更新日時 2011年07月25日

 船の科学館は東京都品川区東八潮の東京臨海副都心にある博物館。1974年(昭和49年)7月20日「海の記念日」に開館し、以来、37年間にわたり延べ1,800万人を超える来館者を迎え、海と船の文化を伝える海洋総合博物館として皆様に親しまれてきた。船舶や海運、海洋開発に関する事柄を中心に展示する海事博物館である。船舶の構造・歴史の解説や、エンジンなど各種機器の展示を行っている。東京臨海副都心地域における最初の建築物といえる建物であり、1978年(昭和53年)からおよそ1年間にわたって同館周辺で開催された宇宙科学博覧会では1期・2期の両期で1100万人もの来場者を集めた。運営には日本船舶振興会が全面支援を行っている。6万トン級の大型客船を模したユニークな本館は、施設及び展示共に老朽化が著しく、これを機に、次世代の海洋教育拠点へのリニューアル準備のため2011年 9月30日(金)をもって、ひとまず本館展示を休止。本館建物は、引き続き事務所及び収蔵保管・研究施設として活用し、展示は前面水域で保存・公開している南極観測船“宗谷”を中心に、屋外展示の公開を行うと共にプール水面を活用した各種体験教室も実施して、博物館活動を継続していくこととした。なお、前面水域に係留している青函連絡船“羊蹄丸”につきましては、本館展示の休止に伴い保存・展示を終了。
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)年末年始(12/28〜1/1)
開館時間:10:00〜17:00
 @船の科学館駅(ふねのかがくかんえき)は、東京都江東区青海一丁目にある東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)の駅。駅番号はU-08。
@船の科学館駅構造は島式1面2線ホームの高架駅である。
 @帆掛舟文様:水面に浮かぶ帆(ほ)掛(かけ)舟(ぶね)を描いた文様で舟は帆のみを象徴的に描いています。帆掛舟は海の向こうから富を運んでくるということで、おめでたい文様として用いられていました。
 初夢で枕の下に敷く宝船の絵は、江戸中期からのもので、当初は七福神はおらず帆掛舟に金銀米俵を積んだ絵に回文歌が書かれたものだったそうです。
 A本館:博物館自体がクルーズ客船「クイーン・エリザベス2号」をモチーフにした船の形をしている。6階建てで実物の船の構造にあわせ、最下層が機関関連展示及び船の歴史、最上層が操舵室関連展示になっている。船の煙突・マストに相当する部分は展望台。また、海上保安庁の信号所(東京港内交通管制室)も本館内にあり、業務をガラス越しに見学できる。博物館の中心に、船舶用ディーゼルエンジン(実物)が設置されているが、これは建物の建設に先立って現地に搬入・設置され、その後に建物が建設された。なお、2011年9月30日をもって本館展示は休止することになっている。
 B双胴船「マリンエース」 - 日本で初めて完成した実験船。マリンエースは、(財)日本船舶振興会(日本財団)より資金援助を受けた(財)日本舶用機器開発協会と三井造船(株)が共同開発し、昭和52年(1977年)10月に、三井造船(株)千葉造船所において完成した日本で初めての半没水型双胴実権船です。半没水型双胴船は、水面下の魚雷型をした没水部(ロワーハル)と水面上の上部構造物を、流線型の断面を持つ結合部材(ストラッド)で結合したユニークな形状の船で、従来型の船と比較して造波抵抗が小さく、高速性能に優れています。さらに、自動制御のフィンスタビライザーを装備しているので、波浪中での揺れが極めて少なく、また、双胴船であるため同一平面上に広い作業スペースが確保できるなど大きな特徴を持ち、観測船や客船に採用されています。
