更新日時 2017年03月04日

釧路市立博物館
 釧路市立博物館は、北海道釧路市にある博物館。 1936年(昭和11年)7月14日に釧路市役所(先代庁舎)水道建設事務所2階フロア内に設けられた「釧路市立郷土博物館」が前身。旧丸三鶴屋百貨店への臨時移設を経て、1949年(昭和24年)には鶴ヶ岱公園に当時の釧路市警察署の建物を移転・改築し、展示活動を行った。1965年(昭和40年)に「博物館移築促進期成会」が発足。1977年(昭和52年)に「釧路市埋蔵文化財調査センター」を春採湖畔に設置、1983年(昭和58年)11月3日に建物が完成し、「釧路市立博物館」として開館した。建物はタンチョウが翼を広げた姿をイメージして作られた。設計は釧路市出身の毛綱毅曠によるもので、1984年(昭和59年)に第36回日本建築学会賞を受賞している。「マンモスのふみしめた大地」「タンチョウをはぐくむ釧路湿原」「海霧につつまれた自然と人びとがおりなす歴史」をテーマに、釧路の自然と歴史に関連した約4100点の展示物を取り扱っている。常設展示では、「サウンド・スケープ一音の風景一」という音楽で各展示のテーマを表現する試みがなされている。
@この日は企画展「釧路・根室の簡易軌道」の講演を聴きに来ました。
@釧路市立博物館は写真撮影可能な非常にオープンな博物館です。
 @アンモナイト(分類名:アンモナイト亜綱、学名:subclassis Ammonoidea)は、古生代シルル紀末期(もしくは、デボン紀中期)から中生代白亜紀末までのおよそ3億5,000万年前後の間を、海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の分類群の一つ。全ての種が平らな巻き貝の形をした殻を持っているのが特徴である。古生代と中生代の下位に当たる各年代を生きた種はそれぞれに示準化石とされており、地質学研究にとって極めて重要な生物群となっている。アンモナイト亜綱は、オルドビス紀から生息するオウムガイ亜綱(Nautiloidea)の中から分化したものと考えられている。以来、彼らは実に長くの時代を繁栄していたが、中生代の幕引きとなる白亜紀末のK-T境界を最後に地球上から姿を消した。
 @大地と海と釧路沖地震震源地。釧路川から東側の根室までの海岸は、出入りの多い切り立った断崖の岩石海岸が続いています。それとは対照的に西側は、ゆるやかなカーブを描く砂浜海岸が続きます。そして釧路の沖合いには、延長150km以上、水深5,000mあまりの日本最大の海底の谷、釧路海底谷(くしろかいていこく)が刻まれています。市街地の北側には、東西幅25km、南北幅36kmに及ぶ日本最大の釧路湿原が横たわっています。釧路湿原の周辺は、台地や丘陵地が広がり、さらに北側は阿寒・屈斜路・摩周のカルデラが隣接する火山地帯となっています。尚、屈斜路カルデラは、日本で最も大きなカルデラです。
@釧路の生物−釧路地方に生き残った生物。
@釧路の生物−釧路地方に生き残った生物。
@釧路の生物−釧路地方に生き残った生物。
@釧路の生物−釧路地方に生き残った生物。
@釧路の生物−釧路地方に生き残った生物。
 @エゾシカはニホンジカの一種で北海道全域にすんでいます。オスは大きな角を持っていますが、この角は毎年生え変わります。4月から5月に古い角が落ち、新しい角が生えてきて、9月には立派な角になります。角はオス同士の争いに使われると考えられています。エゾシカはかつて絶滅の危機に陥ったときもありましたが、近年は数が急激に増えています。樹木の枝や皮を食べて、木が枯れたり、交通事故が増えるなどの問題が起きており、数を調整するために捕獲が行われ、肉や毛皮の有効利用も図られています。
 @生物学的、文化的に貴重な生物や地域を天然記念物と指定して保護しています。釧路地方には7種類の天然記念物に指定された鳥がいます。タンチョウ、シマフクロウ、クマゲラは一年中すんでいます。シマフクロウは日本では北海道にしかいません。オオワシとコクガン、ヒシクイは渡り鳥で冬に渡来します。オジロワシは冬に渡ってくるものもいますが、一部は一年じゅう住んでいます。また、厚岸町にある大黒島は海鳥の繁殖地として天然記念物に指定されています。
