更新日時 2017年09月18日

尼崎市立文化財収蔵庫
 尼崎市立文化財収蔵庫は、兵庫県尼崎市にある歴史系資料館。当初文化財に関する事務は尼崎市教育委員会の社会教育課で取り扱い、出土した考古資料の整理は市役所や小学校等で移転を繰り返しながら業務を行なっていた。その後立花小学校の校舎の一部を改修して展示室を設け、資料の収蔵・整理作業等を集約した。しかし、市内の出土資料や収集した文化財の収蔵場所が限界に達し、保管物を市内の公共施設に分散せざるを得なくなるなどの支障が生じた。そこで「城内地区まちづくり」事業の一環として、地域資産の活用と収蔵場所の確保により事業を発展的に行うため、旧城内中学校跡地への集約・移転を実施することとなった。建物は、1933年(昭和8年)に建設された鉄筋コンクリート造・3階建(延床面積5,500m2)、旧尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)」の校舎で、その後2005年(平成17年)まで城内中学校(移転統合により尼崎市立成良中学校へ変更)として使用されていた。本施設ではその内、1階部分(延床面積2,008m2)等を展示室や事務室として使用している。また、映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』では、建物外観が「凡天堂病院」の設定で撮影に使用されるなどした。
A尼崎市立文化財収蔵庫正門。
A尼崎城跡から出土した石。右手の3個は尼崎城築城の際に破棄された中世石造物の一部で、右端は「宝篋印塔の基礎」、その隣は「五輪塔の地輪と水輪」です。その他は尼崎城の石垣の一部。
Aダンサーが奉納した手水鉢。この手水鉢は、戦前に阪神尼崎駅の北側に所在した尼崎ダンスホールのダンサー達が、敷地内の稲荷神社に1936年(昭和11年)に奉納したもので「ダンサー一同」と刻まれています。戦前の尼崎には阪神国道沿いに線にダンスホールが4箇所有り、尼崎はダンスホールのメッカでした。
A尼崎第二発電所3号高圧タービンローター。1937年(昭和12年)に末広町で稼働を開始した尼崎第二発電所3号高圧タービン発電機の高圧タービンローターです。この後ろに中圧、低圧タービンが続き、3つのタービンが1分間に1800回転し、7万5千キロワットの発電を行いました。
A尼崎第一発電所の懸垂碍子。
A創設当時の尼崎紡績。
A長尾醤油看板。大物に所持した醤油製造業の長尾醤油の看板です。尼崎市と記載があるので1917年(大正6年)以降のものです。長尾醤油は、江戸時代の元禄年間創業と伝えられる「尼ノ生揚醤油」のなかでも最も古い歴史を持つ老舗で、屋号は油屋でした。
A1885年(明治18年)の尼崎南部の地図。
A昭和3年製の配管。旧尼崎の点々が無い市章。
A尼崎第二発電所3号高圧タービンローターの製造プレート。尼崎第一発電所7号ボイラーの製造プレート。
A木製の水道管。1988年(昭和63年)に尼崎市西川1丁目の水道工事の際に発掘された木製の水道管です。尼崎の水道が創設された当時は、鉄の価格が高騰していたため、一部に木管を使用していました。この木管はその当時のものと思われます。
A昭和時代の品々。
Aスポーツカブ。原動機付自転車のベストセラーである「ホンダカブ」のスポーツタイプで、1961年(昭和36年)の製造です。
A映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』では、建物外観が「凡天堂病院」の設定で撮影に使用されるなどした。
A映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』関係資料と建築家野村藤吾と尼崎。
A旧尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)」の校舎。
A電話・電報の看板。
A鯱瓦。尼崎城で使われていた鯱瓦と言われています。鯱瓦は「しゃちほこ」とも呼ばれ、屋根の両側につける屋根飾りである「鴟尾」が城郭建築にも用いられ、次第に変形していったものだと言われています。屋根にある2つの鯱瓦には雄と雌が有り、一般的には口を開けている大きい鯱が雄、口を閉じている小さい鯱が雌だと言われています。
A尼崎城跡から出土された古銭。
A焼塩壺。塩は粗塩を使っていましたが、18世紀になると、苦汁を取り、味を良くした高級塩が都市を中心に出回り普及します。粗塩を杵で細かく突いて粉砕し、壺に入れて2日位かかって焼き、その容器事食卓に出した食卓塩にあたります。焼き塩壺はこのための容器で、使い捨てにされていました。壺の表面の刻印から堺が主要な産地であることがわかります。初期には紀州雑賀の塩を買って焼き塩をつくり販売していました。
A尼崎の旧地図。
A尼崎の旧地図。
A黒板の板書は映画のロケの為に書かれたものを残しています。
A映画のロケに使われた教室。
A尼崎で出土された銅鐸と刀剣類。
A飯蛸壺漁。
A古い釜を再利用した井戸。
A現在、阪神電鉄尼崎駅東側の北城内には同社の車両工場や車庫が所在していますが、この地には阪神電鉄開業当初は本社や火力発電所が置かれ、同社の中枢地となっていました。
A尼崎駅。現在の南城内、江戸時代の尼崎城の南浜に所在していた官設鉄道の尼崎駅です。後に尼崎港駅と改称しています。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『尼崎市』を掲載」