 B超伝導電磁推進装置 - ヤマト1に搭載されていたもの。船体は神戸海洋博物館にて屋外展示されている。超伝導電磁推進船「ヤマト1」の推進原理は「フレミングの左手の法則」を応用したもので、超伝導電磁石が作り出す強力な磁場を利用して、海水を後方へ勢いよく押し出す力で船を進めるものです。昭和60年(1985年)にシップ・アンド・オーシャン財団は、日本船舶振興会(日本財団)の協力を得て、超伝導電磁推進船の開発研究を始めました。平成元年(1989年)には実権船の建造に着手し、翌年に船体が完成し「ヤマト1」と命名しました。「ヤマト1」は、開発された超伝導電磁推進装置を搭載して平成4年(1992年)6月16日に神戸港内で電磁力による世界で初めての航走に成功しました。ここに展示した超伝導電磁推進装置は「ヤマト1」に実際に搭載された2基の装置の内の1基(右舷側)です。
 C深海潜水艇「PC-18」水深200m〜300mの海中を自力で推進し、海中作業を陸上と同じように行うことが出来る潜水艇です。艇の先端には、マニピュレーターが装備され、岩盤の調査などの作業に威力を発揮します。また、ダイバーが容易に海中に出入りできる装置も備えられているのが特徴です。このPC-18は昭和56年(1981年)神戸市で開催された国際博覧会(ポートピア81)で展示されたものです。  C潜水艇「たんかい」潜水調査船「たんかい」は大陸棚海域の潜水調査を目的に、(財)日本船舶振興会(日本財団)より資金援助を受けて(財)日本舶用機器開発協会と日本鋼管(株)が昭和54年(1979年)3月に共同開発した小型潜水調査船です。この潜水調査船の特徴は球状をした船体の下半分がメタアクリル樹脂製の透明耐圧殻でできていて、広い視野での調査・観測が出来ることです。
 D海底ハウス「歩号1世」この海底ハウスは、世界ではじめて民間人の手によって造られた海底居住区です。海底技術研究所の若手技術陣に、日本船舶振興会が援助の手をさしのべ、昭和43年に完成しました。静岡県沼津市内浦の沖合、水深8mに設置され、3年3ヶ月にわたり居住実験が行われた。
Dナヒーモフ号主砲 E大型スクリュープロペラ
F九十九里の木造漁船 @深海大気潜水服「JIM」
 G宗谷(そうや、船番号: PL107)は、日本の砕氷船である。日本海軍では特務艦、海上保安庁では巡視船として服務した。日本における初代南極観測船になり、現存する数少ない旧帝国海軍艦艇である。現在でも船籍を有しており、船舶法の適用対象で、必要であれば舫を解いて航行できる。
 H白竜丸:本船は、水産庁に所属する漁業取締船で、我が国周辺水域等において、違法な操業及び漁具の設置を行う外国漁船等の指導・取締を行うことを目的にしています。漁業取締船旧白竜丸(総トン数517.63トン)は、昭和40年に建造され、主として南北太平洋海域及び日本沿岸沖合海域の我が国漁船の指導取締に活躍してきました。しかし、建造以来23年が経過していたため、船体、機関及び諸設備が著しく老朽化し、十分な取締業務が行い難くなっていたところでありました。一方、取締対象海域は、沿岸沖合海域から遠洋海域に移り、より広範囲の指導取締が要求される状況となってきました。このことから、荒天航行が可能で、良好な耐航性、復元性及び凌波性を有し、遠洋海域での国際漁業に従事する漁船の指導取締が可能な大型の2代目白竜丸を建造しました。
 I羊蹄丸(2代目)(ようていまる)とは、1965年(昭和40年)から1988年(昭和63年)まで日本国有鉄道(国鉄)および北海道旅客鉄道(JR北海道)の青函航路にて就航していた鉄道連絡船である。鉄道電報略号は「ヨテマ」。洞爺丸事故を教訓として生まれた「連絡船近代化計画」後の自動化新型船(津軽丸型)で2代目。新型船は青函航路青森 - 函館間の113.0kmを3時間50分で結び、海の新幹線と呼ばれた。船名の由来は「蝦夷富士」と呼ばれる北海道の羊蹄山にちなんで、一般公募から選ばれたものである。船体に取り付けられている羊蹄山とイルカが描かれたシンボルマークもこれに由来する。 終航後1996年(平成8年)3月22日から東京お台場船の科学館にて屋外展示されている。
