります。土木学会ではその歴史的土木施設としての高い価値に照らしてここに平成15年度土木学会選奨土木遺産として認定します。
 関宿水閘門(せきやどすいこうもん)江戸川が利根川から分かれる場所、江戸川の起点付近にあり、江戸川を流れる水量を調節することと船を安全に通すことを目的に、大正7年(1918)に着工し、昭和2年(1927)に完成しました。実に9年におよぶ大工事でした。当時の日本は、大型建造物がレンガ造りからコンクリート造りへと移り変わりつつある時代であったため、コンクリート造りの関宿水閘門は当時の建築技術を知る上でも貴重な建造物で、土木学会選奨土木遺産に認定されています。水流を制御する水門には8つのゲートがあり、上流から見て右側に船が行き来する閘門が造られています。閘門の幅は10mで、長さ100mほどの水路の両側にゲートが設置されています。閘門は現在も動きますが、特別な場合をのぞいて使用されていません。
水門の開閉にはディーゼルエンジンが使用されています。
 関宿水閘門:船が通行できるようにするための施設で、水門の脇に設置されています。閘門の開閉は人力で行われていました。
水閘門をカヌーが通過する風景。(設置されている説明看板より)
 関宿水閘門:関宿水閘門は、江戸川流頭部の改修工事に伴い、利根川より江戸川に入る水量と水位の調整を行うために建設されました。工事は、大正7年(1918年)11月に始まり、昭和2年(1927年)に完成しました。水閘門の本体である堰柱と翼壁にはコンクリートを用いていますが、隅石等には花崗岩を張り、煉瓦造り水門の水門様式も残しています。水閘門は、その字の通り、流量調節を行う「水門」と船の運航のための「閘門」を併せ持つ施設です。水門の開閉にはディーゼルエンジンが使用され、閘門の開閉は人力で行われていました。関宿水閘門が完成すると、それまで江戸川流頭部の水量調節の役割を担ってきた「関宿棒出し」は、昭和4年(1929年)に撤去されました。
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出典: 千葉県立 関宿城博物館
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