更新日時 2012年01月03日

 「柵原ふれあい鉱山公園」の柵原鉱山資料館は、東洋一の硫化鉄鉱山として栄えてきた柵原鉱山の歴史や文化が、楽しく学べる施設です。鉱山採掘現場再現、昭和30年代街並、くらし再現、片上鉄道列車展示。1階には昭和30年代街並や、くらしを再現。地下には鉱山採掘現場をバーチャルに再現。大正、昭和と繁栄した鉱山、採掘、運搬風景の再現。鉱石、乗客を輸送した片上鉄道列車11両の動態、保存、昭和30年代の自転車屋、マーケット、社宅等の街並みの再現。柵原鉱山は、東洋一の硫化鉄鉱を産する鉱山として古くから栄えてきました。昭和40年頃の最盛期には年間90万トン以上もの鉱石を産出していましたが、海外から安い硫化鉄が輸入されるようになると、次第に需要が減少。そして平成3年3月、時代の流れとともに閉山の時を迎え、75年間の歴史に幕を降ろしました。
資料館   高校生以上/小学生以上
料金     大人 500円/小人 300円
開館時間  午前9時〜午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日    毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日) 12月28日〜1月4日まで
@柵原鉱山資料館。
 @黄鉄鉱は硫化鉱物の一種。鉄と硫黄からなり、化学組成はFeS2で表される。理想的なものは、硫黄53.4%、鉄46.6%である。色は真鍮色で金属光沢を持つ。条痕色は緑黒色。外見は黄銅鉱と似るが、条痕色により区別できる。その淡黄色の色調により金と間違えられることが多いことから、「愚者の黄金」(fool's gold:1872年初出)とも呼ばれる。柵原鉱山資料館では鉱石が売られている。
@昭和初期の柵原鉱山の風景。
@昭和期の鉱山町の住宅や商店の町並み。
@昭和期の鉱山町の住宅や商店の町並み。
@柵原鉱山資料館館内の歴史説明資料。
@柵原鉱山資料館のビデを上映。 @柵原鉱山のいまむかし。
 @地下の体験坑道入口(エレベーターで降りる)坑内に降りる様子を体験できます。  @削岩の様子:坑道を掘り進むために、削岩機を使って鉱石を爆破する爆薬を入れる孔を掘ります。採掘現場の花形で、高度な技術と豊富な経験が必要な仕事です。
 @タイヤローダー:圧縮された空気で動き、前方のバケットで鉱石をすくって後方のホッパーに入れます。ホッパーがいっぱいになるとバックして鉱井と呼ばれる縦穴に鉱石を落とします。  @スクレーパー:爆破で砕かれた大量の鉱石をかき集める装置です。ワイヤーロープによって前後に動き、鉱井に鉱石を落とします。
 @鉱石漏斗:鉱石をためる鉱井の底にあり、下を通る鉱車に鉱石を落とします。鉱車(ダンプカー)坑道内で鉱石やズリなどを積み込んで運びます。台形型のレールで鉱車が自動的に傾いて鉱井や充井に投入します。
 @バッテリー電車(蓄電池機関車)鉱石やズリを積んだ鉱車5〜12両編成を引っ張って運搬坑道を走ります。また、作業員を乗せた人車を引くものもありました。
@大正時代の鉱主の保安帽。 @昭和25年代坑内保安帽(圧着紙で出来ています)
@カンテラ、昭和30年代の坑内保安帽。 @近年保安帽(強化プラスティック)
@削岩機。
@削岩機。 @柵原駅の鉱石の積み込み風景。
@柵原鉱山の鉱石:硫化鉄鋼(黄鉄鉱) @柵原の鉱石。
@柵原鉱山の鉱石:磁鉄鉱。 @金銀鉛鉱・褐鉄鉱・硫酸鉄の結晶。
 @黄銅鉱・磁硫鉄鋼・黒鉱(黄鉄鉱と磁硫鉄鋼の境界部分) @鉱石・岩石を研磨した物。
 @高瀬舟(たかせぶね)とはかつて日本各地で使用されていた小型船である。高瀬舟は河川や浅海を航行するための船底の平らな木造船である。室町時代末期頃の岡山県の主要河川(吉井川、高梁川、旭川等)で使用され始め、江戸時代になると日本各地に普及し、昭和時代初期まで使用された。帆走もしくは馬や人間が曳いて運行され、物資の輸送を主な目的としていた。A
@出札箱。 @片上−柵原のサボ。片上鉄道の銘板。
@片上鉄道沿線図。 @美作飯岡駅。
@C11-101とC12-201銘板。 @車輌銘板。
@記念乗車券。 @検印・改きょう。
@キャリア・タブレット・合図灯・尾灯。 @銘板類。
@柵原鉱山資料館の写真(片上) @柵原鉱山資料館の写真(矢田)
@柵原鉱山資料館の写真(周匝) @柵原鉱山資料館の写真(吉ヶ原)
@柵原鉱山資料館の写真(柵原) @柵原鉱山資料館の写真(飯岡)
@形式 片1 1号 日本車輌製。 @形式 片2 2号 コッペルシ社製。
@形式 3号 日本車輌製。 @形式 6号 ボルドーウイン製。
@形式 8号 ボルドーウイン製。 @形式 9号 ボルドーウイン製。
@形式 C11-102号 川崎車輌製。 @形式 C11-103号 川崎車輌製。