 I羊蹄丸(2代目)は競争入札の結果大阪市にある日立造船株式会社大阪桜島工場で建造された。 建造時には船名が決まっていなかったため、桜島工場内で第4068番船と呼ばれていた。第4068番船とは、日立造船が前身の大阪鉄工所から数えて4068番目に契約した新造船という意味である。また日立造船は青函連絡船建造はこれが初めてであった。建造方法は造船では一般的なブロック工法である。コアブロック同士を電気溶接で繋ぐブロック工法では溶接により熱せられた鉄板が冷却と供に縮むことが常である。さらに羊蹄丸は複雑な構造であり、かつ薄い鋼板で建造されたことによりこの傾向がさらに強かった。建造にあたり船体の長さが設計よりも少しでも縮むことは許されなかった。何故なら当初の設計よりも少しでも短くなるとそれに伴い船内有効レール長が縮むこととなる。それは有蓋貨車の規格上、積載貨車数が減少することを意味する。そこで桜島工場では早い時期から細かな縮み防止策を立て、細心の注意を払いながら工事を進めた結果、設計通りの寸法で完成することとなる。なお公称車両数は、左舷レールから、ワム車換算で12両、14両、10両、12両の合計48両積みである。先代連絡船に比べ極力人手を省いた設計である自動化船である津軽丸型はシリーズで建造され、当初、羊蹄丸は津軽丸型最終建造船となる予定であったが、後に十和田丸が追加建造された。その他積載車両の増加を図るために船体が大型化していることも当船の特徴である。
I3F左舷デッキ。 I3F右舷デッキ。
I4Fオープンデッキ。旧国鉄時代のマークが煙突に表示されている。
I4Fブリッジ。 I3F後方オープンデッキ。
I4Fブリッジ内。
I4Fブリッジ内の補助操縦スタンド。 I4Fブリッジ内から見る艦首。
I3Fプロムナードギャラリーと休憩スペース。
I1F青函ワールド。
I1Fに展示の青函連絡船の模型。
Iエンジンルーム。 I1Fの青函連絡船関連の展示品。
I青森駅の写真。 I青函連絡船の写真。
I1Fの遊具?(現在は使用禁止の様だ)
I1F青函ワールド(当時の青森の様子)
I1F青函ワールド(当時の青森の様子)
I1F青函ワールド(当時の青森の様子)
I1F青函ワールド(当時の青森の様子)
I1F青函ワールド(当時の青森駅の様子)
I1F青函ワールド(当時の青森駅の様子)
I1F青函ワールド(当時の青森駅の時刻表及び運賃表)
I1F青函ワールド(当時の青森駅の時刻表及び運賃表&ポスター類)
I1F青函ワールド(当時の食堂風景)
 IDE10形ディーゼル機関車(ディーイー10がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が開発・設計した中型ディーゼル機関車である。ローカル線の貨客列車牽引や入換用途を主目的として開発された。1966年から1978年までに合計708両が製作され、日本各地のローカル線で蒸気機関車を置き換え、動力近代化を促進した。運転室を中央に、前後に機器類を収納するボンネットを配し、DD13形やDD51形と同様な凸型車体である。本形式は駆動機関が1台であるため、機器配置や重量配分の観点から1端側のボンネットが長い前後非対称の配置で、運転室が中心にない「セミ・センターキャブ」と呼称される形態である。
 Iスハフ44 25:国鉄スハ43系客車(こくてつスハ43けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1951年から急行列車用に製造した客車の形式群である。従来の客車と比較して、居住性を大幅に改善した画期的な客車であった。当初は特別急行列車にも使用され、1980年代初めまで、日本全国で急行列車に広く運用されたほか、早い時期から普通列車でも運用された。国鉄分割民営化直前まで定期運用され、JRへの移行後も少数の車両がイベント列車・観光列車で運用されている。三等緩急車のスハフ44形。スハ45形とともに北海道向けに製造された緩急設備付き座席車で、1952年(昭和27年)から1954年(昭和29年)にかけて日本車輌製造、川崎車輌、汽車製造で27両が製造された。車体の基本構成はスハフ42形と同じであるが、客窓の二重窓化、温気暖房装置等の北海道向け設備を装備しており、台車は歯車駆動方式の車軸発電機を使用している。
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出典:船の科学館
船の科学館(青函連絡船:羊蹄丸)