@釧路の海−甲殻類・魚類。 @釧路の生物−釧路の鳥・動物。
@釧路の海−海棲哺乳類。
@コンブ類。 @ミンククジラ。
@釧路の海−甲殻類・魚類。 @焼玉エンジン
 @川崎船は、江戸時代後期から昭和初期まで福井県より北の日本海沿岸から北海道にかけて、漁業や物資の運搬などに広く使われました。釧路地方では1897年(明治30年)頃、新潟県の人々によって川崎船を使った漁が行われたことをきっかけに、沿岸漁業から沖合漁業へと転換され、新たに漁場が開かれました。展示されているこの船は現在の博物館の建設に合わせて、船大工の平岩一(ひらいわはじめ)さんが設計し製作したもので、実際の船の大きさよりはひと回りほど小さな造りとなっています。釧路の漁業の発展に活躍した貴重な船です。
 @この刺し子は「どんざ」と呼ばれ、漁業で使われた仕事着です。北海道では明治から大正時代にかけてさかんに使われました。仕事で動きやすいようにと丈が膝くらいまでで、袖口も細くなっています。寒風や潮風を防ぎ、丈夫でなければならないので紺無地や絣(かすり)の木綿地を2、3枚重ねたり、布と布の間に綿を入れたりしてつくられています。冬の間、これら仕事着をつくることは、翌年の漁に備える漁師の妻の大事な仕事でした。
@釧路市立博物館の展示品。
 @東釧路貝塚で出土した土器は地層の下のほうから、東釧路T式、U式、V式、W式、X式と名付けられました。東釧路V式は縄文時代早期の終わり頃、北海道内に広く分布した土器です。鉢型の土器で底が平らでクの字状に張り出す特徴を持っています。縄文時代に入って縄文の文様がもっとも発達した時で縄や紐を転がしたり、押し付けたりして文様がつけられています。
@釧路市立博物館の展示品。 @東釧路人の墓。
@縄文時代の石器。
@縄文時代の石器。
@縄文時代の石器。 @先土器時代。
 @アイヌとは、人間あるいは男性を意味する言葉です。アイヌの人々は、北海道を中心として樺太、千島、本州北部などに住み、狩りをしたり魚を獲ったり、植物を採集したりして暮らしをたてていました。また、暖かい地域では補助的に作物の栽培も行っていました。彼らは、本州あるいは北方諸民族の影響を受けながらも、独自の風俗・習慣・言語・信仰などを生み出しました。釧路アイヌと呼ばれる人々は、釧路川流域を生活の基盤としており、江戸時代の終わり頃、5,6軒で構成された村が、十数ヶ所あったと記録されています。
 @アイヌの人々は、世界には人間が住むこの世と神々が住むあの世があり、神々も人間と同じ生活をしていると信じていました。動植物、岩石、湖、沼などの生物や無生物、或いは風、雷などの自然現象や日常使用する器など、地上界に存在する全てのものに魂があると信じ、天上界の神々が姿を変えて現れたものと考えていました。そして、人間に利益をもたらす神々へは感謝の気持ちを表す儀式を行って天上界へ送り返すと、再び姿を変えて地上界へ現れると信じていました。特に山の神ヒグマ、沖の神シャチ、村の守り神シマフクロウの霊送りは盛大に行われていました。
@刀のつば。
@刀のつば。 @ほうしゅべら。
 @タンチョウは日本では北海道東部を中心に生息しています。大陸ではロシアと中国の国境近くで夏を過ごし、冬になると中国南部や朝鮮半島に移動する渡り鳥ですが、北海道のタンチョウは渡りをしません。江戸時代のころまでは東日本にも広く住んでいました。
 @明治になって開拓や狩猟などにより数が減り、一時は絶滅したとも思われていましたが、1924年(大正13年)釧路湿原に十数羽、生存しているのが発見されました。1935年(昭和10年)に国の天然記念物に指定され、地元の人たちが中心となって保護活動を続けたことにより、数が増え、2005年(平成17年)の調査では1000羽を超えました。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『釧路市』を掲載」
出典: 釧路市立博物館