@形式 C12-201号 日立製作所製。
@形式 C13-50号 日本車輌製。 @形式 C13-51号 日本車輌製。
B坑内用バッテリー機関車。 B蒸気発電機。
C軌道ローダー。Y-43とY-75。 C坑内用バッテリー機関車と鉱車。
D坑内用バッテリー機関車と台車。
 E吉ヶ原駅(きちがはらえき)は岡山県久米郡柵原町(現・美咲町)吉ヶ原に位置していた同和鉱業片上鉄道の駅(廃駅)である。吉ヶ原駅構造は三角屋根の木造の駅舎をもつ有人駅だったが、最晩年は駅員配置は朝夕のみで昼は無人駅となっていた。2面3線の相対式ホームをもつほか、貨物ホームや詰所、操車場があった。旧吉ヶ原駅は駅舎より片上方の線路は全て撤去されていたが一部配線を変更して復元され柵原ふれあい鉱山公園の一施設となっており、展示運転の駅舎として現役で使用されている。当駅から中鉄バスの路線バスが津山駅との間を結んでいて、同鉄道の路線図にもこの路線が掲載されていた。2010年5月現在も中鉄北部バスによって運行は続けられている。
 F国鉄DD13形ディーゼル機関車は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した入換用液体式ディーゼル機関車である。外観はDD11形およびDD12形と同様に、2台のエンジンの間に運転室を設けた凸形のセンターキャブ形状である。2台のエンジン(液体変速機)からの出力は、一旦運転席床下に設置された逆転機に集められ、その後2台の台車に振り分けられる構造となっている。DD13形 - DD13-551。
Gオハ35 1227とホハフ2003。
 Hキハ702(旧番号キハ07 5)は流線形の原型を保った貴重な国鉄キハ42000形である。原型を保ったキハ42000形は現在、全国的に見ても現存車両が2両しかなく、一部を改造(前照灯のシールドビーム化・液体変速機化)されてはいるが、原型で動態のものはキハ702のみであり、動態で保存されている気動車の中では日本で2番目に古い。
 Iホハフ2004。和気以北では吉井川に沿い、客車列車(主に混合列車)も運転されていた。地元や鉄道ファンはその客車の色から「ブルートレイン」と呼んでおり、自社発注のホハフ2000形(昭和25年・ナニワ工機製)と国鉄から購入したホハフ3000形(旧オハ35)が使用されていた。
J自社発注でキハ41000形に似た形態で張上げ屋根・正面2枚窓のキハ312も動態で保存されている。
 K現在も整備・動態保存されているキハ303(旧番号キハ3003←国鉄キハ41071)は、気動車としては現役最後の国鉄キハ41000形としてその名が知られており、動態で保存されている気動車の中で日本最古である(また、唯一動態で保存されているキハ41000形でもある)。
 Lトラ814:1955年、岡山県内の「中国工業」というメーカーで造られた無蓋車です。硫化鉄鋼の需要の伸びと共に積載量が18トンに強化されました。SL廃止後の貨物列車は、これらの貨車を最大37両連結し、ピストン輸送に充てられました。
 L2011年5月より、ワム1807(旧番号ワム184740)が動態保存車両として登場。この車両は、元は国鉄から購入した国鉄ワム80000形貨車で、以前は片上駅跡地にてワム1805(旧番号ワム184036)、ディーゼル機関車DD13-552と共に静態保存されていた。
 Mワフ102:昭和51年(1976年)それまでの木造客車改造の車掌車(ニフ)が老朽化したため、旧国鉄からワフ220061947年日本車輌製を購入、両デッキ式に改造して使用しました。貨物列車の最後尾に連結され、連結手や車掌が乗っていましたが、昭和61年の車掌車連結廃止に伴い、鉄道廃止まで殆ど使われていませんでした。トラ840:1962年に帝国車輌で、18トン積みの貨車として最後に新製された1両です。和気から山陽本線軽油で岡山臨港鉄道(1984年廃止)南岡山の製錬所まで、陸路鉱石を輸送しました。なお「帝国車輌」は今は有りません。トム519:戦前から戦後にかけて、多数の蒸気機関車を中心とした鉄道車輌を製造した「汽車会社」の岡山工場で、1949年に造られた、経歴の珍しい貨車です。柵原鉱山の硫化鉄鋼を15トン積載しました。側面の中央付近に側板がたわむのを防ぐために、鉄の棒を引っかける穴が開いています。尚、「汽車会社」は今は有りません。
N柵原鉱山の休石鉱床の坑口。朝の早い時間なので坑口から湯気が出ている。
N柵原鉱山の休石鉱床の坑口。台車が転がっている。
O柵原鉱山の休石鉱床の坑口。
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柵原ふれあい鉱山公園(柵原鉱山資料館)