更新日時 2011年07月20日

秩父鉄道車両公園
 秩父鉄道車両公園(ちちぶてつどうしゃりょうこうえん)は埼玉県秩父市の秩父鉄道三峰口駅脇にある鉄道公園。秩父鉄道で過去に使用された車両を展示しているほか、転車台が動く状態で残されており、パレオエクスプレスの運行日には間近で機回しを見ることが出来るため多くの鉄道ファンが来る。また園内には桜の木がうえられていて季節には花が咲き誇る。入場するには警報機・遮断機のない踏切を通らなければならないので、十分注意しなければならない。秩父鉄道創立90周年事業として建設された。1989年3月17日開園。なお秩父鉄道側の案内や看板などでは「鉄道車両公園」となっている。営業時間:年中無休 9:00〜16:00 入園料:無料
パレオエクスプレス用の転車台。
 ワキ824号:この車輌は、昭和43年9月〜昭和63年3月まで下板橋(東武東上線)、業平橋(東武伊勢崎線)、南高崎(上信電鉄)行きの袋詰めセメント輸送に使用されましたが、昭和63年3月南高崎行きを最後に引退しました。日本車輌製。
 秩父鉄道テキ100形貨車(ちちぶてつどうてき100がたかしゃ)は、かつて秩父鉄道に在籍していた貨車である。1959年、日本車輌で30両がつくられたボギー有蓋貨車。社内では、従来の木造貨車と区別するため「2軸ボギー鉄製有蓋車」と呼ばれた。袋詰めセメント輸送用で、フォークリフトによるパレット単位の荷役作業に対応できるよう側面の扉がすべて開いた。車体は角張っているが屋根に傾斜がついた独特のスタイルで、妻面上部には通風口が取り付けられている。国鉄乗り入れ可能車で、上信電鉄の南高崎駅などにも乗り入れた。袋詰めセメントはタンク車・ホッパ車によるバラ積み方式に移行すると必要がなくなり、1984年11月30日付けですべての車両が廃車になった。現在、テキ117が三峰口駅構内の秩父鉄道車両公園に保存されている。また、広瀬川原駅・武州原谷駅構内にはテキ100形が多数留置されている他、秩父鉄道沿線にはテキ100形が倉庫などとして活用されているケースが多数存在する。
 秩父鉄道スム4000形貨車(ちちぶてつどうすむ4000がたかしゃ)は、秩父鉄道に在籍する貨車である。1963年に日本車輌で製造された二軸有蓋車で、50両が在籍していた。車体側面が従来の木製と区別するため鉄側有蓋車と称される。車内に内張りがされておらず、水を嫌う袋詰めセメントや一般貨物の輸送に活躍した。バラ積み輸送の時代になると余剰になり、1979年に9両がワフ50形に改造された。残る車両も、1984年10月31日付けで4044・4047の2両を除いて廃車になった。残った2両は救援車として車体に白帯を入れ、救援機材を積み込み広瀬川原駅(熊谷工場)で待機している。以前は片方が秩父駅に留置されていた。また、スム4023が三峰口駅構内にある秩父鉄道車両公園に保存されている。秩父鉄道沿線で倉庫などとして利用されているものも見受けられる。
 秩父鉄道トキ500形貨車(ちちぶてつどう-)は、秩父鉄道に在籍する貨車である。1968年日立製作所製ボギー無蓋貨車。15両が製造された。当初アオリ戸はプレス鋼板であったが1978年9月に平鋼板に交換された。1982年3月にトキ504, 505, 508, 514, 515の5両が関東鉄道に譲渡された。(常総線複線化工事のため。)残り10両は蘇我の川崎製鉄千葉製鉄所への石灰石輸送に使用されたが、1984年2月1日国鉄ダイヤ改正による国鉄の貨物取り扱い縮小方針によりトキ506, 512を残し廃車になった。残った2両は災害時土砂運搬用として車籍が残り普段は広瀬川原駅(熊谷工場)に留置されている。また、トキ502が三峰口駅構内にある秩父鉄道車両公園に保存されている。
 秩父鉄道ヨ10形貨車(ちちぶてつどうよ10がたかしゃ)は、秩父鉄道がかつて所有した事業用貨車(車掌車)である。1968年より投入が開始された車掌車。全車9両がヲキ1形貨車を改造したもの。ヲキ1形の台車や台枠をそのまま流用しているため、緩急車では珍しいボギー車となっている。1987年9月に緩急車連結廃止に伴って用途を失い、翌年の3月に廃車となった。三峰口駅に併設された秩父鉄道車両公園にヨ15が静態保存されている。
