更新日時 2013年02月02日

1階展示場。 兵士の像。
芝辻砲。 仏郎機砲及び子砲。
武人のこころ。
明治維新。
南西戦争。 靖国神社の創祀。
特別陳列室。 日清戦争。
日清戦争。 日露戦争パノラマ館。
日露戦争から満州事変。
招魂齋庭。 支那事変。
支那事変。
大東亜戦争。
大東亜戦争。
大展示室。 ロケット推進機「桜花」
艦上爆撃機「彗星」(復元機)
サイパンより発掘した「九七式中戦車」チハ。
四一式山砲。 「震洋一型」実物大模型。
 四〇口径三年式八糎高角砲:大正期の代表的高角砲として5500トン型軽巡洋艦や扶桑型戦艦、伊勢型戦艦、空母鳳翔などに搭載された。昭和期に入り徐々に他の対空兵装に置き換わっていき、太平洋戦争時には旧式砲となっていた。しかし砲艦などの小艦艇や特設艦船などにはまだ搭載されていた。また南方各地の防空砲としても使用されている。
八八式7.5糎野戦高射砲。 大和の砲弾。
軍艦武蔵。
陸奥の副砲として搭載された。五十口径。
戦艦大和の模型。 特殊潜航艇「海龍」
四式二十糎噴進砲 九六式二五粍連装機関銃。
回天四型胴体。 魚雷?
 回天とは、太平洋戦争末期の旧日本海軍が「人間魚雷」として開発した日本初の特攻兵器で、終戦までに420機が生産された。出撃による戦死者は87名、そのうち特攻による戦死者は49名である。1944年8月に、大森仙太郎特攻部長によって明治維新の船名から「回天」と命名される。九三式三型魚雷(酸素魚雷)を改造し、人間が乗り込んで操縦できるようにした人間魚雷である。炸薬量は1.55トンあり、一撃で戦艦でも撃沈できるとされた。
 酸素魚雷では圧縮空気でなく酸素を燃料と混合して燃焼させ、炭酸ガスを排気する。これは海水に良く溶けるため、ほぼ無航跡とすることができ、隠密性の上で大きな意味を持った。燃焼効率も大きく上がり、高速推進を可能としたほか、長い航続力も併せ持った。魚雷に使用する酸化剤を、純粋に酸素のみとすることで利点が多くなることは広く知られていたが、同時に酸素の反応性の高さから、燃焼開始時などに容易に爆発するという技術上の問題点が立ち塞がっていた。各国は酸素魚雷の開発に力を入れていたものの、頻発する爆発事故で中止の止む無きに至っていた。1933年(昭和8年)、日本は世界に先駆け酸素魚雷の開発に成功、以降、大戦を通じて唯一の酸素魚雷運用国となった。酸素魚雷は当時の一般的な魚雷と比べ、雷速(魚雷速度)、炸薬量で勝り、射程は数倍、加えて無航跡という高性能なもので、米軍はこれをロング・ランス(長槍)と呼んで警戒した。しかしながら酸素魚雷の整備性は良好とはいえず、爆発を防ぐため充分なメンテナンスを要し、また、速すぎる雷速の為、船底爆破用の磁気式の信管が使用できず、接触式信管を採用せざるを得ないなどの短所もあった。後に日独技術交換により大日本帝国海軍からドイツ海軍へも試験供与されたが、戦略的位置付けの違いもあり、整備性の悪さなどからUボートでの使用には適さないと判断され、採用されていない。
某博物館続き