 クハニ29号:この車両は戦後の車両不足に旧国鉄から払い下げを受けたもので、デハ50形につぐ半鋼製車ということになります。旧南部鉄道買収のモハ100形・モハ108形で、同形車が流山電鉄などに払い下げられていますが、当社の分はクハとして東急横浜製作所(東急車輌の前身)で復活しました。車長も短くドアにステップが有りませんでした。昭和63年9月に引退しました。秩父鉄道100形電車(ちちぶてつどう100がたでんしゃ)は秩父鉄道に在籍していた通勤型電車である。1950〜1954年に、主に木造車の鋼体化改造車として日本車輌製造東京支店で製造された。最大時、デハ100形デハ101〜113、クハ60形クハ61〜67、クハニ20形クハニ21〜30、クハユ30形クハユ31の31輌が在籍したが、1988年までに全車両が廃車になった。いずれも車体は、17m級の半鋼製で、ウィンドシル・ヘッダー付。客室の座席配置はロングシートである。客用扉には1段のステップがつけられていた。運転台は中央にある。このうち、デハ100形は両運転台の電動客車で、窓配置はC3-d4D7D4d。これに対し、クハ60形は片運転台の制御客車で、窓配置はC3-d2D4D4D3と、客用扉の数が両者で異なっていた。クハニ20形は片運転台の荷物合造制御客車、クハユ30形は同 郵便合造制御客車。窓配置はどちらもC3-dB2.3D6D3で、太い窓柱より運転席側が荷物室もしくは郵便室である。なお、制御車の運転台は、いずれも三峰口側に存在する。
 デハ107号:昭和25年10月デハ101・102の2両が新車として登場下のに始まり、その後木造車の鋼体化改造ということで昭和26年4月から昭和28年7月までの約2年間に11両が加わり合計13両となりました。製造当時は両運転台式・非貫通、客用ドアは内部にステップのついた手動式でしたが昭和38年9月から昭和41年9月にかけて片運転台化・運転室内拡張、貫通路新設、客ドア自動化などの改造が実施され窓の配置も変更になりました。タブレットの関係で、以前から運転席は中央に位置していましたが、この改造で中央の窓が大きく、運転席もステージの上に乗って一段高くなり、広々とした室内と共に秩父鉄道独自の他社に例を見ないものとなりました。車体寸法・機器など台車を除き統一し、保守・運用上の問題を少なくしました。この点は木造車当時からの伝統です。この100形車両は、昭和63年6月の「さよなら」運転を最後に引退しました。
 秩父鉄道デキ1形電気機関車は、かつて秩父鉄道に在籍した直流用電気機関車である。製造メーカーも形態も異なるデキ1 - 5のグループと、デキ6・7の2グループが存在した。1922年(大正11年)に同鉄道が電化されたことにより、それまで蒸気機関車に頼っていた石灰石輸送を電気機関車に転換するため、デキ1 - 5の5両がアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック(車体・台車などの機械部はボールドウィン)で製造、輸入された。電化時に発注し、同年4月から使用開始となっている。日本に輸入された初めての幹線用大型電気機関車で、当時東海道本線電化を計画していた鉄道省の目に止まり、大井工場(現在のJR東日本東京総合車両センター)で組み立てられた。
 国鉄ED38形電気機関車(こくてつED38がたでんききかんしゃ)は、1930年に阪和電気鉄道ロコ1000形として製造され、国有化の後、1952年に改番された直流用電気機関車である。50t級・B-B軸配置で13m級箱型車体の、昭和初期の私鉄機関車としては大型な車両である。1930年の阪和天王寺 - 東和歌山間全通に備え、まず2両(ロコ1001・1002)、翌1931年に1両(ロコ1003)が東洋電機製造・日本車輌製造[1]で製造された。その後南海鉄道との合併後の1942年に合計3両(ロコ1004 - 1006)の追加新造が計画・申請されたが認可は1両分しか下りず[2]、その後再度3両(ロコ1005 - 1007)の追加新造が申請されたが、こちらも認可されなかった。このため、戦時中の増備車は資材難もあって国鉄買収後の1944年6月に1両(ロコ1004)が完成したにとどまっている。
 ワフ51形有蓋緩急車(ワフ51)この車輌は、ワフ20形式・30形式・40形式の老朽化に伴いスム車を改造した車両です。昭和62年9月から緩急車を連結しなくても貨物列車の運行が出来るようになりました。このため役割が終了、昭和63年3月引退しました。日本車輌製。
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